近況
「アオイさん、何だか良いことがあったみたい」

 ミルクホールの椅子に腰かけたなまえは、真正面に座る友人の顔を見て口を開いた。感想ではなく、問いかけだ。

 なまえが頼まれた使いをこなした帰り道のこと。街中、薬問屋の前で待ちぼうけをくらっているアオイと鉢合わせた。注文の品を用意するのに時間がかかると言われたという。それでは待っている時間少しお話でも、と二人は近くにあったミルクホールに入った。所用でばったり出くわすことの多いなまえとアオイは、互いの胸の内を晒して以来、このようにして度々親睦を深めていた。

 アオイは席につくなり、なまえへとめどなく近況を話してみせた。その様子はいつにも増してキビキビとしていたが、それと同時にいつもより溌剌としてもいた。そこで、なまえが聞いたのだ。

 なまえの言葉を受け、アオイはぱちりと一度瞬いた。一旦動きを止めたものの、彼女はそれからいつになく穏やかな表情を浮かべた。

「ええ。そういえば、少し」

 何かを思い返すようにして軽く視線を下げるアオイ。なまえは顔を少し傾け、アオイの次の言葉を待った。

「少し前に、蝶屋敷に若い隊士の方がいらっしゃって。その方が任務に戻られる時に……言ってくれたんです。"アオイさんの想いは自分が戦いの場に持って行く"と」
「まあ……」
「自分を手助けしてくれたから、あなたはもう自分の一部だからと」

 アオイがしみじみと言葉を紡ぐ様を、なまえは熱心に見つめた。傷つく隊士を診ながら現地へ赴くことができない自分に葛藤を抱えたアオイが、恐怖と罪悪感の狭間で苦しんでいるのを肌で感じていたなまえは、その言葉が彼女へどれほどの勇気を与えたか思いめぐらせる。

「今まで、"支援で役立っている"と何度言われてもそうは思えなかった。きっと励ます為に無理をして言っているに違いないと……。ところが、その方が、あまりに自然な様子で、お日様のような笑顔で仰るものだから。とても、心の内に響いて」

 少し唇を震わせたアオイに、なまえもゆるく視界が滲んだ。

「素晴らしいお方ね」
「ええ。ご自身も、事情をお持ちで……お身内を連れながら隊士として活動されていて、本当にご苦労があるかと思うのに」
「お身内?」

 なまえは思わず聞き返した。鬼殺隊の任務は訓練された隊士であっても大変な危険が伴う。そこに身内を連れているとは一体どういうことなのか。高齢か若齢で預ける宛てがないのだろうか。しかし、隊士であれば藤の花の家紋の家など頼れる場がない訳ではない。連れているという身内が隊士ならば腑に落ちるが、アオイの言い方からしてそうではなさそうだ。

「ああ、その……」

 アオイは目を泳がせ、抱えた秘密をどの程度打ち明けて良いものか思案する。

「色々と、ご事情があって妹さんから目を離せないのよ」

 アオイがこれ以上は聞いてくれるなと匂わせながら発する。しかしその言葉は、なまえに違うひらめきをもたらした。

「いもうと、って……。その方、お名前は? もしかして、竈門炭治郎……!?」
「えっ。なまえさん、炭治郎さんをご存じなの?」
「ええ! 炭治郎なのね!? 禰豆子を連れて! 蝶屋敷へ、炭治郎が!!」

 なまえが勢い良く歓喜し、突然見た彼女らしくないはしゃぎようにアオイが面食らう。その様子に気が付いたなまえは改めて説明した。

「私が家を失ってからお世話になっていたのは育手の方のお家だったの。炭治郎はそこで修業していたのよ」
「まあ……」

 今度はアオイの方が感嘆の声を漏らす。

「隊士になったと聞いて以来、どこで何をしているのか、元気で無事でいるのか……禰豆子のことも、ずっと気にかかっていたのよ」
「そうだったのね」
「炭治郎は怪我をして蝶屋敷へ? 今はどの辺りにいるのかしら……」

 矢継ぎ早に質問するなまえを見て、アオイは柔らかく眉を下げた。炭治郎という人がどのように想われる人物であるか、アオイは自身の気持ちも重なってなまえの様子を嬉しく思った。

 それからしばらくの間、炭治郎の近況について話題は持ちきりとなった。
 炭治郎には親しくしている隊士が二人いること、妹も周囲を脅かすことなく箱の中で大人しく過ごしていること、その箱を修理したのが自分であることなどをアオイが話すと、なまえはつぶさに耳を傾け、目を輝かせてそれを聞いた。

 蝶屋敷に滞在する時はあまり良い状況とは言えないため確約はできないが、「炭治郎が蝶屋敷に来ることがあったらなまえにも伝える」という約束を交わして、その日の二人はミルクホールを後にしたのだった。

近況

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