甘やかなる






──困ってしまう。幾分伸びた髭は確かに男であるし、唐突に力強く護衛を抱き締める腕も確かに男であるのだが。あまりにも男であるが故に。
朝稽古を切り上げたのは陽も高く昇る正午目前。合図の銅鑼を叩くのは授かった天化の役目だ。高く頂へ唸り晴天の下に響く仰々しくも覇気のある荘厳な音は、豊邑から赴く遊び人の親友兵士たちにも至福の刻を告げるのだろう。汲んだばかりの水に群がる人の群れがにわかに眼下に広がった。戦場とは思えぬのどかな昼下がり。
「あだー……あだだだ…」
青銅と鉄を叩く音が、痛みを抱えた下腹にこだまする。ついに眉を寄せて肩を落とした天化は、人知れず楼台に座り込む他ない。
「っとに…困るさ……」
小さな楼台の囲いに背を着けて、ぽつりぽつりとひとりごつ。脳裏に浮かぶ無精髭も。肩を引き寄せる手も、軋む程に背を抱く腕も頬を包む掌さえも、
「……どんな顔すりゃーいいさ……」
思い出すだに身も焦げる。果たして自分の欲した男は、こんな風貌でこんな体温だっただろうか。果たして自分の欲した己は、こんなにも弱くか細く、あたたかくくすぐったい日々をしていただろうか。果たして、自堕落な娼婦のような緩んだ顔を見せてやいないだろうか。初めて手にするぬくもりと色香は、確かに少女の胸をあまやかに蝕み続けていた。


びゅう、びゅうと、胸中の些末な不安を煽るかのような風の音にももう慣れた。下腹を擦りながら降りた櫓の下からは、
「おーい天化ーぁ!昼飯だってよ!」
底抜けに明朗な声が呼ぶ。
「だーぁら俺っちは食わねぇって、燃費いいからよ」
そう答えれば途端に肩をすぼめる大男に、少女の口角は柔らかく弧を描き、
「違うんだって!……今日はさ、特別に武吉っちゃんに豊邑殿茶屋の月餅とタンターも買い付けて貰ってんだ。お前好きだろ?」
「へっ!?」
うって変わって得意気に指を立てる君主に目を見開いた。軽い調子で肩を抱き込まれれば参ってしまう。びゅう、びゅう、胸にそよぐ風の音は、あまりにうるさい恋の音だろうか。舞い上がる男の色香に目眩がする。
「前線の仙道サマたちへっつって卵は抜きにして貰ってるしよ、女将の凜明ちゃんも"天化になら"って張り切ってんだぜ?お前もあの子と仲良かったろ?」

──参ってしまう。

こんなことを言われては。

少年の体も少年の心も、誰かに甘やかされることに慣れてはいないのだ。一体どんな顔でどんな声で受け流せば良いものやら、どんぐりのように真ん丸な目を白黒させるのが関の山でしかないのに。

「……かぁわいい。お前のはにかんだ顔、好きだぜ」

──参ってしまう、参ってしまう、本当に。

覚束無い愛しさは確かに形を変えていて、無性に抱き着きたくなる背を代わりに一発蹴り飛ばしてしまう他ないけれど。いーっていーって、知ってる、照れ隠しも好きだぜ──そんな睦言に真っ赤な顔で負けたのは、遂にバンダナで両目を覆ってしまった天化であった。



嗚呼もう、好き、だ。



end.
2014/11/20









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