それぞれの最終選別2
 翌朝。帰り支度の前に掃除や洗濯を済ませる為なまえが早起きすると、既に鱗滝の姿は小屋の中にはなかった。すぐ外で、木々を重ねて移動させる音が聞こえる。薪割りの支度をしているようだ。

「おはようございます」
「ん……、ああ。おはよう」

 今朝も鱗滝は落ち着かない様子だ。炭治郎のことも心配だが、見たことがないほどにそわそわした様子の鱗滝のことも、なまえは同じくらい気にかかった。

 そうは言っても鱗滝はその真意を明かしてくれそうにはない。昨夜、一日を共に過ごしたなまえはそう悟った。なまえが深く注意を向けていることは、鼻の利く鱗滝ならば分かるはずである。それが分かるよう、遠慮なく鱗滝の様子に注目し、時を過ごしたにも関わらず、彼は何も語ろうとはしなかった。

 鱗滝に真意を明かす意思がない以上、鬼狩りの現実を知らぬなまえには、踏み込んで聞けることなど何もなかった。そこで彼女は自身のやることへ集中しようと決め、熱心に掃除と洗濯へ力を注いだ。炭治郎が帰って来た時にゆっくり休めるように、元気のない鱗滝が少しでも励まされるように。
 しかし、作業を終え手をすすいで小屋に戻ったなまえは、鱗滝の姿を捉え足が止まった。

 彼も一心に集中しようとしたのだろうか、手足にまでぐっしょりと汗をかいた鱗滝は、必要以上の薪を量産していた。いつも用意している倍ほどになる薪を見て、なまえは思わず駆け寄る。一体どうして、こんな鱗滝の姿は初めてなのだ。心配を通り越し、得体のしれない不安感を抱えたなまえは、慌てた声を出した。

「鱗滝さん!」
「む……ああ、やりすぎてしまったな」
「鱗滝さん……私、炭治郎が帰ってくるまでここにいます」

 炭治郎を心配する鱗滝の気持ちが痛いほどに伝わり、なまえはもういてもたってもいられなくなった。しかし、鱗滝は小さく首を振る。

「選別が終わるまであと一日ある。なまえは戻れ」
「でも、鱗滝さん少しやつれていらっしゃいます。元気に炭治郎を迎えましょう。私、おそばにおります」

 家族を失った絶望の中にいる時、なまえは鱗滝に救われた。今、炭治郎を待つ鱗滝を放って水柱邸には戻れないと彼女は思った。

「儂に構うことはない。なまえが戻らねば屋敷の人出が足りず困らせることになる。気にせずに戻りなさい」
「……い、いいえ。屋敷には隠様が来ていらっしゃいます。この度はまとまったお休みをいただきましたので、帰る日が変わることだけ連絡すれば差支えございません」
「なまえ。しかし、お前は義勇の元にいるべきだ」

 互いに強情である。なまえは頑なな鱗滝を押し切ろうと、言葉を重ねる。

「文を書きます。鴉がいらっしゃいましたよね。屋敷に連絡し、ご迷惑をかけなければお許しいただけますか?」
「駄目だ」
「……どうして」

 強く拒絶されたなまえの瞳に悲しみの色が浮かび、鱗滝の動きが止まった。

 沈黙する二人の遥か彼方から鳥のさえずる声が聞こえる。木々の間を風が通り抜け、場の温度が下がるようだ。

 天狗の面が下を向く。
 昨日からずっと、なまえが自分を気にしていることは分かっている。しかし気が付かないふりをして、なまえにはなまえらしい朗らかさや温かさを持ったまま、帰路につくことを願っていた。彼女が振り絞った勇気を挫き、優しい心遣いを跳ね除け、傷つけることが本意なのではない。
 深い息を一つついた鱗滝は、とうとう覚悟を決め顔を上げた。

「……なまえ、お前の気持ちは嬉しい。それを無下にしようとしている訳ではない」

 泣きそうな表情のなまえが、鱗滝を見つめこくりと頷く。

「炭治郎から、錆兎や真菰という名を聞いたか」

 鱗滝は再び斜め下へ面の鼻先を向ける。そして少しの間を開け、重々しく問いかけた。なまえは半年前のやりとりを思い出した。

「はい。二人から実践的なことを教わっている、鱗滝さんが呼んでくれたのだろうと言っておりました」
「……儂は、誰も呼んでなどいない」
「……え?」

 半年前、炭治郎は確かに錆兎と真菰に教わっていると話していた。記憶に違いはないと、なまえは思い返す。当時の炭治郎はなまえを見て真菰と呼び間違えるくらい、毎日のように共にいるような口ぶりではなかったか。

