嘘と誠
「これはド派手にやられたな! なまえ、いやなまえちゃんか?」

 くつくつと愉快そうに腹を抱えて笑う宇髄さんを前に、私は苦虫を噛み潰したような顔をするほかなかった。
 宇髄さんは、立ったままでは手が届かないと筋骨隆々の体躯をぐっと下げてしゃがみ込む。そして大きな手のひらで押さえつけるようにぽむぽむと私の頭を撫でてみせた。

「くっ……や、やめてください」
「おうおう、油断から血鬼術にかかっといて結構な口叩くじゃねーか」
「う……」
「それにしても、律儀な技だな。隊服まで一緒に小さくなってやがる」

 楽しそうにしげしげと眺める宇髄さんの言葉を受け、一応自分でも我が身に視線を落とす。

 遡ること数分前、宇髄さんと連れ立っていた任務中に私が油断し、血鬼術をくらってしまった。
 これがどうやら術にかかると体が小さくなってしまうものだったようで、私は見事に幼な子と見紛うばかりの背格好になってしまったのだ。

「鬼は倒したし、すぐ治りますよね……?」
「さあ?」
「……冗談ですよね?」
「……いや。治らないなら治らないで鬼殺の道はあるぞ」
「……?」

 冗談めかして笑っていた宇髄さんが、ふと思い出したように目を輝かせる。ほとばしる嫌な予感に、私は身震いをした。





「ちょうど調べたいところだった。あの家、気配がおかしい気がすんだよ。なまえ、見てこい」
「ええっ!? 何で私なんですか!?」
「隣の空き地見ろ。ガキしかいねえだろ。俺が近寄ったら怪しいが、同じガキなら違和感がねーからな!」
「ちょっ、うわっ!!」

 抵抗は許されず放り投げられたのは、宇髄さんが怪しいと睨む家、その隣にある空き地だった。見れば数名の子どもたちが忙しなく走り回っている。
 くうう、いくら見た目が子どもとは言え、心は大人なのにこんな場所で子どものフリをするのは心外である。しかし自身の油断からこの姿になっている以上、大きな声で文句も言えないのが実情だ。

 仕方なしに空き地の中をうろうろしていると、鞠が飛んでくるわ、けん玉をやらされるわ散々な有り様である。
 しかも振り向いたところ、宇髄さんの姿が見えなくなっているではないか!
 一体空き地隣にある家の、何を探ればいいのか。考えあぐねて周囲を見渡していると、ちょうど、子どもが連なって例の家の敷地に入っていくところが目に入る。
 これはまたとない好機!と、私は後方にさりげなく混ざって共にその家の敷地内へと進んだ。





 前を行くのは四人の男の子だ。見た目には今の私と変わらない四、五歳程の子ども達は、家の玄関へと続く鬱蒼とした道のりをおっかなびっくり探り探り進んでいる。

「本当だよ! この家のおばあちゃんが飴をくれるって聞いたんだ」

 先頭を行く男の子の言葉を受け、目的を理解しながら私は仲間のように混ざって進んだ。

 玄関へ辿り着くと、子ども達は引き戸を叩き、「おばあちゃんいますか?」と声をかけた。すると、間もなく、音も立てず、玄関戸がスーッと開くではないか。古めかしい家にしては滑らかなその動きと速さに、私は思わず警戒心を抱いた。


「飴をあげようね」

 ほどなくして家の中から老婆の声でそう聞こえ、子ども達は各々「ほら!」とか「本当だ!」とか言い合った。彼らが玄関を覗き込むのに連なって自分も中を見る。

 老婆は玄関を抜けた先の廊下に佇んでいた。
 玄関戸を開けたにしてはやけに離れた位置にいて、妙だ。それに、朝なのに戸を閉め切って、一切日の光が入っていない室内に違和感が拭えない。

