ちりめんの励まし
負傷した隊士の出血は、水柱の迅速な手当てにより隠が到着する頃には大方収まりを見せていた。命に関わることはないとの診断を聞き、義勇は次の警備担当区域へと向かったのだった。
■
「義勇様っ!!」
明朝。屋敷へ戻った義勇を目にしたなまえは、悲鳴に近い声をあげた。
物音に気がついた彼女が玄関へ出向いて見たものは、指先から羽織りまで血に染まった主人の姿だった。顔にも返り血のようなものを浴びている。
「おっお怪我なさって……!?」
柱になってから、義勇が大きな負傷をしたことはほとんどといってなかった。時折、腕や足に包帯が見える時もあったが、このように血濡れた姿は初めて見る。極めて珍しい姿になまえは慌てふためき、躓きそうになりながら水柱の元へと駆け寄った。
「俺の血じゃない。汚れ物が多くすまない」
「ぎ、義勇様にお怪我はないのですね?」
「ああ」
「どこも痛みませんか?」
「ああ」
「……よ、良かった」
繰り返し確認をしたなまえは、義勇の返答を聞いて大きく息を吐き、ほっと胸を撫で下ろす。安堵した彼女の表情が柔らかくなり、血の気を失った顔に生気が戻ってくる。義勇はその一連の変化を見て、ちりめん生地が自分のものであると知り心底喜んだ先日の彼女の様子を思い出した。
「ちりめん……」
疲労した義勇の口からぽつりと言葉が漏れ、場が静まり返る。
ちりめん。およそ状況に似つかわしくない単語に、なまえが瞬きする。
「ちりめん……ですか?」
不思議そうに見つめられた義勇は、特に忙しかった昨晩の任務、その前後のことを思い返していた。
「ちりめんの生地を、買った」
「ええ」
「なまえにと思い」
「まあ……! それは、あの、あり……」
「が、使ってしまった」
「……?」
虚ろな視線で思い耽り、かけらを紡ぐように義勇が語る。その言葉を取りこぼさぬように受け止めながら、しかしなまえは首をひねった。
彼女の中でちりめんは細工ものにする材料なので、「ちりめん生地を使ってしまった」と言われて想像するのは、水柱が針と糸を手に裁縫をしている姿だ。実は義勇もちりめん細工が好きなのだろうか。この発言はどのように受け止めれば良いのだろうか。なまえは頭の中で密やかに混乱する。
その混乱は、義勇が続きを口にしたことでようやく晴れた。
「隊士の止血に使った」
「……!」
ここまで来てやっと、なまえは事態を飲み込むことができた。
血だらけの姿、ちりめん生地すら止血に用いることになった戦いの場。その凄惨さに胸のつまるなまえは咄嗟に何も言うことができず、息をのむ。
一方、彼女の方へちらりと視線を向けた義勇は、なまえが唇をぎゅっと結び、苦しそうな顔をしていることに気が付いて焦りを覚えた。自身が無用に口を滑らせたがゆえ、ぬか喜びさせてしまったと勘違いしたのだ。
「期待させて、その、すまない」
勿論、彼女は自身への土産が失われたことにがっかりした訳ではない。
義勇を見つめ返したなまえは、水柱の予想に反し、しみじみと思うところのある様子を見せた。
「いえ、とんでもございません! 隊士様のご容態はいかがでしょうか……?」
「大事には至らぬようだ」
「……良かった……! それは……本当に良かったです」
「ああ」
「私の、ちりめん細工が好きなことが……、巡り巡って隊士様のお役に立てたなんて……。本当に……義勇様、お心遣いくださり、どうもありがとうございます」
なまえは安堵のため息をつき、義勇へ深く頭を下げた。
顔を上げた彼女は、かつてのちりめん生地が自分への土産だと知った時よりも、ずっとずっと嬉しそうに微笑んでいた。心配に潤んだ瞳の奥で、役に立てたという喜びが煌めいている。
「……ああ」
彼女の真っ当で純粋な支援は、水柱をほっとさせる。
何はなくとも隊士の命が最優先だ。それが当然であると心得ている義勇も、ちりめんについて口を滑らせたと気付いた時は一瞬、余計なことを言ったと悔やみかけた。しかしなまえが心から安堵する様子を見ると、自分の行いは何をも傷つけはしなかったと実感され、それどころか温かく許容され、励まされるような気持ちにすらなった。
「羽織はお預かりしてもよろしいですか?」
「ああ、すまん」
「いえ、どうぞお身体の汚れを落としてらしてくださいませ」
こくりと頷いた義勇は浴室へと足を向ける。
"ありがとう"も"また探してくる"も言葉になって表出することはなかったが、しかし彼はしみじみそう思ったのだった。