「錆兎も真菰も、私が"育て"た子だ。二人とも、選別時に亡くなっている」

 鱗滝が紡いだ事実に、なまえが言葉を失う。

 では炭治郎が出会っていた存在とは何なのかという疑問。そして送り出した子が亡くなる経験を重ねている鱗滝の、それ故に炭治郎を送り出す立場としての葛藤が重みを増して慮られ、なまえの胸の内にずしんとのしかかる。
 だからこそこんなにも炭治郎を待つ鱗滝が苦しそうなのかと、なまえは窺い知れなかった恩人の痛みを感じ取った。

「選別は……義勇の選別は、一人ではなかった。錆兎も一緒に行ったのだ。父の形見である亀甲柄の着物を肌身離さず大切にしていた、正義感の強い勇敢な子だった」

 ぽつりぽつりと鱗滝が押し込めていた言葉を語りだす。僅かな苦しみを携えたその声色に、なまえが耳を澄ませる。

「……義勇と錆兎は仲も良かった。共に鍛錬に励み、互いを高め合うような、そんな存在でな」

 なまえは自分の知らない、幼い義勇を思い浮かべた。かつて、錆兎という同志とここで炭治郎のように修行していた義勇。

「しかし選別で、錆兎は命を落とした。あの年の選別で、犠牲になったのは錆兎一人だった」
「……そんな……」
「錆兎は先陣に立ち、鬼を斬るだけでなく皆を助け、立派であったそうだ」
「……素晴らしい、お方だったのですね」

 静かに話を聞きながら、なまえは錆兎という人物について想い馳せた。
 義勇と親しく、互いに高め合う友のような存在であったという少年。選別の段階で、皆を助けることができる優秀な剣士だ。
 錆兎が生き残って鬼殺隊にいたならば、きっと柱となり、義勇と肩を並べていたに違いない。

「……義勇も、助けられた」
「……?」
「義勇は選別で頭を負傷した。目覚めたのは、全てが終わった後のことだ」
「……それは……」

 なまえがうろたえた顔を隠すことができないまま声を漏らす。
 そして彼女は想像する。自身が負傷し、助けられ、気が付いた時には友である同志の命が失われている事実が、当人にどのような衝撃をもたらすか。

「意識を取り戻し、事実を知った義勇の姿を……儂は、忘れることができない」

 重い、一言だった。

 鱗滝の言葉が、しんとした空気にくっきりと響く。

 なまえは拙いながら、精一杯思い巡らせる。もし自分ならば。そのような出来事が起こったならば。我が身を責め、いてもたってもいられないのではないか。
 自分は役に立てなかった、その所為で友を失ったと、彼が生きていたならどうなっていたかと、思わずにはいられないだろう。


 ああ、だから。

 だから、義勇様はいつも自分の立場をお認めにならないのだ。


 唐突に、これまでの水柱の言動が腑に落ちるような気がして、なまえは唇が震え出すのを必死に抑えた。視界がぼやけてしまう。泣きたいのは弟子を失った鱗滝ではないか。友を失った義勇ではないか。その苦しみの、かけらを聞いただけの自分に何が分かるだろうかと思いながら、なまえは溢れる涙を堪えることができなかった。

 なまえはたった今聞いた錆兎の話をよく思い返しながら、あの日、靄に包まれた帰り道に自分を助けてくれたのは、彼だったのではないかと思い至った。かすかに見えた亀甲柄と、女の子の声。炭治郎を助けていた錆兎と真菰の存在。
 鱗滝が育てた子ども達は、今も狭霧山で、鬼のいない世を願い、鱗滝や炭治郎を見守ってくれているのだ。

 手の甲で懸命に涙を拭うなまえを見て、鱗滝が優しく告げる。

「儂が選別を心配していると知れば、義勇はあの日を思い出し自責の念に駆られるだろう。苦しみを抱え柱にまで到達した義勇だ。あの子の負担を少しでも軽くしてやりたい」

 鱗滝の言葉を、もっともであるとなまえは真剣に聞く。

「なまえ、帰るよう言ったのはその為だ。いつものように帰り、あの子を、義勇を支えてやって欲しい。それが儂の願いだ。炭治郎は、ここで禰豆子と共に待つ」

 隠されていた胸の内を知ったなまえは、皺を湛えた鱗滝の手に自身の手を重ね深く頷いた。

「……分かりました」

それぞれの最終選別2

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