炭治郎、来たる。
 木刀を下ろし、汗を拭った義勇は小さく安堵のため息を吐いた。

 なまえと話をした直後、またしても屈託のない笑顔を浮かべて炭治郎はやってきた。三日連続して相対する少年の顔を見て、義勇はいつになったら諦めるのかうんざりすると同時に、投げやりになり屋敷への滞在を許可してしまったことを悔やんだ。

 しかし、事態は悪化の一途とも言えなかった。

 なまえが、話をしたいと炭治郎を呼び止めたり、食事の支度を手伝って欲しいと合間合間に彼を引き留めるので、義勇はこうして道場で一人鍛錬に打ち込む時間を得ることができたのだ。

 ――それが狙いだったのだろうか。
 足の具合が気になるのも嘘ではないだろうが、炭治郎をうまく引き離せないでいる自分に見兼ねてなまえが気を回したのではないか。
 そんな風に考えながら廊下を進んでいた義勇は、角の向こうから聞こえてきた明るい声を耳にして、浮かんだ疑念が振り払われるのを感じた。

 足音を忍ばせ、角からそっと覗いた先。
 そこには楽しそうに食事の支度を進めるなまえの姿があった。

「鱗滝さんは元気?」
「はい! 先日、気を引き締めるよう手紙が届きました」
「そう。炭治郎は、何か食べたいものある?」
「いっいえ! お世話になるだけでありがたいのに、あの……義勇さんは本当に許可してくれたんですか?」

 申し訳なさそうに眉を下げる炭治郎。ならば早く帰って欲しいと願いながら、義勇はやりとりを見守る。

「義勇様にちゃんと許可は得ました。それに、お話をしたいんでしょう?」
「はい! 俺も稽古つけて欲しいですし!」

 一瞬、会話が途切れたような妙な間が空いた。なまえが返事をしなかったからだ。彼女は相槌代わりの微笑みを浮かべ、釜の中身を確認している。
 敷台に腰を下ろして彼女を見つめる炭治郎は、そのことに違和感を持たなかったようだ。柱稽古のことをなまえに話していない義勇は内心ぎくりとしたが、会話はそこで一旦途切れ、深追いはされなかった。

「よーし! 味見してみて!」

 話題を変えるように声を張って、煮物を小皿に取り分けたなまえが振り返る。受け取った炭治郎が小皿を傾け目を見開く。

「美味しいです! 具材それぞれの食感がいいですね!」
「炭治郎が火加減見てくれたからよ。さすが炭焼きの家出身!」
「えへへ。改めて言われると照れます」
「あら、鱗滝さんのお家で一緒に作った時はよく自分で言ってたじゃない」
「わ、そのことは言わないでくださいよー!」

 いたずらな笑みを浮かべたなまえが、なめらかな動作で炭治郎から小皿を受け取る。照れる炭治郎を見て、彼女は白い歯を覗かせて笑った。
 そこには折り入って相談に来た時の姿に象徴されるような萎縮も遠慮も畏怖もなく、彼女が“普段は懸命に奮闘している一人の娘”であったことを、義勇は初めて実感した。



 しかし、微笑ましかったのは精々昼食前後までのことである。
 やる気みなぎる炭治郎の付き纏いはその後勢いを増し、午後を過ごした義勇は”悪化の一途ではない”と評したことについて、前言撤回を余儀なくされたのだった。

炭治郎、来たる。

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