子どもの頃、近所に住んでたお爺さんが物知りで、虹を見るコツを教えてくれた。
 雨が降ってすぐに晴れるようなことがあったら、雨雲と晴れの空の境目あたりに立って、自分の影ができる方の空を仰ぐ。そうすると雨粒に太陽の光が当たって、うまくいきゃあ虹が見られる。

 それまで二度ほどしか見たことがなかった虹は、話を聞いて以来、何度も見られるようになった。周囲の大人に話しても驚かれる。子ども心にこれは貴重な知見だという確信があり、私は大きな自信と誇りを得た。それでこのコツを、友人を作る時にも大いに役立てたものだった。

 錆兎と義勇の二人と知り合ったばかりの頃にも、虹を見ながら私はコツの話をした。ほら、この場所はまさしくその条件が揃っているでしょう、と。

 錆兎は「すごいな!」と喜び、義勇は「本当だ!」とはにかんだ。
 それから錆兎は「これから虹を見る度にお前を思い出しそうだ」と笑って、義勇は「確かに」と笑ったのだった。



 濡れた額を拭い、前髪を触る。だいぶ乾いてきた。
 義勇と久しぶりに共同任務中、夕立の酷い土砂降りに見舞われた。陽光のない日は日中でも鬼が出没するので油断ならない。鬼は無事斬ったものの、雨の中を激しく動き回った余波は十分なもので、この隊服ですら水分をしっかり吸ってしまった。降り止まない雨と全身をぴたりと覆うような不快感に、言葉もないまま河川敷に降り、橋の下で二人、しばらくの間雨宿りをしていた。

 遠ざかった雲の隙間から夕日が差し出し、雨脚が遠ざかったのを感じる。完全とは言い難いが、優秀な隊服も徐々に乾きをみせている。義勇が空を見上げる。私はその義勇を見上げる。
 ――そろそろか。
 切ないのは、今日の任務がこれで終わりどころか、むしろ始まりな点である。何せ、夜はこれからだ。

 暗い方の空を目指して、義勇が一歩を踏み出す。私もそれを黙って追いかける。
 以前は横に並んで歩くこともあったように思うけれど、それも昔のことだ。今はもう、顔を見せたくないとばかり、義勇は一人、先に行こうとする。なびく羽織を見ながら、彼の姉と錆兎のことを想う。それから、大切な二人を背負い続ける、義勇のことも。
 
 楽しい思い出が、いつも楽しく思い出される訳じゃない。
 歩き出してすぐ、前方の空に大きな虹を見つけて、私は息をのんだ。
 義勇にも見えているだろう。あえて触れないのにも違和感があるほど存在感のある虹に、私は口を開く。
「虹を見るコツ、覚えてる?」
「……」
 義勇は何も言わない。私だって、答えが来るとは思っていない。
「雨の後。雨雲と晴れの境目。自分の影の方。やだねー、今日見えるのはなんだか皮肉」
 皮肉、と口にしてから、それでは私たちを直接的に示しているようだと思って、「びしょ濡れで気持ち悪いもん」と付け加える。からからと笑ってみせるけど、義勇はもう、とんと笑わない。

 見たくなくても見えてしまう色彩を見上げる。手に取ることのできない、雄大な弧。美しい光。
 ――錆兎は私のことを思い出すと言ったけれど。
 それは逆だ。私たちは多分、これまでもこれからも、虹を見るたび錆兎を思い出す。
 私たちを、みんなを庇って散った、彼の尊い命。その光を。眩しくて、直視することもできないくらいの。

 後悔を抱えた私たちにできることがあるとするなら、それはただ一つしかない。

「よし! 今夜も斬りまくるぞー!」
「大声を出すな、目立つ」
「なっ! 人一倍目立つ風貌の人に言われたくない」
「……」

 ごめん、言い過ぎたよ。私は本当のところ、その羽織とそれを背負うあなたの覚悟を、この上なく尊いと思っている。
 無視を決め込んだ背中を今度こそ黙って追いかける。いつか義勇と、また笑い合える日が来ることを願って。

 強い雨に打たれて、暗い方を向いたとしても。
 どんなに太陽に背を向けようとも、そこに、虹が見えるように。

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