二人だけの家族団欒
「それではそのお蕎麦屋さん、さぞかし儲かったことでしょう」

 夕刻。なまえが箱膳の他にちゃぶ台も出し、手際良く料理を並べていく。その最中に義勇から、昼間炭治郎に誘われて蕎麦の早食いをした件を聞いた彼女は、楽しそうにくすくすと笑った。炭治郎といる時ほどではないながら、普段に比べれば緊張が和らいでいる様子だ。
 
 牛鍋、煮魚、山菜の炊き込みごはんに卵焼き、おひたし、彩豊かな小鉢の数々、味噌汁に、皮を剥いたリンゴ……食卓に並んだ献立はまさにハレの日の様相だ。炭治郎がいる、共に食事をする、話し相手がいるということがこんなにも喜ばしかったのかと驚かされる気合いの入りようは、それゆえに、彼女が普段感じている孤独を強く表しているようにも思われた。

 しかしいざ食事が始まってみると、なまえの箸の進みは随分と遅いものだった。
 義勇が茶を一口流し込み、口元を拭って一旦箸を置く。するとなまえもつられて箸を置き、湯呑みを傾ける。彼女が再び箸を持とうか迷っている様子を見て、義勇は何とも言えない心地になった。ともすれば他者の動向には疎い義勇であっても分かるほどに、ぎこちないなまえからはこの上のない緊張が漏れ出ている。

 自分は食べながら話すような器用さは持ち合わせていない。本来なまえは炭治郎と語らいたかったのだろう。気遣ったつもりで、余計なことをしたようだ。慣れないことをしようとするからこうなる。食事を共にするという話は、明日以降は忘れてくれて構わない――。

 義勇の胸中を巡った諸々の言葉の中から、形になったのは一言だった。

「……炭治郎が、居れば良かったんだが」

「いっいえ!」

 視線を下げぽつりと呟く義勇を見て、なまえは自身の振る舞いが彼に不要な疑念を浮かばせたことに気が付く。彼女は慌てて背筋を伸ばし、なるべく明るい表情をして取り繕った。

「い、いつも一人ですから、どなたかと食卓を囲めるなんて本当に幸せに思います! 家族と食べていた時のようで、ただ、胸がいっぱいなのです」

 発言を受け、家族、と義勇はなまえの言葉を反芻した。途端に遠い昔の情景が脳裏に蘇る。そうだ、確かに懐かしい。鬼にさえ遭わなければ失われなかった団欒の時。

 しかし、黙って静かに思い馳せる義勇の様子に、なまえはまた、ハッと息をのむ。

「あっ! 決して、義勇様を家族と思っているというような、そっ、そのような無礼な意味ではございません!」

 またもや緊張の面持ちで焦りだしたなまえを見て、義勇は不思議に思った。そんな風には露ほども受け取っていない。家族を失い、天涯孤独でここへ来たのだ。関わっている者を馴染み深く感じるのは当然のことだろう。

 むしろ、自分の方が気を払わな過ぎたのだ。

 義勇は整理された頭で今日の出来事を振り返り、今まで彼女の孤独にどれほど無頓着であったかを思い知る。

「なまえ。今まで長らく、任せきりですまなかった。……感謝している」

 自然と出た言葉だった。突然の返しに、なまえはぽかんと口を開け、言葉を失った。
 しばし時が止まったように感じられたものの、驚きが体に行き渡ると、それは次第に感動となって浸透していく。自分の意志で女中の勤めに励んでいる気持ちでいたが、主人である水柱、尊敬する義勇に改めて謝意を伝えられると、これまでの頑張りを認められたような気持ちになる。
 なまえはその光栄さに胸震え、「とんでもございません」と頭を下げるのに精一杯だった。

「ここへ来る前のことは……先生から手紙で聞いた」

 聞いたからどう、という話にまでは繋がらなかった。彼女の孤独を想っても、出来ることは限られる。義勇には続きにふさわしい言葉が見つからなかった。
 なまえは義勇が気遣ってくれていることに気がつき、続きを引き取るべく口を開いた。

「何の変哲もない、普通の家庭でした。毎日顔を合わせて、毎日思ったことを言い合える大切な人がいることの幸せが、かけがえのないものであること、分かっておりませんでした」

 義勇は黙ってなまえを見つめた。初めて聞く彼女の胸の内。鬼に人生を狂わされた者のみが抱える共感。

「続く毎日の中で常にそのありがたみを意識し続けるのは、人々にとってそう容易いことではないのかもしれません」

 伏し目がちに語るなまえの言葉に、この数日間、優しい炭治郎を敬遠し続けた義勇は自戒を込め静かに頷く。

「父と、蛍を見た夜でした。家に帰ると、玄関戸が開いていて……既に、家族は皆……」
「……」
「父が、私を強く押し退けたので、何のことやら分かりませんでした。逃げろと言われて、必死で山を駆けました。その時聞こえた、断末魔が……耳から離れず…………」

 ところどころ詳細を濁すように語る彼女の脳裏に、その夜の出来事がまざまざと蘇っていることが分かる。なまえの顔から見る間に血の気がひいていく。呼吸が浅くなり、手元が震えている。義勇が「それ以上は」と口を挟もうとした時、彼女は目つきを変え、唇をぎゅっと結んだ。まぶたを閉じ、深く呼吸したなまえが静かに目を開く。

「ですから私、鱗滝様に助けていただいたこと、心から感謝しております」

 芯のある声でなまえは続ける。

「何も、何もできないままでいたら、己の無力さに打ちひしがれて、きっと気が狂っておりました。こうして、鬼殺の道のおそばに居場所をいただき、感謝しております。義勇様のお役に立とうと精一杯を尽くすことが、巡り巡って無力に生き残った私の心も、家族の無念も、救ってくれるように感じております」

 そうか、とは言わなかった。義勇はただ、真剣になまえの話に聞き入っていた。

 不意に、彼女が以前にも似たようなことを言っていたことが蘇り、義勇は当時を思い返した。
 杏寿郎といる時にばったり出くわし、食事した帰り道のことだ。あの時なまえが、”鬼を斬れずとも、鬼殺のためにできる限りを尽くす”と話したことで、彼女を“柱に仕える者”ではなく“同じ方向を向く者”のように感じたのではなかったか。

 義勇の脳裏に昼の出来事が蘇る。命を、託されたものを繋いでいくこと。

「俺も姉に庇われた」

 つられるようにぽつりと、義勇がこぼした。なまえはごく慎重に、丁寧に彼へ顔を向ける。

二人だけの家族団欒

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