美味なるもの
 炎柱邸と水柱邸は反対方向だ。
 食事を終え杏寿郎に別れを告げた義勇となまえは、屋敷への道を共に進んでいた。

 二人は以前にも少しばかり共に歩いたことがあったが、その時は義勇がたちどころにいなくなってしまった。今回もそうかと思いきや、今日は屋敷に戻るらしく連れ立って歩く時間が続いている。
 先ほどまでとは打って変わって静かな空気感。足音だけが響いているのに耐えきれなくなったなまえが、とうとう口を開いた。

「炎柱様に初めてお目にかかりました。とても快活な方なのですね!」
「ああ」

 義勇は無視をするでもなくきちんと返事をした。が、いかんせん会話に広がりは生まれなかった。

 慣れたなまえは会話が終わるのを違和感なく受け止めながら、ただ素直に、煉󠄁獄杏寿郎という柱の人柄に心動かされていた。
 人を立場で判断せず、誠実で真摯な話しぶりだった。声の大きさや、何を考えているか掴めない表情など、多少の癖も感じられたが、そんなことは誰しも同じようなものだ。根幹を担っている精神が気高く、周囲の多くのものに愛情を持っていることが伝わってくる姿に、なまえは柱たる者の格を垣間見たように思った。

 多少の癖はあるものの、気高く誠実で真摯……なまえにとってそれは、何も杏寿郎に限り思うことではない。忙しい合間を縫って親切にも薬を持ってきてくれた蟲柱も同じような印象であったし、何より自分が仕えている、冷静沈着ながら決して冷徹な訳ではない水柱も、柱足り得る人柄であると、彼女は理解している。

 しかし、なまえの少し前を進む義勇の胸の内はそうではなかった。

 今日、たまには一緒に食事をして語らおうと声を掛けてくれたのは杏寿郎の方だった。正確には「今日も」である。義勇から誘ったことなど、一度もないのだから。

 杏寿郎は代々続く炎柱の家系に生まれ、高い志と強い精神を兼ね備えた素晴らしい実力を持つ青年だ。誰の目から見ても疑いようのない立派な柱。隣にいるのも気が退ける。それでも、そんなことはまるで気に留めていないような態度で、彼はいつも義勇に話しかけてくれるのだ。

 流されるように身を任せて進めた食事であったが、義勇は些か後悔していた。炎柱に心底感嘆した様子のなまえの言葉は、義勇にはまるで「本物の柱を見た」と言わんばかりに聞こえるのだ。

 聞こえるも何も、事実その通りである。煉獄杏寿郎はまさしく柱たる存在だ。そう思うほどに、義勇は「炎」とまるで対のように「水」柱の立場にいる自分がいたたまれない気持ちになった。


 さて、今まさに彼が複雑な胸中であることに気が付かず、なまえは尊敬する水柱のことを考えていた。
 炎柱がとても良いことを言ってくれたのだ。柱たちも支えがあっての存在であり、想いのこもった食事は格別だと。

「微力ではございますが、私も義勇様のお役に立てたらと考えております。明朝のお食事に何か御所望はございますか?」

 しかし、なまえの朗らかな提案を素直に受け取るのは義勇には難しい。それは勇気のいること、許されないことなのだ。

「……手間の、かからないものでいい」

 義勇は絞り出すように、感情を乗せずそう答えた。返事の言葉を受け、なまえがハッとして顔を上げる。いつもの静かな口調とは違い、そこに憂いが含まれていることに気が付いたからだ。

「俺は何かを申し付けていいような立場じゃない」

 言葉を重ねた義勇の後ろ姿。前方を進むその背に、なまえは何も答えられないまま目を向けた。
 斜め後ろからは、義勇の癖強く跳ねた髪と、その隙間に覗く頬と睫毛くらいしか見えない。けれども、彼が何を憂いているのか、なまえはそのかけらを知ってしまったのだ。

 ――今この瞬間も。
 義勇様は、選別で倒れ、友を失い、痛感した自分の無力と至らなさに打ちひしがれているのだろうか。
 今なお、自分は想いのこもった食事を口にしてはならない、感謝を受け取ることは許されないと自身を責め続けているのだろうか。

