微力でも。2
 誘った当人であるしのぶは多忙を極め、外が明るいうちに任務へと出向いてしまった。しかし、蝶屋敷に初訪問したなまえが肩身の狭い思いをすることはなく、彼女は楽しいひと時を過ごしていた。

「小腹が減りませんか?」
「歌舞伎揚げ、美味しいですよ〜」
「なまえさんも是非召し上がってください!」

 きよ・すみ・なほは、蝶屋敷で看護婦をしているという女の子たちだ。彼女たちは話が上手で、一緒にいて話題が尽きない。賑やかで温かい雰囲気が居心地良く、なまえは勧められた米菓を口の中で解いた。

 鱗滝の元にも、過去に身寄りのない子が集っていたようだが、蝶屋敷も同じような場所であるとなまえはしのぶの口調から感じ取っていた。
 皆、鬼の被害を受けた者たちなのだろう。ぽかぽかと日の射す落ち着く空間にあってもなお、鬼に奪われた過去が日常と隣り合わせになっていることになまえは想い馳せた。

「私たちは、午後の問診の支度に行きます」
「なまえさんは、ゆっくりしていて結構ですので!」
「お帰りになっても、また来てくださいね」

 元気な三人娘の挨拶を受け、なまえはにっこりと微笑んだ。きよすみなほがいなくなると、座敷にはなまえ一人だけになる。開け放たれた障子の先に廊下があり、広い縁側にはカナヲが腰かけている。その向こうに見える庭で、アオイが風に煽られながら沢山の洗濯物を取り込んでいた。

 一人では難儀しそうな量を抱えるアオイを見て、なまえはここで呑気に眺めていて良いものか心苦しく思った。手伝いの一つくらいした方が良いだろうか、それともお邪魔している身で余計かしら、となまえが迷っているうちに、鮮やかにまとめた洗濯物を抱え、アオイは縁側を上がり座敷までたどり着いた。

「場所がなく、お客様の前で申し訳ございません! なまえさんは気にせずゆっくりなさってください」

 配慮の声をかけたアオイは、座敷の端で取り込んだ洗濯物をせっせと畳み始める。なまえは軽く会釈し、年の近そうなアオイをまじまじと見つめた。

 このアオイという少女は、隊服を着ているから隊士であると思われた。しかし見ていれば食堂へ行ったり洗濯をしたり、ひっきりなしに誰かへ指示を出していたりと、屋敷の中の多くを取りまとめている様子だ。なまえは蝶屋敷での彼女の活躍ぶりに目を見張り、非常に眩しく思った。
 二人で話せる機会に恵まれたなまえは、尊敬を込めて口を開いた。

「蝶屋敷のお話を伺ってから、是非一度伺ってみたいと思っておりました。念願叶ってとても嬉しいです」
「そうですか。またご遠慮なくいらしてください」

 アオイは顔を上げ、客人であるなまえへ固いながら彼女なりに微笑む。

「どうもありがとうございます。急にお邪魔して、アオイさんのことを忙しくさせてしまいませんでしたか?」
「私の忙しさなど大したものではありませんので、お気遣いは不要です」

 アオイはそう言うと、キビキビとした、あるいはキビキビを通り越した何か不都合そうな表情を浮かべた。謙遜しているのかと思ったなまえは、素直に尊敬の気持ちを打ち明ける。

「アオイさんは隊士であられるのに、屋敷のお仕事までテキパキとこなされていて、頭が上がりません」

 なまえは水柱邸にいるうちに、「自分なりの立場で鬼を滅することへ貢献できたら」と考えられるようになった。かつては鬼を斬れなければ意味がないと悩むことも多々あったが、できないことを嘆くよりもできることをやろうと、今では熱心にその務めに励んでいる。

 そうは言ってもやはり女中は微力だ。縁の下の力持ちといえるほどの支えにすらなりはしないだろう。そのことは十分、なまえも理解していた。その点、鬼を斬ることのできる隊士であり、さらには屋敷内を広く取り仕切ることもできるアオイを見て、胸が震えたのだ。

 ところが、なまえからの賛辞を受け、アオイは憤慨の声を上げた。

「そんなことはありません!!」

 急に厳しくなった口調に驚いて、なまえは彼女を見つめる。何か失礼なことを言ってしまったかと、なまえは焦りを覚えた。

「私は戦いに行けぬ腰抜けです! この隊服も形だけのものです。私など、せめて雑用くらいこなせねばいる価値がありませんから!」
「……雑用」

 アオイが沢山の仕事をこなしているのに雑用とひとまとめにしたので、もったいないような気持ちになり、なまえは思わず繰り返した。

 その様子を見てアオイがハッと我に返る。声を荒げてしまったこと、客人に対し失礼をしたのではないかということが彼女の頭の中を忙しく巡る。アオイは急に押し黙り、洗濯物をぎゅっと握りしめた手元を見つめた。

 なまえもまた、驚きと焦りで言葉を失っていた。アオイは戦いに行けぬ、と口走った。そんな事情があることも知らずに、勝手に尊敬などと言われて不愉快であったに違いない。なまえはどのように詫びるべきか、触れても差支えはないか目を泳がせた。

 縁側ではアオイの声に振り向いたカナヲが、沈黙の隙間でキョロキョロと視線を動かし汗をかいている。

 三者がそれぞれどのように切り出せば良いか、戸惑いを沈黙に委ねていると、急にきよの大きな声が廊下の向こうから聞こえてきた。

「なまえさーーーん! お土産に選んでいただきたいものがあるんです。こちらまで来られますかー?」

 「あっ……はい……!」と反射的に返事をしたなまえが、唇を閉じて俯くアオイや心配そうに見つめているカナヲ、置かれたちゃぶ台や菓子の残りなどに忙しなく視線を動かしながら、おずおずと立ち上がる。

「あの……私、」

 何か切り出さねばと思うなまえの言葉に、すみとなほの声が重なる。

「なまえさーーん?」
「あれ? 私、なまえさんのこと呼んでくるね」

 そして、その声を合図に廊下へ足音が響き出す。このままでは、座敷に漂う不穏な空気は隠しきれまい。

「すみません、失礼いたしました……っ!」

 呼びに来たなほを困らせるのも悪く、どうして良いか考えあぐねたなまえは、深くお辞儀をしてそう述べ、慌てて襖を開けた。

「あっ……!」

 弾かれるように顔を上げたアオイもまた、小さな声を上げたが、なまえを追った視線は既に閉められた襖に遮られ、それをただ見つめることしか叶わなかった。

微力でも。2

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