甘やかなる
何時からだろう、毎月の鮮血に煩わされるようになったのは。漸く安寧の地を目指し空へ舞い上がった少年が対峙するには、あまりに衝撃的な出来事だった。幼い日に母から聞かされた話は本当だったのだ。"神に願えど修業を積めど身体の作りは変えられない。"
自分の性は変えられない。女として生を受けた限り、家長にもなれず家督も継げず、それでも父と祖父が歩んだ道を歩きたかった。たったそれだけのささやかで偉大な少年の夢すら奪ってしまう小さな括りが酷く嫌だった。微かな鈍痛を訴えだした下腹部を左の掌で庇いながらそっと瞼を持ち上げた朝に、
「んー…がー…」
地響きよりは随分と可愛らしく響くいびき。下界に降りてから再会した父のものとは比べ物にもなりやしない穏やかな物だ。主の寝台の横の毛布の上で伸びをひとつ。ふ、と、煙草のない少女の唇が右に上がった。
──かわいい。
──王サマは、なんか知んねぇけど"かわいい"さ。
可愛らしいなど、男に被せる冠だとは思いもしないが仕方ない。
「ヒッ、っぶは!!!!なっ…」
お似合いだ。摘ままれた鼻先に飛び上がる目の前の大柄な寝惚け顔には。しぱしぱと瞬くことすら難儀であるかというように、重い瞼が取り込む陽光。
「……ぁーにすんだよ、アホぉー……」
「ひひっ。寝坊さ、王サマ」
「んあー…っとにオメーはさぁ…んー……」
すぐに再びの眠りの世界へと沈没しかかる"かわいらしさ"。寝起きには些か眩しすぎる護衛の笑顔が眼前にあるのだ。寝返りを打ちかけて、思案を一つ。不名誉な冠を被せられた幾分伸びた髭は確かに男であるし、
「…んー…はよ、天化。──もうちっと」
唐突に力強く護衛を抱き締める色を帯びた腕も。確かに男である。
「いっ!?」
男である。
「一緒に寝ようぜ、な。」
「か、っ…勝手にやってろ!!」
が。薄紅に染まる拒否の平手と右足が毛布の中に丸まる体を床へと揺さぶり落とすのも、すっかり恒例の朝儀と化してしまった。更に言うなら声にならない両者の悲鳴が響くのもご愛敬。
「勝、手ってなんだよ、ってか、ちょ、いだだだだだだ!俺まだ肋、骨っ!ちょい待っ、いだっ…痛ッ!やめろっての!」
「んっ…なら先にそーゆー女扱いみてぇなの止めろ!」
今まさに目前の君主を締め上げる腕に籠る熱。押し合い圧し合い、いっそ謀反かと兵が乗り込んでもおかしくないそれは、
「べっつにンなんじゃねぇって!お前が男だろうが女だろうが関係ねぇよ!」
「困るモンは困るさ!」
「なんだよ困るって!俺もちゃんと好きだって言ったろ!?ちっとくらい…っ」
「なんつーかその……困るさ…そんな風に変わられっと、」
「へ?」
「……俺っちと王サマって、なんかちげぇ。…から………困る」
そんな風にしなだれる少年の声に鳴りを潜める。途端に余計むっと沸き上がる甘ったるく熟し過ぎた桃の香りが立ち込める天幕を、護衛は走り去った。さあ、稽古の始まりだ。
取り残されるは甘ったるいその余韻。ふ、と、右の口端を上げた発は、
「ったく…余計可愛いっつーの…」
未だ未開拓な夢見るおぼこ娘の恋に、焦がれる胸を自嘲したとかしないとか。