煌めき
 煉獄杏寿郎が対峙したのは、火花を散らすような血鬼術を使う下弦の鬼であった。
 細かく飛び散る火花は軌道が読みにくく、今までこの技により生きながらえてきたのだろうと容易に想像がつく。しかし、下弦の印を瞳に刻む鬼の頸を、炎柱は鮮やかな一太刀で斬り落とした。

 斬り際、杏寿郎の目には微かに火花が散ったように見えた。振り返れば、先に下弦鬼と出くわしたなまえが隊服の端を叩いているのが目に入った。

「鬼は斬った。異常はないだろうか」
「はい! 隊服に穴が開きましたが、身体は無事です!」

 快活に答えたなまえは、階級・丁の隊士だ。まだまだ発展途上ではあるが、やる気に満ちた杏寿郎の後輩である。
 指導を受けるべく彼への同行を許可された任務帰り、なまえは薄暗闇で遊ぶ子どもを日向へと誘導した。その際に、たまたま下弦の鬼と出くわしたのだった。

 柱である杏寿郎と行動を共にしていた為、幸いにして被害を広げずに鬼を斬ることができ、彼女は安堵の息を吐いた。

「うむ! ではその子を送り届けよう!」
「はい……!」

 なまえはくるりと向きを変え、身を挺して庇っていた子どもと顔を合わせる。「もう大丈夫よ」と声をかけると、小さな手が彼女にしがみついた。





「一件落着だな!」

 子どもを無事に家まで送り届けた帰り道、きりりとした表情を浮かべ杏寿郎が言った。

「うん!」

 なまえが同調するように明るく相槌を打つ。

「……?」

 それを受け、杏寿郎は僅かとは言い難い違和感を抱いた。普段に比べ、どうにもくだけた言い方である。いつも熱心に稽古に打ち込む、生真面目な印象の彼女らしくない。

 横目でちら、と様子を確認した杏寿郎は、先程の彼女の発言を思い出した。血鬼術が隊服に穴を開けたと言っていた。

「なまえ、身体に異変はないか?」

 杏寿郎はしっかりと彼女に顔を向け問いかける。

「いへん??」
「……変わったところだが」

 彼女の気の抜けたような返事を受け、杏寿郎は訝しんでなまえをよく見つめた。
 合わさった両の目はぱちりと開かれ、純真さの輝く爽やかな顔立ちはいつもの通りだ。しかしよく見ると、なまえの黒目はあどけない煌めきを宿しているようにも見える。

「なまえ、君は今何をしている?」

 杏寿郎はあえて、問いかけてみることにする。

「お兄ちゃんと、遊んでる!」

 そしてなるほど、一体どういう訳か察しがついた。
 なまえが血鬼術にかかっているらしいことに勘づき、杏寿郎は彼女をより鋭く、険しい視線で余す所なく観察した。彼女に擦り傷以外の怪我はない。確かに隊服の裾に穴が空いているが、その下に肌着が見えているので手当するような負傷はしていない様子だ。

 だがそれでは、余計に難しい。物理的に治す箇所がないというのは、術を解くための第一の取っ掛かりがないことを示している。

「ねーねー、次何して遊ぶ?」
「……うむ!」

 相槌を打ってやりながら、杏寿郎は考えを巡らせる。
 外見上には変化がなく、等身大のなまえである。ただし発言の拙さと緩んだ頬の様子から察するに、彼女の精神部分が幼くなったのだと思われた。

「よしなまえ、胡蝶のところへ行こう」
「こちょ……こちょ? うふふふっ! こちょこちょー!」

 杏寿郎の言葉を受け、分かる単語で遊び出したなまえは、迷わぬ動きで杏寿郎の脇めがけて手を突き出した。そしてはにかんで笑いながら彼の顔を確認し、指先を動かしてくすぐり出す。
 全集中常中を会得している杏寿郎としては全くもってぴくりともならない刺激だが、それ以上に、見た目はもうすぐ二十歳を迎えようという立派な娘が、公衆の面前で男の脇に手を突っ込んで戯れているという事実が、何よりも彼の心をむず痒くさせた。

