狭霧山へのおつかい
「饅頭は好きか」玄関を通り抜けて早々、いつも寡黙な水柱が発した謎の一言に、女中であるなまえは困惑した。
本人の中では何かしらの脈略があるのだろうが、いつもとっかかりもなく話し始めるので周囲の人間は彼に振り回される。鬼狩りの最中であれば必要最低限の的確な言葉も、日常生活にあっては言葉足らずな印象は拭えない。しかし、慣れっこななまえは困惑を隠し、返事を紡いだ。
「はい。甘味は何でも大好きです」
「そうか、軒先に置いてある。多ければ隠と分けてくれ」
「はい……?」
竹筒と弁当を包んでいた風呂敷をなまえに渡した義勇は、ほのかな疑問を呈している彼女の様子に気を向けることなく風呂場へと足を進める。浴室の戸が閉まる音を聞き届けて、なまえは玄関先へ向かった。
見れば玄関を出た横、軒先の日陰に何やら巨大な風呂敷包が置かれていた。深く美しい紫色をした大風呂敷が、大きな四角をかたどっている。饅頭にしては大きすぎるが、義勇の指しているものが他に見当たらないので、なまえはそっとその包みを開いてみた。
くくってある部分を開くと、中には高級そうな菓子箱が二十程入っていた。
さてしかし、これは隠と分けても分けきれぬ量である。そしてあまりに大量すぎて、本当に義勇が「分けて食べて良い」と示したものかもはっきりしない。
ひとまず軒下に日が射す前にと、なまえは縁側に饅頭の箱を移動させ、汚れを落とし終えた義勇を待った。
■
清潔な隊服に身を包んだ義勇が座敷に足を踏み入れたところを見計らって、なまえは声を掛けた。
「義勇様、仰っていたお饅頭というのはあの菓子箱のもので間違いないでしょうか」
くせの強い髪をわしわしとタオルで拭いていた義勇は手を止め、なまえを見る。そして彼女の視線が指している方向へ頭を動かした。綺麗に積み並べられた縁側の菓子箱を見て、義勇は頷いた。
「そうだ。……鬼殺隊本部から届いた」
「そうでしたか。それにしても沢山……差し入れのようなものでしょうか?」
大量の菓子箱を、なまえが不思議がっていることはさすがに義勇も分かったが、彼がそれに答えることはなかった。
義勇は先日、助けた菓子屋の主人から差し出された礼を断って帰った。
ところがどうしても礼をしたいと思った菓子屋の主人が、鬼に襲われたことや鬼狩りの組織を探したいと周囲に触れ回ったためちょっとした騒ぎになり、隠が事態の収拾に出向くことになった。主人を説得し終えた隠が礼品を受け取り、お館様がそれを本人に届けるよう手配したのだ。
「これは"義勇への"感謝の気持ちなんだよ」
お館様からの言伝は隠と共に来た鴉により伝えられた。鬼殺隊の中でも人語を流暢に話すことのできる優れた鴉は、まるで目の前に産屋敷耀哉当人がいるかのような口調で語る。
その内容は、自分は感謝されるべき人間ではないと思っている義勇に、これを受け取る権利は義勇にしかないことを端的に示していた。そして、彼は戸惑いの末お館様の言葉に従ったのだ。
「大変有難いお品ですが、この量は隠の皆さまとだけでは分けきれそうにありません」
「……」
「どなたかお裾分けできたら良いのですが……。お心当たりはございませんか? 私、届けて参ります」
なまえが申し出たものの、義勇はぼけっと黙り込んだままだ。多忙を極める義勇には、これといって親しくやりとりをする人物はいない。他の柱には会う機会が限られるし、お館様の居所はこちらから気安く伺える場所ではない。竹林を抜ければ民家はあるが、義勇はこれまで近所付き合いなど全くしてこなかった。何より付き合い不精が祟り、近隣からは得体の知れない者の住処として気味悪がられているので、口にするものを渡しても喜んでもらえる可能性は非常に低いのだが。
二人が沈黙を重ね考えあぐねていると、寛三郎が庭に舞い降り義勇の元へ飛びよった。
「狭霧山ヨリ 鱗滝左近次カラノ 文ジャ」
「……!」
「あっ!」
寛三郎の言葉に、義勇となまえが同時に目を見開く。義勇の恩師であり、なまえの心の拠り所、鱗滝ならお裾分け相手にぴったりである。
義勇の活躍を伝えることもできるし、今なら修業中の炭治郎もいるのできっと沢山食べてくれるに違いない。鱗滝なら顔も広いから、山の付き合いで他の人に分けることもできるだろう。二人ともに、懐かしい鱗滝の面が頭に浮かぶ。
「差支えなければ、私狭霧山まで届けて参ります!」
早速なまえが声を上げる。寛三郎が「届ケルノハ……ワシノ役目ジャ……」と小さく反論してみせた。なまえが寛三郎に目配せしてにこりと微笑む。
「構わんが、遠くないか」
「いえ! 明日明後日と、隠様がいらっしゃるのでお休みをいただくところだったのです。久しぶりに鱗滝様にお会いできるのなら、苦になどなりません!」
「……そうか」
ならば任せる、の言葉を受けてなまえは心底嬉しく思った。前回狭霧山を訪れてから、半年ほどが経つ。鱗滝は元気にしているだろうか、炭治郎の修業は、禰豆子の様子は。気になることが沢山あったなまえは、早速饅頭の箱を仕分けにかかったのだった。