沁みる3
「こんにちは。私は鬼殺隊・蟲柱、胡蝶しのぶと申します」

 翌日水柱の屋敷に現れた可憐な少女の姿に、なまえは圧倒された。
 綺麗に巻かれた髪に美しい蝶の髪飾りをつけている小柄な女性……というより女の子だ。零れ落ちた毛先の菖蒲色がどこか艶めかしく、華奢な体格とは不釣り合いな大人っぽさを感じさせる彼女は、花色のびいどろのような瞳で柔らかになまえを捉え自己紹介した。

「おっお初にお目にかかります! こちらで女中をいたしておりますみょうじなまえと申しますっ」

 勢いのいい挨拶に目をぱちくりとさせたしのぶは、緊張をほぐすべく、顔をあげたなまえににこりと微笑みかける。
 優しそうなしのぶの雰囲気にうっとりとしかけたなまえは、自分とさほど変わらぬ年齢の少女が鬼殺隊の柱であるということに、尊敬と、一抹の劣等感を抱いた。
 蟲柱は可憐で優雅な立ち振る舞いでありながら、凛と研ぎ澄まされた空気感を持つ人物で、義勇に引けを取らない雰囲気で佇んでいる。

 しのぶは興味津々といった様子で屋敷の奥を覗き込み、辺りを見回して感嘆の声を上げた。

「まあ、とっても清潔にされているのですね! 水柱邸はなまえさんがほとんどお一人で管理されているとか……冨岡さんは手のかかるお方なので大変でしょう」

 にこにことしたしのぶが、突如義勇を揶揄するような発言をしたので、なまえは「い、いえっ」と慌てて首を振ることになった。柱になるほどの女性はずばり物を言うのだ、と圧倒されていると、しのぶは軽やかになまえへ近付いた。

「失礼しますね」

 そう添えて、しのぶがなまえの手を取る。

 そして丁寧に慣れた手つきで、なまえの手先を表・裏、右・左とくまなく観察していく。
 しかし次第に、しのぶの表情からは朗らかさが失われはじめた。そしてしまいには、彼女の表情に憤りの色が滲み出す。

 眉を顰め少しの沈黙を置いたしのぶは、非難めいた口調で切り出した。

「冨岡さん、この規模の屋敷の手入れは元々一人で賄える作業量ではありません。蝶屋敷にどれだけの人出があるかご存じですよね? 隠を何人か配置するべきでは」

 なまえの傷んだ手を保護するように包み込み、しのぶは義勇を見やった。

 義勇は内心、痛いところを突かれたような気持ちになった。
 必要ないとは言ったものの、柱の仕事量はとてつもなく多く、女中であるなまえの存在には助けられている。人を増やす煩わしさが懸念され屋敷内の細やかな状況に気を留めず、なまえの負担に無頓着であったことは、義勇には否定できなかった。

「かっ、隠の方も時折いらっしゃいますし、私の肌が軟弱なだけなのです」

 自分のせいで主人が注意を受けることになり、なまえは慌てて弁解したが、当の水柱は「善処する」とすぐさま答えた。

「なまえさんも問題が生じたらすぐに言うべきです」

 視線を戻したしのぶに真剣に言われ、なまえは背筋がぴんと伸びた。「はい」と頷くと、花色の瞳が優しく揺れる。

「くれぐれも、無理をなさらないでくださいね。持ってきた塗り薬がよく効くと思います。少々手間でしょうが、水仕事を終えたら都度塗ってください」
「はい……!」

 懐から出した薬瓶をなまえに手渡し、しのぶはにっこりと微笑んだのだった。





「……お困りではありませんか?」


 義勇が席を外している間、縁側に腰かけ薬の塗り方・扱い方について二人で話している時、しのぶがなまえに向かってそう切り出した。
 優しく眉を下げ、憂いるようにこちらを覗き込んだしのぶに、なまえは先ほどまでの可憐ながら距離を感じる独特な印象ではなく、もっと等身大の、思慮深い女の子のような印象を受ける。
 年近い同性同士で想いを共有するかのような包容力のある雰囲気に、なまえはこのところの戸惑いや辛い気持ちを吐露してしまいたい衝動に駆られた。

 しかし、別の柱の前で、主人である柱を悪く言うような失礼なことは憚られる。

 言えば、先ほどのように直接的に義勇が注意される可能性もある。
 これ以上、主人に迷惑をかける訳にはいかないという気持ちが勝り、なまえは機微に揺れた瞳を携えたままうまく返事を紡げずにいた。

「冨岡さんは言葉が足りないんですよ。必要最低限どころか、必要分すら口にしていない印象です」

 「私から見て、ですけど」と付け加えて、思ったことを口ごもるなまえに代わり、しのぶが語った。

「共同で何度か任務に当たりましたが、剣技の腕は勿論、仕事は実直で誠実ですし、悪い人ではないと思います。冨岡さん」

 なまえは初めて任務に出ている義勇の姿、鬼殺隊の柱としての主人の像を聞き、深く関心を寄せた。
 何にも心を開かず、人を近寄らせず、自分を煩わせるものの全てを疎んでいるような、そんな印象を持っていたなまえには、蟲柱の語る内容は意外なもので、興味深く感じられた。

 なまえが真剣に聞き入っていると、しのぶは向き直りなまえの手を取った。

「難しく考えなくて大丈夫です」

 しのぶは両の手でそっとなまえの手を握り、口にはできない彼女の悩みを励ますように小さく力を込める。

「遠慮せず話しかけていいんだと思います。……きっと、冨岡さんもその方が救われます」

 しのぶが眉を下げたままお願いするように微笑んだので、なまえは促されるまま深く頷いた。

 それを見たしのぶが「やっぱり冨岡さんは手のかかるお方です」と重ねたので、なまえも何だか確かに、水柱はそういう人なのかもしれないと思えてきて、今度は笑みがこぼれたのだった。

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