ドロー



8月の日差しの下で突き刺さる水面の照り返し。並ぶ色とりどりの水着に圧迫された目が悲鳴を上げていた。
「……来て正解、天国だ」
「あそ」
煌く白い砂の上で握った拳が落ち着かない。熱い砂の上の裸足も落ち着かない。そもそも落ち着きのない人だから仕方ない。道中のレンタカーの中でも終始ハイペースな口とスナック菓子とジュースの回転率だったっけ。仰々しく吐き出された天化の溜め息が青空に昇る。
「遠足好きだったっしょ王サマ?」
「お前もだろ」
走り出す面々の背中が飛び込んだ水の中、舞い上がる砂嵐の真ん中にとびきりの笑顔が焼き付いていた。
「なぁ!泳がねぇの?」
「あんたの口からまともな話聞くと思わなかったさ」
「ああ、ナンパは夕方の方が成功率高いって昔からのセオリー?」
一瞬の波から踵を返すナンパ調の延長らしき疑問系の会話術は、
「興味ねぇ」
「んじゃあ泳ごうぜ!」
どうしたらその二択の答えに落ち着くのだろうか。手を引く人の式と答えがわからないまま巻き込まれて走り出す夏の日の砂浜は、予想以上に熱かった。その無邪気で強引な顔も手も、それを女に見せればいいのにだなんては言ってやる程お人よしじゃない。嫌なフリで海水に放り投げた発の肩が、水に濡れて笑っていた。

足が流される。転がるビーチボールに遠くに見えるバナナボート。案の定遠くまで駆け出した長い足が目の前で転倒、笑い声に上がる水柱にチェストパスでぶつけてみたら予想以上に沖に流された。
「お前手加減しろよ!」
「王サマがひょろっちぃからさ」
「ならお前が乗ってみろっての!」
結局そこでまた駆け出す足に流される。
「ああ、そうだサーフィンとかやらねぇか?さっきさー、ボードの貸し出しみたいな看板あったんだよな」
「バナナボートで苦戦して言うレベルじゃねぇ」
「ええー?いいじゃねぇかよ、サーフィンはサーフィン!!」
「カキ氷で手ぇ打ってもいいけど」
「おっしゃ!イチゴ?」
「氏金時」
「天化ってヘンなトコ渋いよな」
次から次にこんなことで爆笑に浚われる目の前のお人よしが、集めた仲間全員分の氷に万札を突き出したのもそれからすぐのことだった。

半月分増やした働いたバイト代になんら苦労はしていない。恋人から離れた時間が惜しいと思わないのは嘘だけど。大学の面子の延長でそれなりに切り抜けてきてたこの時間も、すっかり整った天化の居場所に変わりない。ある種の充実がそこにある。
「……笑えるんじゃねぇかよ」
ささやかな色が潮風に消える。
「なにさ?」
眉を上げて振り向いた前の気配に立ち込める潮の味。開いた目に夕焼けが近いのだろうパレットに海鳥が飛んだ。
「いや?」
「気持ちわりぃさ、ほら鼻の下」
1歩の距離で影が伸びる。夕陽、水面、逆光。また1歩、また1歩、風に遊ぶ髪も伸びる。動きを止めた水晶の釣り目に天化の目が傾いた。
「……王サマ?熱中症かい?遊びすぎさ、目が」
動けない。直立のまま微動だにしない肩と腕を取ってやるべきなのか、白い肌にかかる濡れた黒髪が舞う潮騒の午後。
「…王」
目の前にかざした手を振ればその手首を掴まれた。
「サ」
いよいよ訳がわからない――。
「マ」
「87!!」
突如上がった巨大な声に反射で引いた左の手首。掴んだまま崩れ去った一瞬の均衡が天化の胸に倒れ込む。
「――は?」
「87だ!87・59・85!!見えねぇのかよ岩の向こう!超っ超超プリンちゃんが!白ビキニ天使だったんだーーっ」
「あっそ」
それこそ本当に一瞬だった。
「自慢じゃねぇけど誤差2センチ圏内なんだぜ!」
「ホントに自慢じゃねぇ!!」
止まることを知らない脚が砂を蹴って消えた。

