14話
 体に当たる風の温度が下がる中、義勇はひとり、橋を渡っていた。なまえと歩いていた時はあっという間に過ぎた道のりが、帰りはいやに長く感じられた。

 義勇は夕暮れに紅く染まった橋の上で、まず、どうにかして気を取り直そうと思った。
 このまま彼女に執着していては、あの男と同じであるからだ。

 そもそもなまえに会うまで義勇は一人で生活していたのだ。その日々に戻るだけだと思えば造作のないことである。

 橋を渡り切る頃、義勇は洗練された気配を感じはたと視線を上げた。前方から、隙のない様子で近づく者がある。よく見てみてると、こちらへ向かって歩いてくるのは、元風柱の不死川実弥であった。

 そのままぼうっと通り過ぎようとしたところ、すれ違う直前で突如実弥が声を上げた。

「ぉまっ! 冨岡!? 何突っ立ってやがる!」
「……」

 突っ立ってない、と言ったつもりだが、義勇の口は動いておらず、何も伝わらなかった。

 実弥は非常に驚いていた。義勇の出す気配がこれまでと違いすぎて、近くに来るまで気が付かなかったし、それは同時に実弥の体感として義勇が動かず突っ立っているようにも感じられたからだ。

 実弥は訝しく思いながら、一応の声を掛けた。

「この間のへんちくりんな嫁はどこ行ったァ?」

 一度会った時に共にいた娘をへんちくりんと称したところ、珍しい反論にあった。再びそう言ってやればムキになって言い返してくるかと思われたが、実弥の挑発は肩透かしにあい、義勇は気配を変える様子がなかった。そして反論の代わりに、彼はぽつりと答えた。

「嫁いだ」
「アァ!?」

 意味不明な返答に、実弥がまたしても声を上げる。

 へんちくりんな娘は冨岡に懐いているようだったし、冨岡も言い返すほど、あの娘を気に入っていたのではなかったのか。そういったことには詳しくはないが、どう見ても良い仲であるように実弥の目には映っていた。

「あれは旧知の友人だ」

 何を考えているか分からない顔で、義勇が言う。
 あっそう、と答えて去りたい気持ちを実弥は抑えた。話を聞いてもらいたいのかそうではないのか、この男は常にはっきりしない。水柱として優秀であるのは知っている。だからこそ、思わせぶりというか、想いの欠片だけをこぼし残りを察させるような義勇の態度が目につく。
 それが長子長男である実弥にはじれったく、刺激となりどうにもイライラさせられるのだ。
 だが放ってもおけないところが、彼の長男性である。

「熱心に面倒見てたんじゃねェのかよ」
「身内がかけた迷惑の尻拭いをしていただけだ」
「それだけかァ?」
「そうだ」

 実弥は義勇をまじまじと見る。
 見れば見るほどイライラする。

 あの日会った娘はどう見ても義勇に惚れているようだった。
 この言葉も自覚も足りない男のどこがいいのか、実弥にはさっぱり理解できない。
 大方言葉も自覚も足りないせいで冨岡に懐く貴重な女を取り逃したんだろう、と実弥は脳内で結論づけた。

「そうかい。てめぇはあの娘が喜べば問題ないんだな?じゃあせいぜい嫁ぎ先であのへんちくりんが旦那とちちくりあう幸せを祈ってやりゃあいいじゃねえか」

 不死川はいつも怒っているし、今日は一段と怒っているな。

 と思いながら、しかし義勇には実弥がいつもとは違う調子で物を言ったようにも感じられた。
 それで言われた通り、考えてみることにした。

 ……あの男は今後、なまえの嫌がることをしないだろうか。
 口づけはするだろうか。夫婦だからするだろう。
 桜色の着物を、あいつが脱がせるかもしれない。

 ぞっとする気持ちになりはするが、それでも義勇はなまえの決めた想いを尊重しようとした。

 しかしふとなまえに焦点を当てた時に、義勇の心はぐらりと迷いを含んだ。

 時が立てばなまえは男に心を開くかもしれない。
 時には遠慮したり恥じらったりしながら、そのうちに男の前で照れて見せ、無防備な寝顔を晒すのかもしれない。

 なまえが男に寄り添い、心からの笑顔を浮かべるようになること。それを想像するのは難しく、同時に義勇には受け入れがたく感じた。
 しかしそれでは自分の言う尊重とはひどく勝手ではないだろうかと義勇の頭をかすめる。
 嫁いだ彼女が夫に心を開かないでいてくれることを願うなど、正気の沙汰ではない。

