狭霧山へのおつかい4
 道場の中からは刀を捌く音が僅かに響いている。水柱の技は流麗で、派手な音も動きもないが、的確で隙がない。常日頃、任務から戻ってもたゆまぬ鍛錬を続ける水柱は、何かに取り付かれているように熱心だ。
 屋敷へ戻ったなまえは道場入口の前で膝をつき、戸を開けても良いか一瞬迷った。そうは言っても、休みをもらっていた身だ。狭霧山へ行く話を交わしているし、挨拶しない訳にはいかない。

 狭霧山から戻ったその足で迷わずここへ来たなまえは、意を決して声を掛け、戸を開いた。

 先ほど外まで聞こえていた音が弱まり、義勇が動きを止める。水柱が鍛錬の時、普段よりも厳しい雰囲気になることを知っているなまえは、肩の縮こまる思いだ。

「義勇様、只今戻りました」

 道場にいる義勇はいつもどこか張り詰めた空気を持っているので、なまえはその緊張の邪魔をするまいと、頭を下げてすぐにその場を去るつもりであった。

「なまえ」

 ところが、挨拶を終え戸を閉めようとしたところ、なまえは義勇に呼び止められた。

「はい」

 なまえは返事をしながら、水柱がいつもほど張り詰めた雰囲気ではないことに気が付いた。
 義勇は戸の方を向き、しかし視線は合わせずに言った。

「醤油がある」
「?」

 休み明けの挨拶をして早々、いつも寡黙な水柱が発した謎の一言に、なまえは再度困惑する。

 本人の中では何かしらの脈略があるのだろうが、いつもとっかかりもなく話し始めるので周囲の人間は彼に振り回される。鬼狩りの最中であれば必要最低限の的確な言葉も、日常生活にあっては言葉足らずな印象は拭えない。しかし、慣れっこななまえは主人の意図を汲もうと懸命に考え、せめて「何を言っているんだろうこの人は」という顔をせぬよう心がけた。最近では手伝いに来る隠の女性たちがよくそんな顔をしているのだ。

「醤油、ですか。ええと、どういった……?」
「礼に、と受け取った」
「そうですか! では、ありがたくお料理に使わせていただきます!」

 どうやら水柱は今度、お礼にと醤油を受け取ったらしい。我が主人への感謝の想いが重ねて形になる様子に、なまえは仕える者として大変に喜ばしい気持ちになる。それに、料理をする度に幾度となく思い出すだろうことから、醤油というのは素敵な贈り物に思えた。

 しかし、なまえから見た義勇の様子は些か解せないものであった。

「再三断ったが……すぐに腐るものではない、と思う」

 そう言って、義勇はきまり悪そうにもごもごと言葉を付け足したのだ。珍しく歯切れの悪い義勇にいくつかの疑問を浮かべながら、なまえは笑顔で応じて戸を閉めた。


 さて、台所へたどり着いたなまえは一瞬腰を抜かしそうになった。

 台所の隅にはござが敷かれ、そこから若干はみ出す量のガラス瓶が所狭しとびっちり並べられていた。料理に使うと言っても早々使い切れそうにはない量である。

 一体これだけの量の瓶をどのようにして持ち帰ってきたのか。
 義勇が大きな包みを背負ったり両手にぶら下げたりしながら帰ってきたのかと思うと、出迎えてその姿を見てみたかったとなまえは悪戯心にほんの少しそう思った。
 人目の中を持って帰るには勇気のいる量である。それでも根の温かい義勇が、心からの礼品を断り切れなかったのかもしれないと想像し、なまえは困ったように眉を下げつつ、笑みを浮かべた。

「それにしても……!」
 
 饅頭を分け切ったばかりのなまえは、新たな品の登場に再び頭を抱えたのだった。

狭霧山へのおつかい4

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