朝陽
 乾風の吹く街は今宵、珍しく騒がしい。
 時折風に運ばれてきた雪が散らつく極寒の夜。しかし暖かく身支度した人々の動きは活気付いて賑やかで、今夜は寝ずに過ごすという気概が伝わってくる。
 そわそわとした空気がそこはかとなく漂う神聖な夜。そろそろ日を跨ぐ頃。

「う、失敗した」

 思わず漏れた独り言に、上官はさっと振り返る。水柱のただでさえ冷たい視線は“失敗”の文言に鋭さを増し、どうしたものかとこちらを探っていた。

「すみません、独り言です」
「何だ」
「三ヶ日は店が閉まってしまうでしょう。鬼狩りをしていると気温くらいしか季節感がなくて。食材を買っておくのを忘れました」

 鬼殺隊に年末年始など関係ない。目の前の危険を打ち消し続けて、毎夜任務へと赴いて。
 こうしてやってきた街の雰囲気で、ふと現実に気がつくことがあるのだ。

「……大晦日か」

 義勇さんは少し速度を落とし、師走の喧騒を改めて眺めぼそりと一言呟く。その口元で白い息が立ち昇って消えた。

 年越しを控えた街はどことなく浮かれていて、新たに年を重ねる瞬間を今か今かと待ち構えている。
 夜まで起きている人、出歩いている人が多いので、こちらはいつもより緊張感がある。まったく、子どもの頃とは違う年越しになってしまった。

「いいなぁ、子どもは。私もお年玉が欲しい」

 風に漂って飛ばされていくポチ袋が目に入って、思わず独りごちる。そんな私の言葉に義勇さんは何の反応も示さない。

 黙々と進む時間を重ねるうちに聞こえてきた微かな音が、近付くとともに輪郭をはっきりさせていく。腹の底に響くような深い鐘の音に、さすがの水柱も足が止まった。除夜の鐘だ。今は何回目か。

「煩悩」
「うわっ」

 立ち止まったと思ったら突然言葉を発したので変な声が出てしまった。
 かと言って、待っても続きがある訳ではないらしい。

「な……なんですか、嫌味ですか?」

 からかっているのかとむっとして突っかかるも、反応はなかった。
 何よ何よ、どうせ私は煩悩だらけですよ。
 何せ食材の買い出しを忘れてしまったことが相当に痛い。言葉少なな水柱の指摘に加え、帰ってからの空腹を思うと胃がきりきりした。





 夜に出歩いている人が多いとは言え、心配は杞憂に終わった。
 民衆がこぞって災いを蹴散らそうとしている大晦日は、あちらも警戒するらしい。
 日の光はなくとも、辺りは明るかった。屋根の上から見る街。健やかな日々を願う人々の想いは陽光のように美しく、希望の熱気に満ちていた。

 微笑ましかったその様子も、夜の深まりとともに収まりを見せていく。空が白み出し任務が終わる頃には、街の景色は一変していた。

 年が明け、家族で過ごす元旦が始まったのだ。
 閉められた戸口が並ぶしんとした空気の中を進みながら、とうの昔に失われた家族団欒の日を想って胸が痛んだ。疲れている。空腹がそうさせているのかもしれない。
 お腹をさすりながら考える。藤の花の家紋の家に頼ろうか。しかし年始早々にお邪魔するのは流石に気が引ける。

 そんなことを考えていた時、突然だった。

「嫌味じゃない」

 前方を行く水柱がそう放った。

「?」

 嫌味という言葉をどこかで使った気がして今日の任務を振り返る。そして昨夜のやりとりを思い出した。
 相変わらず返事が遅いが、もはやこれもいつものことだ。この人は目にも止まらぬ身のこなしからは考えられないほど、むしろ鬼殺に全振りしているからこそ、その他のことには頓着しない。

 そんなことを考えて特徴的な羽織をぼんやり眺めていたら、急に振り返った義勇さんが何かを差し出した。竹皮の包みだ。おずおずと受け取った重みに心が弾んで、勝手に口が開いた。

「わあっ! もしやこれ、何か食べ物ですか!」
「握り飯だ」
「義勇さんの手作り……?」
「他に誰が作る」

 そういえば水柱邸はどこよりも人手が少ないと聞いたことがある。義勇さんが断ったとかなんとか。
 柱の任務をこなしながら、家のことをやるのは大変に違いない。けれど義勇さんは人に助けられるのを嫌う。
 もっと、頼って欲しいと思う。だから任務に同行することの多い私は、剣技の腕を上げようと躍起になっている。

「貴重ですね! 力がつきそう! ありがとうございます」

 水柱の言葉少なな親切に甘えて、竹皮の包みを抱き締める。食事にありつけたことが嬉しいのか、義勇さんから受け取れたことが嬉しいのか、真相の解明は後にするとして、胸がほんのりと温まるのを感じた。

 ほどなくして朝日の強い光が辺りへ筋のように差し込み出した。
 日が昇り、新しい年が大手を振ってやってきた。そして厳かに、誰の目にも明らかに、新たな一日の幕を開けていく。

「あ……これ、初日の出、ですね」
「ああ」

 義勇さんは見もせずに足を進めていく。
 降り注ぐ陽光は、彼には眩しすぎるのかもしれない。

「義勇さん、私強くなります。今年もよろしくお願いします!」
「ああ」

「……鬼をこの世から消しましょう、きっと」

 言うか迷った決意の台詞。
 勇気を振り絞って口に出すと、義勇さんが足を止めた。

 癖の強い黒髪が、光を受け艶めいている。
 振り向いた義勇さんは眩しい朝日に目を細め、そして私を見た。

「この後予定は」
「へ? ないです」
「ならば寄っていこう」

 義勇さんは視線を滑らせ、何かを示す。促されるように追いかけた先に、朱色の鳥居が見えた。

「初詣……はいっ!」

 返事を受け取るや否や早速進み出す義勇さんの背中を追いかけながら、私はもらったばかりの包みを落とさぬよう持ち直す。

 ――そっか。

 口をついて出た言葉が嫌味でないのなら。

 弁解と共に渡された竹皮の包みが温度を増していく。

 「これで煩悩を祓え」と渡された、これは不器用な水柱からのお年玉なのだ。

 昇りゆく朝日が、強く眩い光で世界を照らしていく。

 新しい年が始まる。
 私たちは進む。意思を持って、一歩ずつ確かに。

朝陽

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