狭霧山へのおつかい3
 すやすやとよく眠る禰豆子。目を開けたらどんなに愛らしいだろうかと思わせる整った顔立ち。なめらかで美しい額と、可憐な睫毛。鬼だなんて信じられない。そのような気持ちで、なまえは禰豆子を見つめた。

 鱗滝が言うには人を喰わない分、眠ることで身体の回復をしているのだという。そうだとしたら、こんなに長い間眠らなければならない程、鬼が身体を修復する力というのは凄まじいのだろうか。それとも、人を喰らうという欲求を抑えるのにこれほどの睡眠が必要なのだろうか。
 体が衰弱していないということから、彼女が弱っている訳ではないと信じ、ならばなおも眠り続ける意味を、なまえは考える。人を喰って回復するのが鬼なのだ、それをしない為の禰豆子の抵抗は何物にも代えがたく尊いものに思えた。

 その時だった。
 禰豆子の手が僅かに動いたのは。

 一瞬ひやりとしたなまえは身動きが取れず体を硬直させた。心臓が早鐘のように鳴っている。鱗滝は戸のすぐ外だ。いざとなれば大声を出して呼ばねばならない。しかし外には人がいる。鬼を匿っていることが知られてはなるまい。なまえの頭の中に目まぐるしく考えが巡る。

 しかし、何かをする必要などなかった。
 禰豆子は、重ねられていたなまえの指先をそっと巻き込んで、小さな手をきゅっと握っただけだった。

 指先を握られたなまえは、その優しく儚い力に胸がいっぱいになった。まるで赤ん坊のように、幸福をそっと掴むような柔らかな手つきだ。暗示が効いている喜ばしい実感と共に、なまえはたった今自分が何を恐れたかをまざまざと感じ、苦しく、申し訳ない気持ちになった。目の前の小さな手が示している本能を、信じねばなるまい。この場にいるということはそういうことである。

 なまえは鱗滝の話を改めて思い返す。暗示は”人間は皆家族である”とのことだった。それが効けば、禰豆子の今後は大きく変わるかもしれないのだ。

「禰豆子……禰豆子。大丈夫よ。きっと大丈夫だからね。……ごめんね」

 なまえは心を落ち着け、母のように、姉のように言葉を紡いだ。

 まだ幼い少女を慈しむように、自分が母にそんな風に言って欲しい気持ちも重ねて。

狭霧山へのおつかい3

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