リミット



早過ぎる足取りに、初夏を迎える頃だった。
「ヌスとプスばっかでわかるかってんだ!!」
「後はテスさ」
葉桜が覆うスロープを歩く昼下がり、例の階段教室に空調が入る頃だろうか。浮き足立った新入生もごく僅か、それぞれの居場所も見つかる時の流れは早いものだ。勧誘に必死なサークルの面々とも明日の歓迎オリエンテーションで決着がつくだろう季節。
「ってかよ、フツー初っ端の授業でテストかますか!?」
「うんー、ありゃー俺っちも参ったかんね…」
流されるままに興味もない西洋史にまみれた補欠組みが、うな垂れながら欠伸の伝染。
「ま、いいんだけどな。高先生見られたし!アレはマジで運命感じるっつの?それだけで大学入った価値アリってーか…」
「結婚してたじゃん」
「言うなよ!あ゛――もうッ!俺の愛返せぇぇ!!」
髪を掻き毟りながら叫ぶ隣の名を知ったのも実の所まだ7日前の奇妙な関係は、つかず離れず続いていた。特に何を話すでもなし、人種のルツボの海に出る。
「そういやさぁ、お前サークル入んねぇの?」
「うん、どうしようかと思ったけど」
「へぇ」
それ以上聞くでもなく答えるでもなく、そもそも互いにさして興味もない。
「鍛えてるっぽいから入るんだと思ってた」
「ああ」
だからそれ以上には踏み込まない。初めて紹介された頃の恋人の指す腐れ縁に納得がいっただけで、それこそ十二分に価値がある。昔を知るその面子に余計な胸のざわつきが減り始めたのがその結果。
「お前見た目細いけど手首太いよな」
「そうかね?」
欠伸と共に伸びる声。
「足首も」
「そりゃ初めて言われたさ」
「どうなのよ?やっぱ鍛えてんのってモテるって?」
「考えたことねぇ」
「うわ、最低!天化って思いやりねぇーっ!」
「だから知らないって言っただけさ」
「ちぇーっ、今は草食男子の方がキてんだぜ?知らねぇの?」
「だから王サマ肉食じゃん」
どうでもいい会話なんて、したことがあっただろうか。ふと思う。一般的な18歳の一般を知る春の終わりは、そもそもこの人物が一般的であるかどうか、の疑問を呼んだだけだった。そして十中八九一般的でない答えに辿り着く。
「あのさー、今日空いてる?夜」
「多分」
「よし決まり!土間土間な!」
「たぶんて意味わかんねぇんさ王サマ…かわいそうな頭さ」
「平気平気、まぁ来いって!頭ぐらいなんとかなるってな」
「あーもう話になんねぇ!」
数日前に断りきれずに酒浸しにされた恋人を想うスロープの先、もう講堂に着く時間。営業だとか接待だとか、スーツで飲む酒はそれ程美味しいってこともないんだけどなぁ。なんて言ったささやかな愚痴を理解出来る筈がない。最初の酒は球場で、ハタチの誕生日に乾杯しようか。そんなささやかな約束を守る辺りが子供の弱みなんだろうか。天化の脳がぐるぐる回る。楽しみにするのはおかしいのだろうか、それでも過去に言われた責任云々の話を聞けば大儀はわかる。好き、嫌い、……それでも叶わない7つだけは、やっぱり少し邪魔くさい。
「王サマ」
「ん?」
「俺っちも行くさ、何時?」
陽の下で少しだけ驚いた顔が、すっとんきょうで楽しかった。
「7時始まりだってよ」
吊り気味の目が弧を描く、八重歯の覗いたスロープで。


"俺と天化が一緒にいる為の約束だ"