「……っとに面倒くせぇさ!」

蹴った砂が波打ち際に消えていた。夕陽の色。此処まで一緒に来た仲間も目的と状況は似たり寄ったり、砂浜を行く海の家。暖簾が風に身を任す。
「……あ」
日頃の癖で探った腰にポケットはなかった。当然連絡手段のそれがない。車の中だ。迷子の右手が頭を掻いて、未だ迷子の左手が伸ばした先は海の風に泳いで消える。
誰もいない。
「…コーチ」
どうしているだろう。学生だけの二泊三日が長すぎる投獄で、あの看守がいなきゃどうするんだ。この後当然差し出されるだろう天化の酒を誰が飲むんだ。事情を話すには面倒なことが溢れすぎて、酒豪の札が邪魔になる。潮風が古傷に差す砂浜で、携帯電話を求めて歩く。

熱かった。

日差しも、あの調子ノリの手も。――熱いんだ。
意外なようで似合う気もする。どことなく冷たいように思っていたのは、日焼けの兆しがないからだろうか。部活の仲間とは明らかに違うフィールドにいるあの腕が。
「あっちぃ…」
照り付ける太陽に焼かれて砂の上。海の家の畳と砂の歓迎も家族連れに追い払われた。おちおち泳いでもいられないロープと浮と監視員に歯噛みして歩く砂の上。
あの人と一緒なら、最初からこんな場所を選ばないのに。海に行く、と告げたら楽しんできなさい、と返ってきたのが2週前。勿論大学のみんなで。少なくとも己で感じた罪悪感も、前置詞の通り信用されているのだろうか。嬉しいようで嬉しくない。それが100%信用だったらいいのに。感じる7つ。大人と子供。
飛べない筈のそのハードルは、もう大人だろう。と、大学生の責任に負かされる。信用されている?未だに酒は口にしない。法廷年齢。子供だから?――わからないその半端が嫌だ。
階段教室のペンが突き刺す眉間の指摘は、大抵此処に流される。
頼りなく歩く砂がアスファルトに変わる頃、辿り着いたレンタカーのボンネットで吐き出しかけた溜息を吸い込んだ。車内で響く振動が待ち人を告げる時の音。
「っくそ!誰さ鍵持ってったの!」
運転席の窓の隙間をこじ開けた右腕が空回る。引き上げたデイパックがものの見事にひっくり返る様は、一応予想の圏内だ。
「あ゙ーっちくしょ…!」
隙間に掛かった亡骸の向こうで転がり落ちる黒い長座体前屈の塊が、ダッシュボードに砕け散るのは範囲外。リアカバーを吹き飛ばしたバイブレーションが途切れ途切れの応答メッセージと心中したらしい。白く広がって塞がる絶望の絶景が、
「天化ー!」
止まる。にわかには信じ難い目前のスローモーションを止めた。後ろで子供の如く上がるひっくり返った声が。
「どうせまたフラ」
「お前ゴム持ってねぇ!?」
振り返る間もなく引っ掴まれた両肩に反転した胸と背中。
「……ご愁傷様っちゅーかなんちゅーか…」
「な!頼む後生!」
「どんだけ情けねぇ後生さ!」
「あ゙あーっ…もうなんでもいいから!!せっかくいいトコまで」
放置したらそれこそ夜鳴きにウンザリするんのは目に見えている。なんとなくその対策はもう練ってあることがなかなかに恨めしい半泣きの顔。この人間には恥も外聞もプライドも備わっていないのだろうか。
「……ま、女泣かすヤツよりマシってことで」
引き上げたデイパックに目的のそれが備わっているのも癪だけど。斜めの目線で放物線を描いた小さい正方形に、ドッグランよろしく飛びつくその背があって。どうしてこんなときだけ反射神経がいいんだろうか。
「サンキュー!」
「王サマ、ほれ」
「えっ…お」
「オマケ!アオカンなら手っ取り早い方がいいっしょ!見つかっても面倒だし」
追って描いた使いきりのチューブゼリーの放物線。少し遅れて左手が追いついて捕まえた。
「後で絶対返すからよ」
「余計嫌さ!」
虫にも気を付けろ、と言ってやった。笑顔で見えなくなる背を見送りながら。

その背の向こう、広がるのは澄み渡ってはまた凝る、零れ落ちそうに滲む無限の夕焼け。振り向かなければ気付かなかった――
「ま、ドローにしといてやるさ」
いつだって夕陽に罪はない。少しだけ穏やかな眉間と口元が、眩しそうに手をかざした。


end.




男慣れ天化は、書いてみて不思議な感じがします…(笑)
2011/11/05
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