hot milk honey(1/1)




眠れない。

そう気が付いたのはいつのことだったか。否、互いに明言はしていない。生活が極端に不規則になる新規ベンチャー部署の立ち上げに関わってからの発も、明朝四時には起き出して、隣町の店までバイクを飛ばして仕込みにかかる天化も。
だいたい、今生活圏をある程度共にしているこの関係が、所謂同棲に当たるのかどうかも些か怪しい。好きの言葉は唇に乗せ、しかし見ているのは背中だけ。そんな日々が続くことが、本意か不本意かもよくわからない。
ただ、なにかが欠けている──そう感じた瞬間に、抱き寄せて薄れかけたその存在の香りに胸を満たされる辺り、やはり好きだなぁと。そうやって続く恋だった。止めることは何度も考えて、何度もぶつかり削れて離れ流され掻き消され、結局求めてしまう皮肉混じりの笑顔とぬくもり。背中に回す腕と重なる腕だけは、互いにいつでも素直だった。
そんな二人が十年目。

眠れないのだろう吐息を、互いに背中に感じる日が増えた。抱き合い尽くして泥みたいに眠る日も、十年前より減っただろう。
発の指がライナスの毛布よろしく天化の襟足を擽って、天化の指も発の伸びた無精髭を辿る。チクチク痛くて擽ったい。そんな戯れに堪らなく安心して、明日が来るのが惜しくなる。

大人は、かくも不便な生き物だ。

子供の頃に夢見た大人は、弱音の一つ吐かずに輝いて、明日に希望を抱いていたはず。

仕事もある、幸せもある、しかし感じる物足りなさと一抹の不安に、吐きたい弱音を飲み込んだ。それはきっとお互い様だ。

そんな馴れ合いに似たベッドの中の触れ合いも、茶々を入れる日常の共同作業戦線も、子供を卒業したあの日から少しずつ掠れ燻ったまま。

目は開かない。見なくてもわかる互いの顔形。天化が身を竦めて頬を染める耳の裏も、発が目を細くする鎖骨の窪みも、互いの指が知っているから。

貪りかねる惰眠と、遅れがちな睡魔の狭間で、二人が二人苦笑いして吹き出した。そんな所は相変わらず、似た者同士の子供らしい。
思い立ったら即行動。それが発の変わらないモットー。
ふらりと主の抜けたベッドの隅で煙草を咥えた天化が一人。伸びをしたら火を揉み消して、ニッと剥いた歯と共に発を追ってキッチンへ。好奇心を我慢しないのも、天化の変わらない本能だ。

「なにさ、ソレ」
「んー」

言葉少なな発は、本当に気を許した一部の人間しか目にすることは許されない。華奢な手が緩慢な動きでミルクパンを火にかけた。

「へぇ、俺っちが買ったヤツじゃん。やっと使う気になったんかい」
「まぁな」

皮肉な笑いに笑いを重ねて、
「蜂蜜ってあったかよ?」
「ああ、ほいよ」
天化が漁る白い上棚。パスを受けた発が反対の手に取る牛乳パック。ああ、と天化が頷く頃には、火にかけられた真っ白のミルクがあまい香りをたゆたわせていた。

ゆらゆら、ゆらゆら。

湯気と香りを吸い込んで、二人で思わず目を閉じる。舞い上がる安心、吸い込む甘さ。跳ねる純白が薄いクリーム色に色付いた頃、ふと天化の唇が割り込んだ。

「これ入れたらいいさ。」
「あん?」
「"失礼しますさー"」

木べら片手な発の背後から嬉々として放り込まれる茉莉花茶。懐かしい薫りに、ああ、と発も笑い出し、
「"1年生の姫発です。眠れないので休ませて下さい"ってかー」
「"眠れないなら太公望先生のゼミを取るといいよ、5秒で眠れるからね。"ってさ。元気にしてっかね、普賢センセ」
「絶対してるわ、ありゃーしぶといぜ鬼の普賢」
「まだ飲んでるんかなーこれ」
「じゃねぇの?太公望もだろ」
思い出話は夜を舞う。

途端に色めいて華やいだ茉莉花チャイに近い名前のない"なにか"、は、まだ穏やかに湖面を揺らし、漂う香りはあたたかさを運んでくる。
寄り添って立つキッチンが狭い訳ではないけれど、必要以上に寄り添うことが、今はなにより必要だった。
木べらを滑らせる発の手付きを笑って咎めた天化の指が、少し伸びた発の寝間着のパンツをつんと引く。そんな天化に可愛いと告げて、発はそれきり無言で天化の腰を抱き寄せる。

当たり前の触れ合いが、冷えた心を溶かすように。
知らないまま一日賞味期限を過ぎた冷たい牛乳も、缶の底で湿気りかけた硬い茶葉も、あたたかく寄り添って混ざり溶けていく。

「酒入れねぇ?ラム酒でいいか」
「嫌さ、俺っちあれ好きじゃねぇ」
「んじゃオレンジキュラソー」
「んじゃバニラエッセンスも入れるべ。持ってくるさ」
「砂糖はよ?」
「キビ黒糖ふたつまみっしょ」
「ったく甘党だなー天化ちゃんはー」

言葉の数は少ないけれど、この数ヶ月欠けていた身体と心の何処かのささくれは、ミルクパンに薄く張り付く皮膜に覆われ、ゆっくりゆっくり肌に馴染む。

古びたチグハグを持ち寄れば、いつだって愛しい甘さが溢れ出す。ミルクパンの底には種も仕掛けもないけれど、赤とオレンジのマグカップは、あの日から十年以上の年月をいつだって彩って、
「ん」
「…ん…」
あまい声を、ケンカの声を聴いてきた。

飲み干すミルクに重なる唇もあまい味。二人で作る、二人の為のあまい味。

「んめぇ、イケるなこれ」
「うん、コクあっていい感じさ。けど王サマ、次は焦がさねぇようにしてくんないと」
「いやぁ、そりゃ俺が天化に焦がれてっからしょうがないってーぇの」
「ケッ!聞き飽きたさ」

少しずつ戻る応酬に笑い、ゆっくり瞼が降りてきた。それすらきっと同時で、欠伸はついに重唱だ。口元を緩ませて二人分のカップがベッドサイドを彩った。

オレンジ色のランプシェードは徐々に光を失って、
「眠れそうかいハニー?」
「あーたのその気持ち悪ぃ声が止んだら寝れそうさ」
「アホか!…ったく…いい夢見ろよ、てんか」

ああ、目を閉じたんだ。
二人が二人、そう気付く。寄り添う悪態は脚を絡め、ランプシェードは穏やかに役目を終えていた。

「アンタもな、王サマ」

甘いあまい至極の時間がベッドへ還るその前に。

「んー……おやすみ、てんか…」
「……んー、……発…はつ」
「……なに、…ああ」

眠欲に抗うことを放棄した瞼はそのままに、ゆっくり唇が重なった。見なくたって知っている。互いの香りも甘さも体温も。

あまいあまい、十年分のホットミルクハニーを添えて。

end.
冷め始めの二人へ、「お疲れさま」と愛情を。
2013/05/18


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