あの真摯な声にいつだって嘘はないから。


初めての場所、初めての声に初めての椅子と団体席、そもそもの居酒屋と囲む面々。
「俺たちの出会いを祝して――」
「「「乾杯!!!」」」
続く声の都合程度は知っている、妙な居心地。右の隣は元ナポレオン、今日も赤いスニーカーは居座る初めての場所。運び込まれる料理の数もさることながら、そこに集まった騒がしさの塊にすっかり居場所を失った。
「名前は?」
目の前には大根サラダと机の木目、約束外の中ジョッキ。どう思うのだろう、あの人は。法定年齢の是非よりも、あの笑顔がどう思うのか。厳しく叱ってくれるだろうか、肩を落として悲しむだろうか、仕方ないと笑うだろうか。早く帰りたいような、今日も営業に出ると告げた声を思えば帰りたくはないような。どんちゃん騒ぎに意地っ張りは張り詰める。
一人暮らしのあのアパートで、ラジオをつければ甘い音漏れを防げると気付いたのも束の間、結局今度はラジオが騒音。早々に引越しを望んでも契約したのは親の名前で4年分。帰ってすることがある訳もなし、大学生の本業を棚に上げて、一人の時間を食い潰していた。
ずっと一緒にいられると思ったのに。
「ねぇ、名前は?」
無意識に取り分ける五大栄養素は、タンパク質多めが基本。次に野菜のビタミンとミネラル、因みに言えば牛肉は控えて鶏ササミの吸収がいい。箸の進路はみんな恋人。
「もうなんなの!」
隣でご立腹らしい栗色の巻き髪に気が付いたのは、もう大分後だった。

コーチ、コーチ、コーチ、

送ったメールに返信はない。そもそも仕事中だろうその人にそれを期待するのもお門違いで、今日は遅くなる――そう送った文面は自己完結してるのだから、それもお門違いかも知れない。気付いた頃には遅かった。その手のルールは未設定だ。ファールもありやしないんだ――

「なあ、歳上?」
酔いの回った声がした。右隣のジョッキの中に、2センチ残った生ぬるい気の抜けたビールが揺らぐ木目の上。
「なにがさ」
目を合わせる訳じゃない。答えた声に満足したらしく頷いたナポレオンが、
「はぁー、初めての乾杯は彼女とオウチデートってわけか」
口を緩めて微笑んでいた。
直感なのだろうか、知っていたのだろうか。ふにゃふにゃ笑う酔っぱらいの笑顔の前で、ミミズ腫れの胸が痛い。呑み込んだ肯定の言葉が渇いた喉に焼け付いた。
「いいじゃん、大事にされてんなーお前」
「彼女じゃないけど」
どうせ相手は正体もない。それ以上には言えない理由を言いたくなかった。飲み干した水はいつもより幾分固い硬水だ。
「ゲイなの?」
――直感なのだろうか、
さして他意はなさそうな、一般的からは遠いひそひそ声に跳ねた胸の内。
「ああ、うん」
何故答えるのだろうと、少し不思議だった。
「そーかー」
互いに4文字で成り立つ奇妙な会話は、広がりもしなけりゃ終わりもしない。
「あー、こっち生一つとオレンジジュースー!」
張り上げた明るい酔っぱらい声がしたのはコンマ数秒後。天化の目の前にそびえ立つ中ジョッキと、残り2センチの水滴だらけの中ジョッキが摩り替えられたのもコンマ数秒後。それを一気に飲み干したのも数秒後。
「キミがいるだけでいつもの居酒屋だって特別なんだ」
「発ちゃん酔いすぎじゃない」
「酔ってるのはキミにだぜ?」
随分と場もキャラも履き違えた口説き文句と共に、その背が新しいジョッキを連れて立ち上がる。呆気にとられる天化の前に、空のジョッキに並々の小さなオレンジジュース、サラダが並んで待っていた。
振り返り様の小さな小さな口パクで、
「それ飲んでカレシにワビ入れとけー」
ウインクも忘れない。

「天化ってなんかスポーツやってるの?」
隣に移動した華奢な肩が、楽しそうに微笑んでいた。
「高校までバスケやってた」
そうしたつもりは微塵もないのに、笑って話せるのは何故だろう。似合うとか見てみたいとかカッコイイとか、おだてる女に興味がありはしないのに。
「なぁ俺にもバスケ教えろよ」
「面倒くさいさ、王サマ」
話すだけで、机の木目が色を帯びる。囲む今日初めての同年代に見付けた居場所は、面倒なだけ悪くない。笑い声に飛び交う駆け引き、また笑い声。
いつの間にか重しのかかる右肩で、すっかり潰れた八重歯が覗く。少しずつ前に倒れていく面々にとっくに過ぎた午前を知った夜の居酒屋で、着信はまだない。
「王サマ、あんた会計は?」
「う゛あー?」
「寝てんじゃねぇさほら!」
重い肩を揺さぶりながら、飲む、飲まない、約束、7歳、大人と子供。揺らめく焦燥が不安に乗って、意地になる。

目の前に残った2センチの金色に、口付けるみたいに飲み干した19も目前の夜。

コーチ、

早く大人になりたいのに――。
初めて破った約束は、生ぬるい子供の味がした。


end.
2011/09/20
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