あまい昼下がり
 冨岡義勇はなまえに言われるまま、縁側に腰掛け庭を眺めていた。二月の昼下がり。風は穏やかで日差しも程よいが、寒さの残る季節のこと。

「いただいたの! 是非一緒にと思って」

 快活な声の主は義勇の想い人である。遅れて現れたなまえはしなやかに膝を折り、盆を傍らへ置いて腰掛けながら続ける。

「チョコレート。義勇さん、食べたことある?」

 ない、と短く答えて義勇は視線を盆へと向ける。手際良く急須を傾けるなまえの手の横に、銀紙に包まれた板状の菓子が見えた。

「良かったあ。私も初めて食べるの。義勇さんは詳しかったらどうしようかと思った」
「どうもしない」

 答えると、なまえは柔らかく義勇を見つめ、嬉しそうに目を細めてみせた。彼女が笑むと、義勇はいつも胸の内が満たされるような気持ちになる。

 最近巷で話題になっている菓子は、割って食べるものらしかった。なまえが銀紙に包んだままのそれを、器用に割ってみせる。銀紙を端から裂き広げると、ぱらぱらと崩れた形をした、茶褐色の固形物がお目見えする。

「美味しいのかなぁ」
「どうだろう」

 既知のものから類推するなれば、餡のようなものだろうか。透明感はなく、特別硬くも特別柔らかくもなさそうなそれは、独特の芳香と甘味が癖になると多くの者の舌を虜にしているらしい。

「初めて同士、せーので食べようよ」
「うん」

 なまえが窺うように義勇を覗く。年よりも幼く見えるその表情は、彼女が自分にだけ見せる表情だと義勇は最近気がついた。昔から変わらない笑顔だが、人は時と共に外の顔を身につける。鬼殺隊の仲間と語らう明るい様子、買い物をする時の真剣な目つき、普段は一人前の女性然に振る舞う彼女が、自分の前でだけは幼い頃に戻ったように茶目っ気を含むことに気がついてから、義勇は何とも胸の奥をくすぐられるようで堪らない。

 一かけらずつチョコレートをつまみ、二人で目配せしあって口内に落とした。
 まず噂通り独特の芳香が鼻を抜けた。独特と言っても、決して否定的な意味ではない。最近人気の珈琲に似ていると義勇は思った。何かを炒って焦がした時に立ち上る、品のある深い香り。香りの後を追うように、口いっぱいに甘みが広がっていく。餡の甘さとはまた違うあたたかみのある甘さだ。喉に絡みつくように深い味わいに、確かにこれまでにない感覚を覚えるものだと義勇は思った。

「ん!」

 なまえが大きく目を見開いている。この後彼女が何を言うのか、義勇には概ね分かった。これは美味しい、とか。人気なのも頷ける、とか。

「これは美味しい! 人気なのも頷けるね!」

 義勇は笑った。傍目には小さく微笑んだ程度だが、なまえには彼の表情の変化がよく分かった。

「えっ、私何か、おかしいこと言った……?」
「言ってない」

 義勇が穏やかに首を振るのを見て、なまえは解せないながらも事態を飲み込んだようだった。小さく首を傾げた後、不安になったのかさりげなく唇の周りを指で拭う仕草をするなまえを愛おしく思う。

 それからなまえは茶を一口飲み、次の一かけらを口内へ放り込む。途端、彼女がひときわ大きな反応をみせた。

「義勇さん! お茶! お茶のあとに口に入れると、チョコレートがとろけて格別に美味しい!」

 何をそんなに感動したのか、なまえが新たな知見を得たとばかり、興奮している。

「そうか」
「義勇さんも試す?」
「……うん」

 勢いに押されるようにして返事する。抗う理由もないし、彼女が喜んでくれるならそれに応じたい気持ちもあった。

「チョコレートは私が入れてあげるから、義勇さんはお茶を一口飲んでね。それで、口の中がほかほかにあったかい時にすぐ食べるのね」

 そうするとすごいの、とろけちゃうのよ、と熱心に語る彼女の横で義勇は湯呑みを手に取った。言われるままに喉を潤す。先ほどまでの強い甘さが体の奥へ消えていく。湯呑みから唇を離した義勇は、息巻いて待ち構えているなまえの方を向いた。ぱちりと視線が交わる。

「?」

 義勇は一瞬不思議に思った。チョコレートを間髪入れず口に放り込もうと勇んで待っていたなまえが、急に驚いた顔をしたものだから。それからなまえは視線を泳がせ、見る間に頬を染めていく。自分で言っておきながら、それがどんな構図になるのか今さら気付いたらしい。チョコレートを食べさせることに照れを感じているようだった。

 ぼけっと見つめる義勇を前になまえが瞬きを重ねる。よし、うん、大丈夫、と小さな独り言が漏れている。近づいてきた指先、チョコレートに、義勇が唇を開く。舌の上に、かけらが落とされた。同時に、緊張に震えた彼女の指先が義勇の唇にそっと触れ、熱を残していった。それは、とびきり甘美な瞬間だった。

 義勇の熱を帯びた口内ではみるみるチョコレートが溶けていく。彼女の触れたチョコレートが、今、自分の舌の上で溶かされいくと思うと、どこか扇状的でもあった。口腔内の全てが、彼女の甘さで侵されていく。それ以上に、彼女の指が触れた部分が、唇の上でその存在を熱く主張している。勧めた手前、こちらの様子を伺うなまえの姿が、義勇を余計に昂らせる。緊張して閉じた薄紅色の唇、照れて熱を帯びた桃色の頬。この上なく甘やかな愛しい人。

「ど、どう?」

 彼女に問われ、義勇はハッとした。
 チョコレートは溶けるのが早かった気がするが、違うことに気を取られ、味わいそのものには意識を向けることのないまま飲み込んでしまっていた。
 ただし多分、彼女が納得する感想を述べることはできそうである。義勇は偽らず、ありのままを述べる。

「より甘くて、格別だった」

 義勇の答えを聞いて、なまえは安心したように頬をゆるめた。

「でしょう? いい食べ方を見つけちゃった!」

 彼女はそう言って、義勇の本意に気が付かず微笑む。
 義勇が何を思って感想を告げたか、伝われば彼女はうろたえるだろうから、これでいいと思った。

 穏やかな昼下がりは静かに続く。
 思いがけない甘さを演出してくれたチョコレートへ感謝しながら、義勇は再び湯呑みに口をつけた。

あまい昼下がり

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