 なまえは、水柱が十分に柱たる存在であることを知っている。
 彼は任務後も自分を厳しく律し、鍛錬を欠くことなく自身を磨き上げ、研ぎ澄ましている。己の責任を持って禰豆子を生かす判断をし、炭治郎を導いた。そして仕える者にすら不便がないよう、気にかけてもくれる。少々不器用なところはあれど、多少の難は誰にでもある。
 こんなにも多くの気遣いの元、圧倒的な実力で鬼を狩り続けているのだ。
 義勇が立派な柱でなければ一体何だというのか。

 しかし、過ぎた事態はもう取り返せない。

 自分が今どれだけ頑張ろうと家族には二度と会えないように、義勇が柱であろうとなかろうと、選別で起こったすべての事実は義勇を苦しみから解放してはくれない。そのことも、なまえは痛いほど感じていた。

「……」
「……」

 土を擦る足音が重なるのを聞きながら、それでも何か義勇に言えることはないだろうかと、なまえは思いめぐらせた。説き伏せるつもりなど毛頭ないし、分かったことを言えるような立場でもない。ただ、何か伝えられること――。

 常日頃、絶えず大きな敵に立ち向かっている義勇だ。自分からの、ごく僅かな謝意だけでも受け入れてもらえないだろうか。

「は、柱でなくとも」
「……?」
「義勇様が柱でなくとも、私がお役に立ちたいと思う気持ちに変わりはございません」

 なまえはきちんと声が届くように、少しだけ足を速め距離を近づける。

「私は、鬼を斬ることができません。でも、鬼を滅したいと……家族を亡くした日から、それだけが願いです。鬼狩り様には、感謝が絶えません。義勇様が柱でなくとも、義勇様でなく炭治郎であっても、私は、お、同じことをいたします」

 話している間中、なまえの耳には自身の鼓動がばくばくと聞こえてくるようだった。それでも彼女は、勇気を振り絞って言いきった。

「……そうか」

 なまえの発言を受けて、義勇に言い返す言葉はなかった。

 彼女には斬ることのできない鬼を義勇が斬っていることは、紛れもない事実である。

 柱だから、その立場ゆえに敬っている訳ではないとなまえは示した。彼女にとっては柱も隊士も、「鬼を斬る者」で、その感謝に差はないのだ。

「私には、精々小間使いしかできませんが、どうかきっと鬼を滅することのできるよう、できる限りを尽くします。ですから……」

 どうにか振り絞ったなまえだったが、そこでいよいよ言葉に詰まった。話をどう受け止めているか分からない義勇の背に「ですから、遠慮なく食べたいものを言ってください」と直球に求めることは難しかったのだ。
 発言を飲み込んで進む足取りは重い。一歩、二歩、三歩……と進むごとに、気まずさと恐縮がなまえを襲う。

 しかしなまえの必死の発言は、義勇の心の隙間に少しばかり届いた。

 方法は違えど、鬼を滅したい気持ちが同じ者同士。その立場には違いがない。
 敬われているのではなく、義勇が鬼を斬るのと同じ目的で、なまえは鬼狩りの助けになろうとしているのだ。
 そう思うと義勇にはなまえの存在が、自分に期待を掛けたり敬ったりする重しのようなものではなく、同じ目的を持つ同志のようなものに思われた。

 彼女が担った仕事の分、自分は鬼を斬る。
 ただそれだけのことなのだ。

 自分は決して許されはしない。例え鬼を滅することができようとも、胸を貫く後悔が溶けてなくなることはない。しかし今なまえに問われたことは、また別の話だ。義勇はそう、思い至った。

 そこで、話の続きは義勇が引き取った。

「……あの、鮭と大根を煮たものが美味かった」

 不意に放たれた義勇の言葉。その意味を理解して、なまえの表情がぱっと明るくなる。

「あ……ああ! 是非、そう致しましょう! 明朝はあれをご用意いたしますね」
「助かる」

 やりとりを終えると、それから先はまた、二人ともに無言で進む時間が続いた。
 けれどもなまえが気まずさにそわそわすることもなく、義勇が柱という立場を複雑に捉え苦悩することもなかった。

 義勇が好物を伝えてくれたこと。
 明日は鮭と大根の煮付けが食べられること。

 二人はそれぞれにほくほくとした収穫を得て、帰路を進んだのだった。

美味なるもの

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