二人だけの家族団欒
 しばらく蕎麦は食べたくない。

 膨れた腹を抱えた義勇はそんな気分で玄関戸を開けた。すぐに明るい声に出迎えられる。

「義勇様! おかえりなさいませ」
「……ああ」

 返事をしながら、”なまえにすら初めて会ったような気がする”と義勇は思った。

 長い間、心の奥底に沈め隠してきた後悔。
 言葉にするなど到底耐えられない事実。
 自身を苛む強い罪の意識と無力感。

 ……直視することができないまま危うく葬り去るところだった覚悟を、想いを、思い出すことができた。

 炭治郎とは、促されるまま蕎麦屋へ入り、ほどなくして別れた。

 心が晴れたとまでは言えない。そう思う日など来ないだろうと思う。それでも屋敷への道を進む間中、義勇は長い遠回りを経て、視界が開けたような心地だった。陽の光に照らされた家屋、川の流れる音、鳥の鳴き声が、いつもよりは幾分か鮮明に知覚される気がした。
 他の柱ほどの稽古が自分に出来るか一抹の懸念は残るものの、姉や錆兎が繋いだものを決して無駄にはしないという想いが、これまでとは似て非なる覚悟となり支えとなるのが分かった。生かされたのだ。自分は今、生きている。出来ることを最大限しないでどうする。

「あの、炭治郎は……?」

 自身に宿ったわずかな興奮と焦燥に気を取られていた義勇は、なまえの声に意識を戻した。

「帰った」
「あぁ……! そうなのですね」

 なまえは驚いたような顔して、それから静かに相槌を打つ。その様が心なしかしょんぼりとしているようにも見えて、一人でいることの多い彼女にとって炭治郎の存在がいかに大きいものかを義勇は感じ取る。しかし、彼には他に、今伝えるべきことがあった。

「なまえ、柱稽古のことは知っているだろうか」
「柱稽古……? ……はい」

 一瞬の緊張が走った。なまえはそれを認めても良いものか迷ったのだ。

「この屋敷でも行う。しばらく慌ただしくさせてしまうがよろしく頼む」

 続けて、義勇が呟くように報告する。その様子を見て、なまえは目を見開いた。そして同時に、彼女には十分に伝わった。

 炭治郎が義勇の心を融かしてくれたのだ。

 何があったかは分からないが、何かあったのだ。そう思うとなまえは胸がいっぱいになって、視界が滲むのを感じた。義勇に気取られないようぐっと堪えて、彼女は努めて明るく「はい!」と請け負う。

「少し休む」
「はい。あっ! あの、お食事は……」
「すまん、炭治郎と済ませ……」

 振り返った義勇は、そこまで言ってはたと黙った。なまえの向こう、土間の台所に釜や鍋、食器が沢山用意されているのを見つけたからである。

「それは……」
「いっいえ! あのっ、何でもないのです! お気になさらないでください!」

 よく見れば、今までにない量の品数が用意されている。義勇は改めて炭治郎が帰ったことを知った時のなまえの表情を思い出した。さぞかし楽しみにしていたことが窺える。
 なまえは真っ赤にした顔を両手で隠し、慌てふためいて自身の醜態と言わんばかりに詫びた。

「たっ炭治郎もいるからと沢山用意したのですが、張り切りすぎました。このような状況にも関わらず浮かれてしまい、お恥ずかしい限りです……。大変申し訳ございませんっ!」
「いや……」

 なまえは耳まで赤くして恥じ入る。しかし、炭治郎が帰ったことも食事を済ませていたことも知らなかったのだから、謝る必要などない。確かにこれまでの彼女の様子からすると些かはしゃいでいるように見えなくもないが、それだけ炭治郎の存在が嬉しく大きいものだったことは十分に理解できる。同時に、家族を亡くした彼女が多くの時間、たった一人でこの屋敷を切り盛りしていた事実が今の義勇には真に迫って感じられた。

「夕方には腹も減るだろうから、全部俺がもらう」
「あっ、そんな! ご無理なさらないでください。私が、お裾分けして参ります」
「その必要はない」
「で、でもお一人で召し上がる量では……」
「なまえ」

 義勇は不意に閃いたことをそのまま口にする。

「これからはわざわざ時間を分けることはない。一緒に食おう」
「……ぇ?」

 小さな声だった。突然の提案すぎて、なまえは一体何のことを言われているのか掴みかねた。

「二度支度するのも手間だろう」
「そっそんな、恐れ多いです」
「一人で食う方が良いか」
「いえっ! 決してそんなことはございません」
「ならばそうしよう」

 なまえはあっけに取られた。水柱がこんなことを言うなんて。一体炭治郎と何があったのだろう。その真相は分からないながら、義勇の気遣いに感謝し彼女は素直に「はい」と答えたのだった。

二人だけの家族団欒

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