柱稽古は突然に
 大・大・大失態に、尻餅をついた時とは違う意味で声も出せないなまえは、台所の壁にもたれかかり、頭をつけて猛省していた。

 まさか、鬼殺隊の風柱様を侵入者と見間違えてしまうなんて。いや、そこまではまだ良かった。問題は勘違いした挙句、悲鳴を上げて腰を抜かしたという点にある。なんと失礼なことをしてしまったのか。


「し、しなずがわ……さま……。かぜばしらの……?」

 混乱した頭でなまえが口走ると、義勇は彼女の手を取って立たせながら「そうだ」と答えた。なまえは衝撃の事実に再度ひっくり返りそうになるのを堪えて、玄関の男に視線を戻す。

 こめかみに血管を浮かせ、今にも怒鳴り出しそうな恐ろしい風貌ではあるが、よく見れば隊服を着ている。よく見なくても分かるくらい、しっかりと隊服を着ている。その他の特徴に気を取られ、まったく気が付かなかったなまえは、風柱・不死川実弥に向かって瞬時に深々と頭を下げた。

「たっ大変申し訳ございません……!! ご無礼をお許しくださいませ!!」

 実弥はその前の義勇の発言もあり相当に苛立ちを感じてはいたが、頭を上げたなまえがあまりに血の気のひいた青白い顔をしているのを見て、恐がらせないよう一旦発言を飲み込んだ。とはいえ、多少の疑問は残る。

「……俺が来ること言ってなかったのかよ」

 極力抑えた調子で実弥が問いかける。
 それに義勇は「うん」、と答えたつもりになって僅かに頷いた。僅か、他者には分からないくらいの角度で。
 その様子を見て、なまえはかつて蟲柱が言っていたことを思い出す。水柱は、圧倒的に言葉が足りない。
 聞こえたのか聞こえていないのかはっきりしない態度に風柱が苛立ちを募らせていることを感じ取り、なまえはおろおろと実弥と義勇を交互に見つめる。

「下がっていていい」

 場に困惑が生じていることにさっぱり気が付いていない義勇にそう言われ、ひとまず持ち場に戻ったのが少し前のことだった。


 落ち込んでいても、過ぎてしまったことは仕方がない。気を取り直したなまえは、台所の壁から頭を離し、休憩時に出す手ぬぐいや冷水の支度を始めた。

 その後、屋敷の内部でできる作業を終えたなまえは、庭へ出た。本当は道場前の廊下の拭き上げが残っているのだが、もしも邪魔をしてしまったら、今度こそ風柱の逆鱗に触れてしまうかもしれない。水柱の顔に泥を塗るわけにはいかないと、出来るだけ邪魔にならぬよう外にいることにしたのだ。

 柱二人が、まさか裏庭で手合わせしているとは露ほども知らずに。


 風の呼吸 弐ノ型 爪々・科戸風――

 振りかぶった実弥が刀身を迅速に振り下ろす。四方向に分離した斬撃が前方目掛けて勢いよく繰り出される。

 水の呼吸 弐ノ型 水車――

 義勇は風圧をさらりと避けながら同時に円を描くよう刀を振り、自身に向かってきた衝撃の威力を相殺する。

 風の呼吸 肆ノ型 昇上砂塵嵐――

 実弥は一手を放ったのち、着地するや否や次々と斬撃を繰り出していく。低く固めた姿勢には隙がなく、技を放つ速度は常人の目には見えぬほどである。

 水の呼吸 参ノ型 流流舞い――

 一方で義勇は実弥の速度を正確に見定め、多くの斬撃を打ち消すように素早く刀を振るう。衝撃は力を失い、跳ね返されていく。

 両者の力は互角。しかし攻め姿勢の風の呼吸に比べ、受け流す動きの多い水の呼吸は肩透かしをされているようで、実弥はじりじりと焦燥を募らせていく。訓練のため決定打を放っていないこともあるが、互いに決め手に欠ける状況である。もう一歩、踏み込んだ技を出しても良い頃合い――。

 風の呼吸 壱ノ型 塵旋風・削ぎ――

 実弥は踏み込む力を強め、地面を抉らんばかりの勢いで刀を振るいながら義勇の背後まで駆け抜けていくーーその時、裏庭を掃除しようと箒を持ったなまえが建物の影からひょっこり顔を出した。

「ーーッ!!」

 ざざざあ……っと砂利が激しく吹き飛ぶ音がして、裏庭一帯が砂埃で覆われる。

 なまえには、何が何やら分からなかった。
 裏庭に入ってすぐ突風とぶつかった。そのまま猛烈な勢いに飲まれたなまえは、抵抗する間も無く全身が宙に浮かぶような浮遊感を覚えた。息つく間も無く飛ばされたが体に衝撃を受けることはなく、彼女の体は思いの外ふわりと落ち着いた。

 なまえが固く閉じていた目を恐る恐る開く。周囲を覆うもうもうとした土埃の中、見上げた視界には、隊服とはだけた胸元、傷のある顔が映った。

「オイどうなってんだ冨岡ァ!?」
「かっ風柱様……っ」

 事態を飲み込めないなまえが目を白黒させる。かたん、と音がして、先程彼女が立っていた辺りから生垣まで飛ばされた箒が、遅れて地面に倒れた。
 なまえが改めて周囲を見回す。彼女は裏庭の端に設置された大きな置き石の上で、風柱に抱かれていた。

 実弥はぶつかることを予見し咄嗟に技を切り上げた。
 とはいえ既に発生している風の勢いが彼女を巻き込むのは必至。実弥はなまえを抱き上げ、安全な石の上に着地したのだった。
 戦いの中で市中の人々を助けることには慣れている。しかし、義勇相手に集中して技を出していた最中だ。咄嗟のことで実弥の口調が荒くなってしまった。
 出会いが最悪のものであったことを気に病むなまえにとって、最悪の事態である。

「も……申し訳、ございません……」

 なまえは縮こまり、半泣きになって謝罪する。そっと箒を立てかけ、てちてちと近づいてきた水柱は、流麗に彼女を擁護した。

「普段裏庭では訓練しないから、彼女に罪はない」
「あァ!?」

 なまえに悪気がないことなど、実弥には見れば分かる。彼の手には、恐縮した彼女の震えが伝わっているのだ。問題はそうではない、どこまでも無頓着な水柱にある。お前は、彼女に裏庭で稽古するから近寄らぬよう伝えなかったのかと。

 非難の視線で実弥に睨みつけられた義勇は、妙な強さで弁護の一言を付け加える。

「掃除しようとしただけだ」

 なまえは風柱の顔からブチッと血管の切れる音が聞こえたような気がした。

柱稽古は突然に

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