「……なまえ、ここでその遊びは適さん。やめてもらいたい」
「……?」

 どのように接するべきか探りながら、杏寿郎はあくまで冷静に伝えた。しかし、なまえの心は繊細な少女なのである。手を止めたなまえは杏寿郎を呆然と見つめると、「おもしろくないの?」と一言呟いて、みるみるうちに目に涙を溜め始めた。

 向かい合う男女、男を見つめる涙目の娘。
 通りすがりの男衆が見ものだと言わんばかりに眺めているので、杏寿郎は早くこの場を離れねばと感じる。

「なまえ、行くぞ!」
「やだぁ〜〜!! 遊ぶーーー!!」
「む! これは参るな!」

 杏寿郎は泣き出したなまえを前に、自身の経験を振り返った。千寿郎が幼かった頃はよく頭を撫でたり、泣き止むまで抱きしめたりしたものだが、それを女性にやる訳にもいかない。

 もうこのまま、一旦抱えて無理やりにでも場を去るのが最善かと思ったその時、杏寿郎は視線の向こうに良いものを見つけた。


「なまえ、道脇の草はらにある煌めきが見えるだろうか」
「??」

 杏寿郎に誘われるようにしてなまえが振り向く。少しばかり目をこらした彼女は、それから「あ!」と声を上げ、脇目も振らずに指し示された方へ駆け寄った。
 なまえは草はらにしゃがみこんだ後、にこにこした表情を引っ下げ、杏寿郎の元へ戻ってきた。

「ビー玉!」

 彼女が広げて見せた手の平の上で、薄水色のビー玉が小さく揺れる。

「うむ、元気が出たか!」
「うん!!」

 存外素直に泣き止んだなまえに一安心しつつ、杏寿郎が問いかけると、彼女は満面の笑みを返した。
 杏寿郎はそれを目にした途端、得も言われぬ感覚に襲われ目の前の後輩から思わず視線を逸らした。

 なまえは杏寿郎にとって、期待をかける大切な後輩である。そして鬼殺隊にとっても、彼女は欠かすことのできないかけがえのない仲間だ。普段の彼女は意思の強い視線を携え、どのような時にもきりりとした緊張感を損なわず、それでいてあたたかい気遣いのできる聡明な印象であった。

 あれは覚悟の美しさなのだ、と杏寿郎は密やかに納得した。彼女が鬼殺の道を歩むに至る過程で積み上げたであろう尊い覚悟が、あの態度を、姿勢をつくっていたに違いない。
 それがない今のなまえは天真爛漫で愛らしく、何を疑うでもなく何に気を引き締めることもない一人の少女だった。

 彼女の純真な笑顔を真正面から受けるのは、何故だか杏寿郎には気がひけた。彼女と同じように、自分が自分ではなくなってしまうような一抹の危うさを感じたのだ。

「これ、あげる!」

 さりげなく視線をずらす杏寿郎の目に留まるよう手を差し出したなまえは、そう言ってビー玉を彼に譲ろうとする。

「それは君が見つけたものだ!」
「いいの。お兄ちゃん優しくて大好きだからあげる!」
「……そうか、」

 そこまで言って、杏寿郎は少しばかり言葉に詰まった。面と向かってこのように評されるのは、彼にとって実はあまりないことだからだ。
 沢山の人々に感謝され、沢山の仲間に認めてもらいはしてきたが、それは窮地を救ったとか剣技の腕前が優れているという話であって、彼女がたった今杏寿郎に向けている好意は、彼には何か別のもののように感じられた。

「それは光栄だな!……ありがとう」

 杏寿郎は内心の動揺を隠しながら、彼女の厚意を受け取ることにする。なまえの指先が触れ、ビー玉を受け取った手のひらが、杏寿郎には甘やかな熱を内包しているように感じられた。