「中へお入り。飴をやろうね、戸を閉めておくれ」
「……駄目」

 あと一歩で敷居を跨ぎそうな先頭の子の肩を、無意識で掴んでいた。

 どう考えても怪しい。日の光の届かない場所へ行ってはいけない。

「何だよ、お前。見かけない奴だな」
「自分だけ飴を独り占めにする気だな!!」
「ちがっ、とにかくこれ以上進んでは駄目よっ!」

 どうにかしてこの場から早く子ども達を遠ざけねば、そう思った瞬間、老婆が薄暗い廊下で急に猫撫で声を辞め叫び出した。

「いいから早くこっちへ来いいいいい!!」

 老婆がそう叫んだ途端、急に下半身の体感温度が変化した。視線を下げて急激に緊張感が高まる。鉤のついた縄をこちらへ投げたのか……老婆は私のキュロット裾を一瞬にして剥ぎ取り、手繰り寄せたその生地を見てぎりぎりと歯軋りの音を立てた。

 急に私の片足がはだけ、それが老婆の投げた縄によるものだと気がついた子どもたちは、悲鳴を上げ一目散に逃げ出す。

 彼らの後を追おうとした時、何かに猛烈に身体を引っ張られるのを感じ、急いで近くの木に捕まった。老婆が再度投げた鉤縄が、腰のベルトに引っかかったようだ。
 さっきの、一瞬にして隊服をも引き裂く力。とても老婆、いや人間の力とは思えない。

「お前、鬼狩りだな?」

 こちらこそ、「お前鬼だな」と言いたいのをぐっと堪えて、木にしがみついた私は黙り込む。ここは日向だから、奴は私を日の当たらぬ室内に引き寄せたいのだ。

 状況がまずい。刀を持っていないから縄を断ち切ることができない。その上この小さな身体では、握力が持たない。

「……くっ……ッ!!」


 木にしがみつく腕がじわじわと引きずられる。
 いよいよ老婆の力に抗えず身体が宙に浮いたその時だった。

 急な軌道を描いて私の視界は地面から大きく離れた。

「お手柄だななまえちゃん!」

 ごく近距離から聞こえた声に心底安堵する。

「宇髄さん!」

 私は肩に担ぎ上げられているらしく、見えるのは宇髄さんの背や足元ばかり。何が起こっているかよく分からないながら、刀を引き抜くのに邪魔にならぬよう精一杯体を丸め、しがみついた。

「おのれ鬼狩り……ガキを寄越せ、ガキを寄越せえええ!!」
「物騒なこと言ってんじゃねえよ」

 宇髄さんが考えられないといった口調で呟く。

 喉仏の動きが分かってしまうくらい。
 宇髄さんの声が、触れた肌越し、そしてごく近い左耳に響く。

 背後に位置する鬼の気配に集中していると、宇髄さんが片手で刃を振り下ろしたのが分かった。そうして、老婆の姿をした鬼は断末魔を上げ、最期の時を迎えたのだった。





 ふう、と安堵の一呼吸を置いてから、至極安全な宇髄さんの肩の上で私は猛烈な自責の念に駆られた。

 死ぬかと思った。

 今安心しているからこそ際立って感じられる、瞬間的に訪れた底なしの危険と恐怖。

 何故あの鬼相手に自身が死にかけたのか。それは言うまでもなく血鬼術をくらい幼な子の身体になっていたからで、小さな油断が大きな敵になりうることを打ちひしがれるほど全身で実感する。

「宇髄さん、すみませんでした。もう絶対血鬼術くらいません」
「珍しく殊勝なことを言うなまえちゃんだな」
「う……反省しているのでちゃん付けで呼ぶのやめてください……」

 宇髄さんの優しさに甘えて普段散々な口を聞いてきた自身を呪いながら、懇願する。と、宇髄さんの明るい声が再び触れている肌越しに響いた。

「お。反省が効果的だったか」

 宇髄さんの言い回しに予感を感じて、私は周囲を見回した。
 なんだか大きく感じた室内が見慣れた大きさになり、先程まで空高くいるように感じた宇髄さんの肩の上も楽しい肩車くらいの気分に、

