器屋騒動の朝2
投げつけられたものを拾って店の隅に置き、二人は器屋を後にした。義勇の進む方向が屋敷へ戻る道と同じであった為、共に行動して良いか分からないながらも、なまえは彼の後を追うことになった。他にも任務があるのか、水柱の足は速い。しかしその速度は「ではお先に」という程急いた様子でもなく、無言で進む義勇と、後ろで戸惑うなまえは、ぎこちなく連なって道を進んだ。
「避けることならできる」
町を抜け、静かな田舎道に差し掛かったところだ。突然、義勇の方が口を開いた。なまえが弾かれたように顔を上げる。
「任務中は危険が多い。町で俺を見かけても放っておいてください」
「……はい。申し訳ありません」
見えぬ背後で、なまえはぺこりと頭を下げる。しかし注意を受けながらも、なまえは思ったより恐く感じていない自分に気がついた。恐縮や反省がないと言ったら嘘になるが、義勇の言葉を受けて、このまま共に歩くことをつらいと感じるようなことはない。
今のなまえには何となく、理解することができた。元々、水柱は寡黙で多くを語らない方なのだ、と。
蟲柱や鱗滝の言葉、炭治郎のことから、彼女はそう知ったのである。
よく考えれば、鬼を瞬時に斬ることのできる柱が、人の投げた茶碗を避けられぬことなどないのだ。あれはわざと避けなかったのだ。ひとたびそう気が付くと、店主の行き場のない怒りに抗わずにいた義勇の態度は、器用ではないながら、真摯だったようにもなまえには思えた。
沈黙が続く道のり。ちらりとなまえを確認し、酒に濡れこめかみに張り付いている彼女の髪を目にした義勇は、自身を庇おうと飛び出したゆえの姿を苦々しく思った。そこで、義勇は繕うように再び言葉を紡いだ。
「隠が来ているのか」
「はい。お任せして出て参りました」
「そうか」
ならば彼女は休みなのだろう、戻ってすぐに髪を洗うこともできよう。そう考えた矢先だった。義勇の想像も虚しく、彼なりの計らいはなまえの一言で吹き飛ばされることになる。
「私はお食事の材料を買い出しに参りました。新鮮な魚が手に入りましたので、刺身にもできそうです!」
嬉々として語る彼女の声に水柱は脱力した。どうやらなまえは休みではなかったらしい。帰って早々に食事作りを始めそうな口ぶりに、義勇は一抹の困惑を覚えた。
「あ……! 勿論、ご所望があれば焼き魚か煮つけでもご用意できますが、いかがいたしましょう?」
反応の薄い水柱の背に、なまえが提案を重ねる。義勇はこんな時、どんな風に女中を気遣ったら良いのか、いまいち理解しかねた。
それで、こんな風になった。
「寄る場所があるから食事は必要ない。今日は戻らぬので諸々の用意は結構」
曲がりなりにも同じ方向へ一緒に進んでいたなまえが驚いた表情を浮かべる。彼女としては共に屋敷へ帰るものだとすっかり思い込んでいた。柱はやはり忙しいか、と思い直し、主人不在の屋敷に慣れているなまえはすぐに(では干物にしておこう)と考え直した。
「では」
含みを持った視線でなまえのこめかみを一瞥した義勇は、そう言って今度は瞬時に姿を消した。
「あっ! ……いってらっしゃいませっ」
どこへ消えたか分からぬ水柱へ適当な見当を付け、なまえが挨拶する。
"どうぞ髪を洗ってください"という一言が、二人の脳裏に浮かぶことはとうとうなかった、器屋騒動の朝の出来事である。