攻防は明け方に
 なまえは霞柱が心配である。


 鬼の頸に、霞柱の刃が当たった時だ。目を開けていられぬ程の閃光が走り、一瞬二人とも視覚を奪われた。

 崩壊した鬼の姿を感知し、なまえは必死で周囲を見回す。

 霞柱・時透無一郎は十四才の若さで柱を務める天才剣士である。一方なまえは、霞の呼吸が肌に合っている為、彼の任務に随行させてもらうことの多い女隊士だ。霞柱には記憶障害があり、多くのことを詳細に覚えていられない為、彼女の随行は任務や行動の記録を兼ねている部分もあった。

 年上ではあるが、なまえもまだ十六才と若い。しかし霞の呼吸の天才であり、幼さゆえ孤高の柱となっている無一郎をどうにかして支えたいと、なまえはその身空に見合わぬ老婆心を勝手ながら抱いていた。

「時透様! ご無事ですか!?」

 視野を覆う光の残像が薄くなるや否や、目に入った無一郎になまえが駆け寄る。
 しかし振り向いた無一郎の反応は、冷ややかなものだった。

「僕は無事だけど。無事じゃないのは、君の方じゃない?」

 無一郎の呆れたような視線を受けて、なまえは自身の体を見回した。しかし、これといって何も負傷はしていないように見える。

 ところが、するすると地面を滑るような足取りで霞柱が近づいてくると、なまえは不思議な感覚に陥った。
 いつも見下ろす格好になる無一郎を、何故か見上げる形になる。背丈がまるで逆転しているようなのだ。

「……あれ?時透様、大きい」
「君が小さいんだよ。血鬼術かな?」

 無一郎は興味があるのかないのか、朧げな瞳でなまえを観察している。なまえは手のひらを裏返し、自身の体の変化を確認した。

 大きな変化ではないので実感のしにくさはあるが、見比べてみると確かになまえはいつもより自身の手が丸みを帯びて小さくなっているように感じた。
 何よりも、顕著に理解されるのは目線の低さだ。周囲に立ち並ぶ家々が、普段より大きく圧迫感のあるものに見える。

「あの物凄い光が発せられる直前、小さな球が飛んできたよね。あれ、避けなかったの?」
「……う、はい。気がつきませんでした。申し訳ありません」

 相手は下弦の鬼であった。鬼が散り際に出す決死の術は柱の無一郎だからこそ感知できたが、その点を考慮することなく、彼は思ったままの言葉を選ぶ。

「いつも”私はしっかり者です”って顔してるのに、結構うっかりするんだね」
「えっ私そんな顔をしてますか!?」
「うん。年上ぶって偉そうって思ってた」
「も……申し訳ありません」
「うん、でも悪くないよ。今は僕の方が大きいからね」

 思わぬ評価を受けたなまえが慌てて謝罪すると、無一郎は機嫌良さそうにそう言ってのけた。

「霞柱をお支えしようと出過ぎた真似をいたしました」

 肩を落とすなまえを見ても、無一郎の言及は止まらない。

「うん。さっきだって僕の無事を確認したよね。立場から言えばそれは僕の役目だと思うけど」
「はい……申し訳ありません」
「別に、もういいよ」

 言葉を失うなまえの前で、「今は君の方が小さくて、いい気分だから」と悪びれずに放ち、無一郎はくすりと笑った。

 さらに、霞柱は自身の手をなまえの頭に乗せ、鞠でもつくかのようにわざとらしくぽすぽすと撫でてみせる。「おちびちゃんだね」と重ねられる言葉に、なまえの頬が見る間に染まった。

「赤くなってるの?可愛いね」
「おっおやめください! じきに戻りましょう」

 振り切るように横へ数歩ずれたなまえが顔を隠すように背け、そう告げる。すると機嫌を損ねたのか、無一郎は再度彼女に手を伸ばした。

 小さくなっても鬼殺隊士である。なまえは反射的に腕をかざし、頭部を触られないよう無一郎の手を遮った。しかしその腕は、更に反応速度の速い無一郎に掴まれることとなる。

「今は僕の方が大きくて速いし、力だって強いよ?」

 不敵に告げて、無一郎は阻んだなまえの腕を横へずらしていく。攻防する二人の距離は近く、互いの表情が露わになる。

「ふ、普段から、時透様の方が速いし、お強いです、よ……っ!」

 なまえは霞柱の突っかかるような言動に焦りつつ、彼を上目に覗いて必死で弁解する。
 しかし、落ち着き払った普段の様子とは違い、頬を染め焦るなまえの様子は無一郎には面白く感じられ、彼の悪戯心はますます刺激された。

「あ、分かってたんだ。僕のこと弟か何かと勘違いしてるのかと思ってた」
「そんなこと……ただ勝手ながら気にかかってしまうだけで……」
「どうして?僕のことが好きなの?権力に弱いのかな」
「ちっちがいます!!」

 二人とも既に認めているように無一郎の力の方が強く、彼がムキになって引かない為、なまえはじりじりと押される格好になる。迫る無一郎に後退り、とうとうなまえの背後は民家の塀に阻まれた。
 
「じゃあどうしていつも僕のことばかり気にしてるの?」

 核心に迫られ、いよいよなまえは言葉を失った。

 鬼の散った街に人はいない。朝が来たと呼ぶには少しだけ早い明け方だ。なまえが見上げた視界には、残る夜闇の影の差す無一郎が妙に大人びて映り、鼓動が否応なく高鳴っていく。
 視線を逸らすと目に入る彼の腕に、年齢に見合わぬ逞しい筋肉の筋を見つけ、なまえは自身の顔が熱くなったような気がして戸惑った。

「そ、……それは」

 なまえは指摘を受け素直に想い馳せる。
 何故無一郎が気にかかるのか、柱として尊敬する以上の気持ちを抱えているのだろうか。――彼に迫られても決して嫌ではないこの気持ちは……

「その……、」
「うん」
「私は……」
「何?」

 顔を真っ赤にしたなまえが想わぬ告白を口から滑り落とす直前。


「ぁ」


 彼女の身体はじわじわと元に戻り、気がつけばなまえの背丈は無一郎を越していた。

「良かった! 治りました!」

 安堵したなまえが、先ほどまでの戸惑いを失い、いつもの調子でにっこりと微笑む。狼狽える彼女が見られなくなった無一郎は、掴んでいた彼女の腕をするりと手離した。

「あーあ、つまんないな。なまえともうちょっと遊びたかったのに」

 無一郎がわざとらしく悪態をつくので、なまえは隊服のずれを直しながら呆れ顔を浮かべる。しかし、直後にあることに気がつき、彼女は声をあげた。

「あれっ! 時透様、今”なまえ”って……!」

 帰路へ向かい始めた無一郎はなまえの驚きを背に受け止め振り向く。そして、悪びれずに下瞼を押し下げ、舌を出しながら飄々と言ってのけた。

「今のは間違い。君のことなんて覚えてないもんね」

 ばくばくと鳴る心臓を押さえながら、たった今の出来事を振り返り彼女は瞬きを繰り返した。


 なまえは霞柱と自分が、心配である。

攻防は明け方に

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