命の行方
命懸けで戦う鬼殺隊。その中で失われる命は決して少なくはない。命を落としたのがどんな隊士であっても皆仲間の無念を慮ったが、炎柱の訃報の衝撃たるや、それは大きなものだった。「あの煉獄様が……」
「信じられないわ……信じたくない」
手伝いに来た隠が二人、台所の端で深く嘆いているのを聞いてなまえの手が止まった。
「あ、あの……煉獄様が、どうかなさったのですか……?」
心配したなまえの問いかけに、隠が静かに答えた。
「上弦の鬼とまみえて、お命を……落とされたの」
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廊下を一心に拭きあげながら、なまえは何度も同じことを繰り返し考えていた。
(何故? どうして……)
煉獄杏寿郎となまえは一度しか顔を合わせたことはなかったが、彼女にとって彼は非常に大きな、存在感のある人物だった。分け隔てなく人に接し、快活で雄大な人柄で周囲への愛情に溢れた立派な人物であった。
柱としての実力も相当であると耳にした杏寿郎が、まさか命を落としただなんて。もうこの世にいないなんて、到底信じられない。
心のこもった食事は格別に美味いと、さつまいもを頬張っていた在りし日の杏寿郎が頭に浮かび、堪えようとしても、手元の雑巾には時折涙が落ちた。
上弦の鬼は姿を消したという。今鬼の被害がないのは、杏寿郎が、そして義勇たち柱や炭治郎たち隊士の皆が、一丸となって鬼を斬り人々を守ってくれているからである。如何ほどの危険と苦難だろうか。そう思えばこそ、日の当たる縁側から届く優しい温かさ、その中にいることが心苦しく思えて、なまえは雑念を振り払おうと熱心に手を動かし続けた。
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隠によれば、上弦が現れたのは下弦の鬼を退治した直後だったそうだ。そして、炎柱と共に行動していた人物の中に、炭治郎がいたという。一体何があったのか。詳細は不明だが、訃報がないゆえ炭治郎は生きているはずである。そう信じたい。しかし一般の隊士である炭治郎の情報は通常水柱邸までは届かないのも事実だ。
祈るような想いを抱えながら、なまえは義勇の出発支度を進めた。
握り飯と竹筒を手渡す為に持ったなまえは、脚絆を着け終わって立ち上がった義勇の背中をあえて直視しないよう、ぼんやりと見つめた。しっかりと目に収めるのが、どこか恐かったのだ。
水柱邸で働き出してから二年以上が経つ。この生活も、すっかりと彼女の身体に馴染んだ。水柱を送り出すのも、"いつものこと"となっていた。
しかし、いつどこで"いつものこと"が失われるかは分からないのだ。
分かっていたつもりであったが、炎柱の訃報を受け改めてなまえはその事実を突きつけられたように思う。
(もし、義勇様に何かあったら――。義勇様が出発以来お戻りにならなかったら……)
縁起でもないと振り払おうとする気持ちを飲み込んで湧き上がる不安。それをなまえは必死に抑えた。
「では」
「……お気をつけて、行ってらっしゃいませ」
なまえに見送られ義勇が彼女に背を向ける。"いつものこと"が繰り返される。その最中だった。
「どうした?」
数歩足を進めた義勇が、不意に振り返った。
これと言った大きな変化はないが、なまえの様子がどうもいつもと違う。その微妙な違和感、なまえの異変に義勇は気が付いた。
なまえは急な問いに焦りを覚えた。もしものことを考えているなど、縁起でもなく到底口にはできない。炎柱の死に心が震え、炭治郎の無事が気にかかり、水柱が消えてしまわないか不安に思っていることのただひとつたりとも、任務前の義勇に言えることはないのだ。
「い、いえ! 何もございません」
「……そうか」
「どうか、お気をつけて」
「ああ。俺の留守の間は藤の花の香を絶やさぬように」
気丈に振舞おうとするなまえの返事に、義勇はそれ以上は問わず出発した。
なまえは深々と頭を下げながら、彼らの無事を心から祈った。