寛三郎のお節介
「なまえ、戻ッタゾ」「寛三郎さん!おかえりなさいませ」
朝日がしっかりと昇り、気持ちのいい空気が満ちた頃、いつものように寛三郎が玄関から飛び込んできた。
最初こそ義勇と間違えなまえを任務へ連れ出そうとしていた寛三郎だったが、数度顔を合わせるうちにすっかり彼女のことを覚え、今では孫娘のように可愛がっている。
なまえの方も屋敷に一人でいる時間が長い為、寛三郎の帰りは喜ばしく感じていた。たまにしか戻らず無口な義勇と比べ、寛三郎は連絡の為に度々屋敷へ顔を出したし、高齢で特有のゆとりを持っているゆえ気負いなく会話ができ、寂しさが紛れるのだ。
「極楽ジャ……」
寛三郎は庭に置かれた桶の中で、満足げに呟いた。
義勇は屋敷に戻るとまず入浴する為、寛三郎にも、となまえが水浴び用にぬるま湯の浅い風呂を用意したのだ。
「どくだみの葉を用いた薬湯です。傷にしみませんか?」
「極楽ジャ……」
言葉が届いているのかいないのか、足だけを浸けた寛三郎は目を閉じて感じ入っている。
昨日、しばらく屋敷を留守にしていた義勇から「明朝、屋敷へ戻る」と連絡があった。その知らせを寄越した時の寛三郎の足に小傷がついていた為、傷に良いとされるどくだみの葉を用意しておいた。果たして鴉が浴びても問題はないか少し不安だったのだが、しみじみと「極楽」を繰り返す寛三郎の様子を見て、どうやら大丈夫そうかとなまえは一安心した。
「コレハ良イ。義勇モ入レ」
むしろ、大変に気に入ったらしい。寛三郎は目を閉じたまま義勇の名を口にした。
「義勇様もヒト用の風呂にお入りになっておりますよ」
寛三郎の調子にすっかり慣れたなまえは、桶の置かれた台に手をついて、くすくすと笑いながら相槌を打った。
「デハなまえモ入レ」
「わ、私ですか?」
突然の誘いになまえはきょとんと寛三郎を見つめた。寛三郎はぱしゃぱしゃと音を立て一歩二歩横にずれる。その様子に、なまえは思わず顔を綻ばせた。
「では、お言葉に甘えて少しだけ、お邪魔しますね」
そう返して、なまえはぬるい薬湯に指先だけちょこんとつけてみせた。寛三郎が自慢げに「ドウダ?」と聞く。
「気持ちいいですね〜」
「イイ具合ダ……」
「立派な露天風呂ですね」
「……」
「?」
「……」
「寛三郎さん?」
お喋りに興じていたなまえだったが、寛三郎が急に返事をしなくなったことに気が付き彼を見た。寛三郎は何か考え事をする時はよく黙ったが、どくだみが悪影響ではなかったか心配も残る。
「寛三郎さん、大丈……」
「行カネバ!」
心配するなまえをよそに寛三郎は突然そう放つと、青光りする黒い翼を大きく広げた。そのまま羽ばたこうとし、水しぶきが周囲に盛大に飛び散った。
「わっ!わわっ……!寛……三郎さっ!どうしたんですかっ!?」
「指令ジャ。指令ヲ確認ニ行ク!」
「あっ、はい!わぁっ!!」
思い出すなり飛び立った寛三郎を、顔にかかったもはや冷たいぬるま湯を拭いながらなまえは見送った。相変わらずの様子に苦笑いしつつ、台に飛び散った水滴と自身の濡れた割烹着を見回す。髪まで濡れてしまい、タオルを取りにいこうと振り向いたところだった。
「どうした……?」
物音に気が付いた義勇が、庭へ様子を見に来ていた。濡れたなまえは、振り向きざま正面から義勇と鉢合わせた。
「申し訳ありません!あ、あのっ、只今寛三郎さんと水浴びをしておりまして……」
騒がしくしてしまったことについてそう弁明するなまえは、義勇から見ればひどい濡れようである。
割烹着は透け着物の柄が見えているし、前髪が肌に張り付いている。
義勇の不可解なものを見る目に、なまえは震えあがった。鎹鴉に余計なことをしたと、叱責されるかもしれないと思われたのだ。
一方義勇の方も訝しく思っていた。彼女は寛三郎と共にここで水浴びをしていたと言う。
彼女の態度を鑑みれば勝手に風呂など使用しないだろうし、かと言って銭湯へ行くにも屋敷を留守にはできないはずである。考えあぐねた末のことなのか?しかし鴉と水浴びでは、汚れもろくに落とせまい。
「……風呂なら、俺のいない時に使ってもらって構わない」
少々の沈黙ののち、義勇はそう切り出した。
「えっ?」
なまえは思っていたのと違う言葉を受けぽかんとする。
なまえはこれまでのところ、勝手ながら風呂の残り湯で足を流したり身体を拭いたことはあったのだが、自分は臭かったのだろうかと義勇からの突然の勧めに戸惑った。
「……ぁ、はいっ」
彼女からすると脈絡のない話ではあったが、何はともあれ水柱からの申し出なのでなまえは訳も分からぬまま返事をしたのだった。