 複雑な感情が入りまじり、義勇の眉間の皺が深くなる。
 それを見続けていた実弥は、いい加減耐えられなくなり叫んだ。

「だァ!! なんなんだてめぇは! そのはっきりしねぇ態度が気にくわねぇ!」

 そう叫ばれてもなお、答えを乞うように義勇は考え中の瞳を元風柱に投げる。真顔で見つめられた実弥は、いよいよ相手にするのを諦めた。

「ハッ勝手にしろ。俺はお前と違って残りの人生好きに生きる。じゃあな」

 残りの人生は、弟や家族、仲間達の分まで。
 口に出さぬ言葉は己の中だけで咀嚼して、実弥は前を向き歩き出した。

 義勇を通り越してしばらくすると、ふっと彼の気配が変わったので、実弥は振り返った。そこにはもう、義勇の姿はなくなっていた。

「……ったくよォ」

 不器用な仲間の先行きなど知る由もない。
 イラつきすぎて寒気がした実弥は、温かいものでも食べようと、先を急いだ。





 残りの人生を好きなように生きる。


 義勇の中で、先程耳にした実弥の言葉が繰り返し響いていた。
 それは義勇であっても同じこと。鬼殺隊の残された皆が想うところだ。

 好き勝手に生きるだとか、自由を謳歌するといった意味合いではない。それぞれが与えられた生を力の限り生き抜く。そうして想いを繋いでいくのだ。
 
 なまえが子を成し繋いでいかねばと願ったように。

 義勇が何を懸念することもなく望んで良いのならば、なまえに、傍にいてほしいと思う。
 しかし、痣の影響がどのように我が身に及ぶのか、それは分からない。
 そのような身で、なまえと共に生きることを望むなどおこがましいのではないか。

 今宵の水柱は珍しく揺れていた。鱗滝がいたら、叱責を受けるほどに。

 判断をつけることができないまま、義勇はとうとう屋敷に辿り着いてしまった。

 玄関を抜け、足の向くままに進む。
 廊下の先、彼女に貸していた座敷の襖を開けると、炭治郎ほどの嗅覚などなくても分かる、なまえの匂いがした。決してたくあんなどではない。ふわりと甘く、清潔な匂い。

 見回すと、隅の方に荷物がまとめられているのが目に入る。屋敷を出ていくことは、花見への出発前に既に決めてあったのだ。そう気が付いて、義勇の足から力が抜ける。

 まとめられた荷物の一番上。畳んである着物に、義勇は手を這わせた。なまえが昨日まで着ていたものだ。

 ほんの数刻前、彼女に触れたというのにまだ足りない。見つめあったあの時、なまえは何を思っていただろうか。無理して笑ったまま去った彼女の袖は、涙を拭っていたのではないか。

 悲痛な想いできゅっと彼女の着物を握りしめた時、中からかさりと妙な音がした。

 勘付いた義勇は、左腕で着物をばさばさと振り目当てのものを探す。中からはらりと、一枚の文が滑り落ちた。


 男からの手紙を手に取った義勇は、さっと目を通すや否や怒りに打ち震えた。

 一途な想いとは到底言えない、もはや脅迫文である。
 いつ受け取ったのか。なまえが一人で外出したことを思えば、昨日食材を買いに出た時だと義勇には察しがついた。

 一人でこの手紙を受け取り、なまえはどんなに恐ろしかったことだろうか。
 男に無理やり抱き上げられたのを助けた時、なまえが如何ほどに怯えていたか、腕に伝わってきた震えを義勇はまざまざと思い出した。


 少なくとも。

 少なくとも、あの男の元へ嫁いでなまえが幸せになるとは到底思えない。

 それだけは確実であると判断のついた義勇は、急ぎ屋敷を飛び出した。

14話

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