 そこまで来て私は唐突にあることに気がつく。

「ひ……ひだりあし」
「あ?」
「ぎゃーーーっ見ないで! 見ないでください!! 目、瞑って!!」
「あぁ? オメーのガキんちょ体型なんて微塵も俺の琴線には触れねえっつーの」
「そっそういう問題じゃないです!!! 降りますっ降ろしてくださいいい〜〜」

 ジタバタと暴れ出す私を、宇髄さんは心底面倒そうに降ろしてくれた。助けてもらった身で無礼であることなど、気が付く余裕は到底なかった。





「もう……お嫁に行けない……」

 人前、それも殿方の前、しかも目の真ん前に、太ももを露わにしてしまうなんて。思い出すたびに顔中が熱くなり、宇髄さんと目を合わせることができない。
 宇髄さんが自慢の麗しい容姿を活かして近所の家から調達してくれた古着をまといながら、それでも私は恥ずかしさで身悶えしていた。
 両手で顔を隠し嘆き続ける私の横で、宇髄さんはといえば呆れたようにため息をついたり、愉快そうに笑ったり忙しくしている。

「お前、ちゃっかり嫁に行く気だったのかよ」
「そりゃ、いい方がいれば」
「いい奴がいてもなまえは扱いきれないだろ馬鹿か」
「ばっ、馬鹿じゃないですよ!」
「いいから行くぞ」

 受け流すことにしたらしい宇髄さんがこちらに手を伸ばす。不意に頭に大きな手がのせられ、身体がびくりと跳ねた。自虐的な気分なのに、「幼な子の身体でなくても宇髄さんの手は大きく感じるのだな」なんてことを考えてしまうから愚かだ。

「嫁の貰い手がなかったら最悪俺がもらってやっから」

 急に宇髄さんがそう言って、心臓を鷲掴みにされた気分になった。いつも調子のいい宇髄さんの声色は、時折嘘か誠か分からない色を含む。
 それは気味の悪い屋敷の中で玄関先の日向が映えるように、特別に温かくて、揺らがされて、どう受け取っていいのか分からなくなるから、正直言って苦手だ。

 大人に絆されてはいけないぞ、と宇髄さんを先輩以上に捉えそうになる気持ちを押さえつけて、急いで返事を紡ぐ。

「おっお断りしますっ宇髄さんの奥さんなんて、あのお嫁様方しか務まりません!」
「なっ! てめえせっかく優しくしてやったのにそういうこと言うか?」
「大体豊満な肉体じゃないと琴線に触れないんでしょう!?」
「あ?」

 私の応戦に、宇髄さんは突然止まってしまった。一瞬の間ができて、心許ない。なんだなんだ、言い過ぎてしまっただろうか。
 気まずさにこっそり宇髄さんの様子を見る。すると、じっとこちらを見下ろしていた宇髄さんと視線がぶつかってしまった。
 
 宇髄さんは一回斜めに視線を逸らした後、小さく息を吐いてはっきりと言い切った。

「訂正する。琴線に触れないこともない。子どもを守った女の魅力に気がつかないほど、俺の美的感覚は狂っちゃいないからな!」

 顎を上げにやりと得意げに笑う宇髄さんが眩しい。それ以上目を合わせていられなくなって、今度は私が逃げるように視線を逸らした。

「すっ、素直じゃない言い回しですね!」
「あ? 素直じゃないのはどっちだか。お手柄の褒美にあんみつでも食わせてやろうかと思ったけどやめだ、やめやめ」
「えっ! あんみつ!! いります! 食べたいです!」

 宇髄さんは私達の間に一瞬だけ流れた、色香の温度を含む空気感を自然に受け流して、こちらの出方を確認する。
 そして私に失言を許す態度を示してくれるのだ。

「いーや、俺を崇めない奴には奢らない」
「よっ! 祭りの神!! 日本一!」

 だから私は精一杯甘えて、この先輩に恩返しできるよう精進しようと思うのだ。

 それが私の立場でできる、「宇髄さんをお慕いする」だから。

嘘と誠

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