桜が散るのもあっという間、命短し恋せよ青年。念願と言うべきか反抗と言うべきか、決意と呼べるのか――あの日から4ヶ月。キャンパスとスロープを胸一杯に吸い込んだ。新しい匂い。少しだけ近付いた恋人の場所まであと少しだ。
制服とは違う、憧れの同じ黒のスーツに身を包んだ大学の入学式。浮き足だった赤いスニーカーは、今更ながら大好きな人と同じ。
革靴にすりゃー良かった…
パイプ椅子に座って項垂れたのは最初の5分。右隣の空っぽのパイプ椅子に走って腰を下ろした真っ赤なナポレオンジャケットに比べれば、コンバースなんて可愛いものだ。くすぐったい入学式の会場で、春に似つかない黒ずくめのスーツの群の中、二つ並んだ隣の赤。
「なぁ、今どこ?」
肩をつつく見知らぬ隣の腕が、入学式のプログラムを逆さに握り締めていた。
「……なぁ」
「知らねぇさ、さっき一回立って礼しただけ」
「あ、なーんだ。サンキュー」
我ながら随分なことを言った気がする。きっとあの人が怒るだろうけど、そんなことより眠たくて堪らない酸素不足の脳内に、薄く空けた唇で欠伸を送る月曜日。右隣は惜しみ無く天を仰いで欠伸をひとつ。
「欠伸ってうつるよなー」
「ああ、まあ…」
念願だった一人暮らしは3日前に始まったばかり。初日は大袈裟な父の激励と母の弁当、手伝いとは名ばかりの弟が着いてきた。2日目は、どうしても外せない契約だと頭を下げた恋人に少し腹を立てていて、昨日が入学前夜祭。初めての自分の部屋で、初めて一晩抱かれた日。身体が浮かぶ倦怠感と沸き立つ肌を押さえ付けて、緩みそうになる口元で2回目の欠伸を噛み殺していた。
「お前どの子?」
隣の唇が囁いた。
「あのピンク?」
「は?なにさ?」
「見てたじゃねぇかよ、あのシュシュの子じゃねぇの?あ、隣?ミディアムのミルクティー?」
否定する気力が起きない程眠いのに、楽しげにつつくヒソヒソ声に押さえた口元が恥ずかしい。
「……見てねぇさ」
「嘘だねーすげー顔崩れてた」
「だから見てねぇって」
「わかった、一個前のアッシュ系だろ!」
今度こそ気張りすぎて尖った先の革靴を蹴りつけたスニーカーに、おう、結構お似合いなんじゃねぇの!なんて八重歯が笑いかけていた。
結局式の間終始眠気と闘った船漕ぎ頭と、キョロキョロ落ち着かないひとつ飛び出た隣の頭。
「ミーヤキャットみたいさ」
「あ?」
「似てんね、あんた。キョロキョロしててさ」
「いや、ヤローにそれ言われてもよ…どうすりゃいいの」
並んで歩くキャンパス内のスロープに、桜の名残が舞う昼下がり。どうやら目的地は同じ講堂で、名前はまだ聞いていない。顔見知りが多いらしい態度にそれとなく聞けば、みんな初対面だと言われて口が空いた。どうやら軽すぎるフットワークと脳内で、ほぼ一方通行の隣の声が、
「天化ってさー」
「なんで名前」
「え?名簿!!」
逆さのプログラムの下にちゃっかり正位置の冊子を握っていた。走り出したら止まらない。隙だらけの大股が駆け抜けるレンガのスロープに、舞い上がる桜と土埃。
「どこ行くさ!ちょっと」
呆気に取られる暇もない。
「英文科!」
「えいぶんか?」
同じクラスだったのは間違いなのか気のせいなのか。欠伸の口が右に傾いた。
「え?行かねぇの?」
「こっちが聞きてぇさ」
「ばっかだなーナンパナンパ!すっげぇレベル高いんだぜ英文科女子!見学だけでも来なきゃ損だぜ!?」
「それで季節外れのナポレオンかい」
「スニーカーに言われたくねぇよ!」
頬を膨らませて走って消えた背を見送って、隣に吹いた春一番。そう言えば、と、ふと思う。
「こどもくさ…」
あんなことに必死になるだろうか、一般的に。一般的?一般的…
「まぁいいさ」
考えて30秒。とかく一般的な19の一般的を知らない自分に蓋をした。
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