狭霧山にて7
 水柱邸へ戻る時間が迫ったなまえは、最後に禰豆子の様子を見ていた。

 最初こそ恐かったものの、見ているうち、そして経緯を知るうちに、その気持ちは大分と薄れた。

 禰豆子には不思議な雰囲気がある。
 鱗滝の暗示が効いているのか、彼女の生来の特性なのか、またはまだ幼い少女だからか。何が理由かは分からないながら、滅するべき存在とするには、衝動に抗い眠り続ける彼女はあまりに健気で懸命に感じられた。

 鱗滝に許可を取ったなまえは、勇気を出して禰豆子の額に触れた。
 さらりと滑らかな素肌は、まごうことなき人のそれだった。けれども彼女は、日の光に当たれば身を焦がしぼろぼろと崩れ落ちてしまう運命の中にいる。禰豆子は何もしていないというのに。

 炭治郎がどれだけ素直で無垢な心を持っているか、一晩でも十分に伝わった。きっと素敵な家族に恵まれたのだろう。それも、失われてしまった。
 目の前の禰豆子も、きっと炭治郎と同じように素直な子なのだろうと、なまえは思った。たった一人生き残った、炭治郎の希望。

 きっときっと、元に戻れますように。
 自分にも、何か役に立てることがあれば……。

 そう考えながらまじまじと禰豆子を見つめ続けていたなまえは、ふと、彼女が口枷として取り付けている竹筒に見覚えのある傷を見つけた。

(節の近く。三角の中に爪を立てたような一本線の傷……)

 それはよく、なまえが水柱に渡す為の水を用意する時、なんとはなしに目にしていた傷である。

 途端、なまえの心臓は鼓動を早め、彼女は胸に何か温かいものが広がるような気持ちになった。
 事が繋がるように理解されていく。

 この口枷は、義勇が作ったものなのだと。

 思えば全身をぐっしょりと濡らし、冷え切った姿で義勇が帰った日。あの日、義勇は竹筒を失くしたと言っていた。
 失くしたのではなかったのだ。
 吹雪の中、鬼になった禰豆子を連れ彷徨っていた炭治郎と出会い、水柱は彼らを助けた。いち早く、たった一人で禰豆子の可能性を信じ、手持ちの竹筒で彼女が人を襲わぬようできる手段を講じたのではないか。

 なまえは導かれるようにして思わず竹筒の傷に手を伸ばした。震える指先でそっと撫でると、特有のざらざらとした凹凸の刺激が返ってくる。この竹筒は、確かに自分も触ったことのあるものなのだ。
 そう思うとなまえは、水柱の女中として幾許か、ほんの少しでも、自分も役に立てているのではないかという気持ちになった。

 そして炭治郎と禰豆子に想いを寄せていたなまえは、何よりも自分の主人である水柱の判断に心が震えた。

 義勇様は、決して冷徹なんかではないのだ。

 なまえは、彼が冷たい男だなど誤解も甚だしいと、頭を殴られるかのような衝撃を受けた。
 そしていち早く、水柱邸に戻りたくなった。
 今一度、義勇の表情を、物静かな姿とそこに隠された想いを、改めて知りたくなった。
 きっと自分は何も見えていなかったのだろうと、心から思われたからである。

狭霧山にて7

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