「さて」

 受け取ったビー玉を隊服の胸ポケットにしまい、杏寿郎は改めて柱として彼女の状況を鑑みる。早く元に戻してやらねばなるまい。

 杏寿郎の見つめる先で、なまえは今度、気ままに通りを駆け回り始めていた。通りの子どもが唖然としてその様子を凝視している。
 そうこうしているうちに、彼女はズザッという音を上げて盛大に転んでしまった。普段は軽やかな身のこなしをしているなまえが哀れにもひっくり返る姿を見て、杏寿郎は彼女に駆け寄る。

「膝が痛いようー! 血が出たかもしれないいい〜」

 ひいひいと喘ぐなまえを道行く人々の目から遠ざけることを最優先に考えた杏寿郎は、「失礼」と小さく声をかけてなまえを抱き上げる。そしてその場をあっという間に飛び去ったのだった。





 ひどい頭痛と瞼の重さを感じながら、なまえは目を開けた。視界に入った周囲の景色がひとっとびで変化しているので酔いそうになる。
 しかし見上げた視線の先に炎柱を認識し、自身が彼に抱き抱えられながら移動していることに気がついたなまえは、素っ頓狂な声を上げた。

「れっ煉獄さん!? わ、私怪我をいたしましたでしょうか!?」
「む、元に戻ったか!」

 大焦りのなまえに、杏寿郎が小気味よく答える。しかし「戻った」という言葉がなまえには解せない。

「??」
「君は今何をしている?」

 杏寿郎が、彼女が術にかかった時と同じように問いかける。

「煉獄さんと共に下弦の退治を。鬼は煉獄さんがとどめを刺してくださり、二人で子どもを送り届け……た……と思います」
「よし、問題ないようだな!」

 なまえの答えを聞き、快活な様子で杏寿郎が頷く。

「へっ!? では何故、あの、このような事態に……? 私、意識を失ったのでしょうか?」
「うむ! そのようなものだ!」
「はっ!! もしや何か鬼の術に……」
「そのもしやだ!」

 杏寿郎の言葉を受け、生真面目ななまえの表情が固くなる。やたらと土埃のついた隊服と、何故だか痛い膝に気がついたなまえからさーっと血の気が引いていく。

「あああっ! な、何があったのでしょう!?」
「君は気にする性質だから知らない方が良いと思う!」
「そんなっ……! 気になります! あああ……」
「気にすることはない!」

 杏寿郎が視線を下げると、両手で顔を覆っているなまえが目に入った。赤く染まった耳が、隠しきれずに見えている。それは覚悟を取り戻した彼女が唯一油断して見せる可憐さのようで、杏寿郎はその様子を心の内で好ましく思った。


「本日はその、本当にきっとご無礼を働いたかと思います! 大変失礼いたしました!!」

 一時滞在している藤の花の家紋の家まで送り届けたところで、なまえは深く頭を下げた。杏寿郎に有無を言わせぬ勢いだ。
 再度気にすることはない旨伝え、杏寿郎はその場を後にした。なまえは彼の姿が消えた後もしばらく頭を下げ続けた。


「兄上! おかえりなさいませ!」

 千寿郎に迎えられた杏寿郎は、こくりと頷いて帰還を示す。

「千寿郎も、立派に成長しているな!」
「わっ……兄上?」

 今日のことを思い出し、思わず弟の肩に手を置いた杏寿郎に、千寿郎は驚いて目を丸くしたのだった。





 羽織りを下ろし隊服を清潔なものに替えようとして、杏寿郎はポケットの中身を思い出した。
 指で摘んで取り出してみれば、薄水色のビー玉は僅かな周囲の光を集め煌めきを見せる。

 その煌めきは、鬼殺の道を歩む前に宿していたであろうなまえの瞳の煌めきとよく似ていた。

「お兄ちゃん優しくて大好きだからあげる!」

 手元のビー玉を見つめていると、純真ななまえの笑顔が思い出されるようである。

 一人思わず眉を下げた杏寿郎の頬に、小さな笑みが浮かぶ。

 杏寿郎はビー玉を簡単に隊服で拭き、綺麗にした。
 それから箪笥の上に飾ってあるちりめん細工の傍ら、よく見える位置に、なまえの優しさの宿る煌めきをそっと置いたのだった。

煌めき

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