13話
 声に気がついた二人が振り返ると、そこにはなまえを許嫁と言って譲らない例の男が立っていた。
 ただならぬ義勇となまえの様子に、こめかみに青筋を立て頭に血が上っていることが感じ取れる。

 足早に近づいてくる男が義勇に危害を加えそうに見え、すぐさまなまえが男の元へ駆け寄った。

「お手紙を受け取るのが遅くなり、お返事が遅れてしまいましたが、決してあなた様のお考えになっているようなことはございません!」

 立ちはだかるように飛び出したなまえを見て、男がじろじろと彼女の全身を見る。

「なまえさん、大分着飾ってますね。金目のものは盗まれたのではなかったのですか?」
「こ……これは、」
「まさかその男に用意してもらったのでは?」
「……いえ」

 義勇の前でそのように言うのは心苦しかったが、彼の立場を守るため、なまえには義勇から受け取った着物であると認めることができなかった。

「ああ良かった。ではやはり、駆け落ちは私の誤解ですか?」
「ええ」
「貴女はそこにいる男のことなど興味はないと、断言できますね?」

 男の底意地の悪い質問が続く。義勇の前であえて聞いているのだ。

「……」 

 なまえが答えに躊躇したその時、突然男の方が声を上げた。

「お前……義勇か?」

 男と義勇は、幼少の頃に数度ほどだが顔を合わせたことがあった。親戚が集まる機会、時間を持て余した子ども同士が戯れる場に、男も義勇もいたのだ。
 男は当時義勇より上背があり、隙を見ては義勇を突き飛ばしたり押しのけたりして、義勇が姉に縋るのを馬鹿にして鼻で笑った。
 遠いとは言え親類にあたり、面識がある義勇に男はすぐさま気が付いた。

「まさかお前……生きていたとは」

 男を振り返る義勇は、決して「何を考えているか分からない」表情ではなかった。
 静かな佇まいと状況を把握する視線の中に、そこはかとない嫌悪感がにじみ出ている。

「しかもお前……腕が片方無いじゃないか」
「お止めください。子どもが驚いております」

 男の剣幕に近くで見ていた子ども達の足が止まる。これ以上義勇の尊厳を踏みにじられたくないなまえはそう言って男の発言を制した。

「そうですね。こんな男に構っても仕方がない。あいつに何ができましょう。私なら貴女に十分な生活を保障できる。女中が沢山いますから、貴女は何一つやらなくていいんですよ」
「まあ、それは」

 力なく笑って応じるなまえを、義勇は静かに見つめた。

 義勇は隻腕の身体も、親戚の家への道を逃げたことも、己の信念を貫いたまでで決して恥にも惨めにも思いはしなかった。
 しかし、自分はなまえに何の不自由もかけない人間であると、自信を持って言い切れるような者ではないとも思われた。
 健康で、財も縁もある者の方が、生きていくにあたり困難は少ない。それならば、彼女を引き止める権利など自分のどこにもない。
 何より彼女が、自分自身で出した答えなのだ。命を、想いを繋ぐと。その崇高な決断に水を差すことがあってはならない。

「さあ、行きましょう」

 なまえの手を引いた男が、彼女の動きなど気にせず颯爽と歩きだす。
 慌ててついていかざるを得ないなまえは、少し進んだのち、男に気取られないように義勇の方を振り向いた。

 なまえは義勇に、唐突に再会した自分を助けてくれた礼を言いたかった。
 夫となる男の非礼を詫びたかった。

 共に過ごせた時間が楽しかったことも

 今日一日が一生の幸せとなることも

 ずっと昔から、好いていたことも伝えたかった。


 名残惜しさに涙が込み上げてくる。しかしここで泣けば義勇に心配をかけることになる。
 なまえは眉を下げたまま精一杯の笑顔をつくり、義勇に向かって小さく会釈した。
 どうせなら、笑った顔を覚えていて欲しいと願った。

 儚い笑みを浮かべたまま義勇の元を去りゆくなまえは、男の方へ向き直ると、こぼれた涙を拭った。一滴たりとも、決して男に見られたくはなかった。


 風が強くなってきた。

 桜吹雪の中に取り残された義勇はその場を微動だにせず、桜色に身を包んだなまえが視界から消えるまで、その後姿を見つめ続けた。

13話

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