パイプ



今日も眠い口元を押さえて入学2日目。初っぱなからサボる気もなし、ただし勉強する気もなし。入学式の後、帰りついたアパートの玄関に貼られた"夜遅くまで騒がないように"。一言だけのそれを見て、壊れた時計を思い出していた。

「てーんーかー」
他に席は空いているだろうに、唐突に鞄が落ちた右隣。
「今日も欠伸かよ」
「そっちこそ」
昨日の様子からするにきっと理由は似たり寄ったりだ。少しだけ照れ隠しに早足の胸のカウントに、隣の指は格好つかないボールペンを回していた。大して上手くもないそれに妙な角度をつける所がこどもくさい。
「王サマ」
ボールペンに飽きたのか、握りかけた二つ折りの携帯電話。
「王サマ」
「……え?なに、俺?」
「ナポレオン着てたから」
「なんだよそれ」
怒りそうな言葉を笑いながら吐き出した。実際そんな意図で伝えていない思い付きのそれに、何故だかひとしきり笑いが止まらない。
「あー…んでなんだっけ?」
「あー…なんだっけ?忘れちまったさ」
「バッカだなぁ天化」
「だって俺っち補欠組みだし」
「ああ俺も俺も!大学行く気さらさらなかったんだけどよ、ここすっげー女子レベル高いから」
「またそれ」
叩く軽口も配られるわら半紙のプリントも、さして高校と変わらないことに驚いた。劇的に変わった筈の講堂に段教室に授業内容、必修科目の単位の数。習うより慣れろ、大学なんて人種のルツボでいったら行ったで楽しいぞっ!あの一大決心後に、そう笑って背中を押してくれたのはやっぱり大好きな道徳だった。

結局、やりたいことなんてなにひとつ探せなかったこの三ヶ月。
行ったら行ったで楽しいけどな!それだけは間違っていない気がした春の日差しの段教室で、友達なんだかなんなんだか、妙な距離のバカ二人。 今日のお土産話がまたひとつ増えた。

「にやけてんなー、お盛んかよ」
覗き込む目に隠した口元。……そんなににやけていたんだろうか。また浮かび上がる昨日一昨日の甘い時間に、今度こそ自覚した耳の熱さと心拍数。
「……別にそんなんじゃねぇけど」
「いいじゃん、どんな子?」
「いや、子って感じじゃないさ全然」
「なんだほら、やっぱいるんじゃねぇかよ」
「……まぁね」
「いいなーラブラブ!あっついなー!」
「そっちもいるんじゃないんかい」
それ程の興味があった訳でもない、言うなれば話の流れのちょっとした社交辞令の筈の切り替えしに、ペン回しの消しゴムが段教室を転がり落ちた。
「昨日連続5回だもんよ、身ぃもたねぇわ」
「そんだけヤッたら上出来さ。身ぃもたないの彼女だべ」
「あ、いや、フラレが5回」
「ぅあっちゃー……」
予想外な声に、詰まった。こんなときにどう言うべきか、ふと考えて思うこと。中学では女子と縁がある訳でなし、部活に夢中で恋をして、高校に入ってもそうだった。こんなときになんて声をかけるべきか――何事も経験とはこのことだったのか。転がり落ちる消しゴムのバウンドに、久しく同年代と話したことがなかった事実。……消しゴムは落ちる。ああ、あれもうコートから出ちまう…試合終了の諦めかけたときに似ていた。
「なぁお前必修西洋史取らねぇ?」
「あ、いや決めてないさ」
気をきかせてくれたんだろうか?そんな気遣いをするべきなのか、大学一年生は――
「いやもうマジで取らねぇと損だって!担当の高蘭英先生が超ド級プリンちゃんでよ!それでココ決めたんだぜ俺!!」
「バカじゃんあーた…」
「うるっせぇなっ!せっかく受かったんだから声掛けないでどうすんだっつーの!」
既にその手の中でくちゃくちゃの案内要項が輝いた目に撒き散らされる。"西洋史"の要項だけがクリアファイルに挟まっていた。どこが気遣いだ。根本的な気遣いを履き違えた黒髪を、いかにもそれらしくかきあげる隣の影が、消しゴムを拾うことはとうとうなかった。
「ほんとしょーがねぇ…」
「だろ!行くぞはい決定!!」
「いやアンタがしょうもないんさ」
「チクショーこの彼女持ち!」
大体どうしてボールペンで消しゴム?彼女じゃない、とは飲み込んだ教室の雑踏で、土産話がまた増えた。


「随分楽しそうじゃないか」
一週間ぶりの道徳のマンションで、長座体前屈のその人が言う。
「……そうさ?」
「そうそう、目が笑ってるよ。楽しいか?」
「まぁね」
その後ろに胡坐をかいて、手には形ばかりのテキストが一冊。
「なんつーか…やっぱ俺っち座って勉強ばっかじゃ疲れるさ」
「はは、俺もそうだった」
「大学の頃のコーチってどんなんだったさ?」
「ええ?大学…大学かぁ…」
胡坐の脚を伸ばす間に、その背の先でもっと進んだ長座体前屈。くっつく背中が悩み込んでいた。さわさわ、少し胸が痛い。
「まぁ知っての通り体育大だったしな、実技授業は夢中だったけどー、ほら、一年二年は必修も多いから嫌で仕方なくてなぁ」
「やっぱコーチは変わんないね」
「人体工学の科目は太乙に片付けて貰っ、な……っ」
長座体前屈、ならず。
「おい天化!」
完全に二つ折りになった背中の上に、胡坐の残骸が全体重で張り付いた。
「こら!アキレス腱切ったら選手生命終わるじゃないか」
「だってコーチがスポーツマンシップに則ってないからさ!ずる!」
膨らませた頬で押し潰した。本当はそんな程度で押し潰される人でないことは知っている。天化の重みを押し返す背中が春なのに熱いから、
「珍しいな、ヤキモチ」
「妬いてねぇ!」
「大歓迎だぞ、天化のなら」
「……ディスクオリファイイング取るかんね」
「そりゃ随分な審判ミスだ」
笑う背中がやっぱり好きで、治まった胸の内。また押し返してキスをした。
「最近よく甘えるなぁ、お前」
「…いいじゃん」
寂しかった分、7年の分、片想いの初恋の分。
「へへっ」
ひっくり返った上下に笑った春の夜。明日のオリエンテーションもパイプ椅子で寝ようと決めた。どうせ隣も寝ているだろうし。



end.
2011/09/20
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