可愛い後輩論
小芭内は、眼下に広がる光景に辟易していた。伊黒邸の門を抜け、玄関先に辿り着いた隊士が二名。鼻の下を伸ばしてだらしなく話している。
「キュロット姿のなまえさん、初めて拝めた……」
「いつも隠れてるものが見えると、こう、目が釘付けになるよな」
彼らは縫製係に頼まれ、定期的に新調される柱用の隊服を任務のついでに届けに来たらしい。小芭内は自身より一足早く門を抜ける彼らの後ろ姿を捉え、なまえが対応したのが分かったので、気配を消して隊士同士のやりとりを松の木の上から観察していた。
なまえは洗い替えなどで時折キュロットの隊服を用いる。そんなことは本人にとっても小芭内にとっても瑣末なことであったが、彼女は思いの外、他者の視線を浴びている。
一見して継子。しかし聞けば継子ではないらしいなまえ。気難しく厳しい蛇柱が唯一稽古をつける彼女の存在は、一部の隊士からは謎に包まれた女隊士として密かな注目を集めていた。
小芭内はこれまでに何度か、「なまえさんは今日はお一人で任務に当たっていた」などとなまえが噂されているのを耳にしたことがある。酷い時は、「蛇柱に気に入られているらしい」といったろくでもない憶測すら聞き、心底うんざりしていた。それを打ち消すかの如く、噂の広がりに比例して小芭内の態度はなまえに厳しくなった。
小芭内はなまえの女性的魅力についてなど深く捉えたこともない。”深くは”捉えていないというのが正直なところで、周囲の反応などから”一般的な視点で見れば”なまえがそれなりに器量の良い娘であることくらいは把握している。しかし小芭内には甘露寺蜜璃という心奪われる存在がいるし、何より彼は誰であれ相手を見るなり、一方的に値踏みするような見方はしない。まずどんな人物であるか、小芭内にとっての視点はその一点だけであり、彼にとってなまえの存在は、「稽古をつけている隊士」に他ならなかった。
だがどうしたものか、隊士達がなまえの話をしていると、ただの「稽古をつけている隊士」にしては、小芭内の中でぎりぎりと不快感が募るのだ。
やれ「笑いかけてもらった」だの、やれ「手が触れた」だの。およそ鬼殺隊の本分を弁えているとは思えない発言の数々。やる気もなく役にも立たない奴は戦闘の場では邪魔になるだけ。
そのため幾度となく、任務や鍛錬に集中するよう、小芭内は隊士達を注意したこともある。
しかしそれだけでは、彼の胸の内の絶妙な不快感は消えなかった。
一通り屋敷の中を確認してから玄関先に戻ってきたなまえを眼下に捉えながら、小芭内は憂いのようなその思いを反芻する。
「お待たせいたしました! 伊黒さんまだお戻りになっていないみたいなので、お荷物は私が受け取ります」
例えばあの表情。相手の目を見つめて微笑んだりしたら、馬鹿な男は誤解するものだ。これではまた隊士が思い上がるだろう。
「あっ任務前ですよね? お茶をお淹れしますので少し喉を潤してからご出発なさってください!」
すぐに何かを振る舞おうとするのも悪い癖だ。あれで多くの隊士が彼女の虜になる。
観察すればするほど、言いたいことが積もってとぐろを巻いていく。
なまえが茶を入れに屋敷の奥へ引っ込んだ側から隊士達が興奮を隠さない様子なので、小芭内はますます腹が立った。此奴らは、人の屋敷に一体どんな心積もりで訪れているのか。
「なまえさんいい匂いしたな……!」
「じきじきに茶を注いでもらえるかもしれん」
小芭内はいよいよ我慢ならなくなってわざと音を立てて松の木を飛び降りた。
隊士二人はその音に驚き、慌てふためいて取り繕った挨拶をする。
「蛇柱様!お戻りですか!」
「とっくに戻っていた」
「……え」
小芭内にぴしゃりと言い返され、男二人は揃って言葉を失った。
「お前達を見ていると、鬼殺隊とは随分お気楽な組織のようだな」
「いっいえ! そんなことは……」
「そんなになまえと関わりたいのならお前らに稽古をつけてやってもいい。あいつが吐く姿も見られよう」
「ひっ!! へ、蛇柱様は、なまえさんを大切になさっているとお聞きしましたよ!」
「あいつは吐いても諦めないからな。お前達のこともその”大切”とやらにしてやろう。俺を苛つかせないならの話だが」
「……っ」
隊士二人が蛇柱の提案に絶句していると、廊下を進むなまえの足音がうっすらと響いてきた。
小芭内は話を切り上げにかかる。もうなまえと彼らが顔を合わせるのは我慢がならなかったのだ。
「さあ、中へ入るといい」
「いっいえ! 自分達はこれから任務がありますので!」
「こちらで失礼いたしますっ!」
慌てた隊士二名はそう口にすると、逃げるように後退り大急ぎで門を出て行った。
「お待たせいたし……あっ! 伊黒さんお帰りなさいませ!」
「ああ」
「あれ? 今こちらに隊士が二名おりませんでしたか?」
「知らんな」
小芭内は嘘を吐いた。
鬼殺隊の士気を上げる為。そう言い訳したいが、それだけではなかったような気がする。ばつの悪い自覚があるので追い返した旨をそのまま話すのは気が引けた。
「それよりお前はまた油を売っていたのか」
「そっそんなことないですよ! 戻って間も無く隊士の方がお見えになったのでお茶をご用意しただけです」
「それが余計だと言っている」
「えっお茶をお出しするのも駄目なのですか?」
駄目かと聞かれれば駄目では決してないのだが、どうしてか小芭内は隊士達の好奇の目になまえが晒されるのを好ましく思えないのだ。
小芭内は自身の中で急ぎ結論づける。自分はあくまで貴重な成長株を尊重し、丁寧に育成しているだけだと。
それは別に男女の情がどうというものではなく、気にかけて大切にしているものを他人にべたべたと触られたくないような類いのものである。
(――ああ、)
小芭内は、かねてから煉獄杏寿郎が蜜璃を評するときの「可愛い後輩」という言葉の意図を読めずにいたが、悔しながら少し分かるような気がした。
「無駄口を叩く暇があるならさっさと稽古着に着替えてこい」
結局のところ、蛇柱はなまえを気に入り大切にしている。
例の噂を肯定している事実を密やかに棚に上げた小芭内は、素知らぬ振りをしてそう口にしたのだった。