夢の途中




「……っとにも、もう無理だ!!もう──!!」
「えっ王サ……!?」
払い退けるのはどちらの意志か大義名分か道徳か、この期に及んで問う間はない。反転する雄と雌の居住地は寝台の上で沈み込む。男の指が、解放された少女の乳房の形を軟体動物のように変えていた。汗の粒が鎖骨の上で固唾を呑んで流れ落ちる。
「やっ!王……」
「……わかってねぇんだろ!?抱くってぇのはこーゆーことしなきゃなんねぇんだよっ……!!」
乱雑な言葉と指と、有り余る性の矛盾に満ちた天幕で、月を背に発の眉が霞に揺らぐ。唐突に訪れた沈黙の中の合わない視線に、
「……わり。ごめんな。なぁ、頼むから、んな泣きそうな顔すんな……」
負けたのはどちらなのか。服を着ろと残して離れる肌にすがるのも何故か、
「も……っ、泣いてねぇさ……!」
ぐじゃり、鼻が潰れる濁流の匂い。体の間で擦れて潰れた胸の先が痛みやしないか、胸の奥が痛みやしないか、
「突かれたって割かれたって吊るされたって焼かれたって泣かねぇさ!俺っちはそこいらの女じゃねぇ、だから、だからも……も、」
「天化、俺は大事に」
「嫌さ、やめたいさ、くるしいさこんなの……っ強くなりてぇ!忘れたらまた前に…!」
「ああもうっ……」
矛盾の腕が鍛えられた少女の薄紅に染まる肩を抱き締めた。
「え……」
いよいよ、抱かれるのだ。と。時を待つ天化は渇く喉を上下に押さえつけ、固く口を閉ざして目を閉じる。幼い体の中からは、既にあの罪悪と快楽の念すらも削ぎ落とされて、月の光にただ震えた。矢先だ。
「なぁ、俺はっ……こんな風に抱きてぇんじゃねぇんだよ……」
消えるような声だった。鼻先が何度も水鳥のように天化の額に取りすがり、胸と胸の擦れる音。真紅に捩られる小さな桜の胸の先が、酷く傷んだ夜だった。

いやだ、つらい、ひでぇ、あんまりだ、並ぶ君主の否定の言葉に、少女は歯を食い縛る他、道はない。未だ読めない指先が天化の額のバンダナを解いては鼻を降らせた。

「だからっ、好きに、抱いてくれていい」
「惚れたヤツにんなこと出来るワケねぇだろ!!」

響く声は天幕の頂上へ、勢い良く駆け上がる。瞬き程の静寂を真っ直ぐに高く高く、それは何処かあの光へすら似た早さで。発は何時も、
「なぁ、だからその、今日はもう離れてくれねぇと男は困るっつうか……」
何時でもそうではなかったろうか。初めて人を跳ねたあの日も、街に走る姿も、泣き言さえも、真っ直ぐではなかったか。少女の心は前後不覚、時間を歪めんばかりの気持ちと記憶の走馬灯に、耳を塞ぐ。
「嘘さ!」
唐突に土石流のように覆したのは天化だった。その直線は振り回す腕でなじられて、
「調子いいこと言ってんじゃねぇ!」
「ちげぇって!最後まで話を聞けってんだよ!!」
「違わねぇ、王サマはいつもそうさ、へらへらいーかげんに逃げ道ばっか探してっから!ああそれとも慰みの同情かい?ンなモン騙されるとでも思っ」
「天化!」
弾みの張り手がひとつ、頬に飛んだ。天化から、男へと。
混濁する少女の世界は男の腕に終わりを告げる。震えながら空の匂い、汗の匂い、ひくりと大きくしゃくる音。赤い目は腫れてきつく閉じられたまま、臓物を引きずり出すようにかき乱す、支離滅裂な想いの羅列が止まらない。
「もっ……う、離して王サマ…!わかんねぇ、嫌さ!余計訳がわかんねぇさっ……わか」
「すっ……好きなんだよ!俺はお前が好きなんだ!それじゃーダメかよ!?お前は違うのかよ!?」
まるで子供の応酬の最中、
「っきさ!すきさ、だって、でも捨てたのにっ!強くなりてぇのに意味が……!毎晩毎晩、王サマが出てきて!俺っちがなくなっ──、弱いのは嫌さ!も、訳が、わけが…」
それでも真紅の両腕は、矛盾の肌を抱き締めたまま。発の髪が身を捩る天化の頬を刺す。棘のように翼のように、微笑みながら切なる声に眉を寄せて。
「う、もっ…もー、嫌さ!終わりにしようって思ったのに!!最期にしたらって、熱くて苦しいのに、王サマはいつも、」
「天化……」
「姫発さ、出ていく癖にっ、置いてく癖に姫発さんは離す癖に女っ……」
「だぁら行かねぇ!もう絶対、ぜってー離さない行かねぇ!天化が」
「どうせ離す癖に……──!!」


振り回し突き放す腕が、妙に具体性を帯びたこと。
「──……っぐ……!!」
「お、……サマ…?」
丸い垂れ目を見開く少女の目の前で、翡翠の留め具が一本散った。粉々に、指先を辿る無機質の破片。訪れる静寂を破ったのは、天化の上に横たわったまま痛みに呻く発の声だ。胸の合わせ目から赤々と腫れた鎖骨が紫色に色素を流せば、静脈が農茶に染まる。
「王サマ!これ…骨が…離さ……」
「いっ……──った、ろ……言ったろ、離さねぇって。ンなのお前の痛みに比べりゃぁなぁ!!なんでもねぇよ……っ!!」
「王サマ!治療……」
「……良かった、いつもの天化だーぁっ痛!!」
言い終わる頃には、跳ねっ返りは月夜へ還る。そんな子供の声だろうか。
「お゙っ……サマぁ……ゔあっ……」
それ以上は言葉にもなる余地がなく、嗚咽の波紋が天幕を揺るがしていた。きつく閉じた筈の目から際限なく溢れる丸い粒が発の胸の翡翠と真紅に吸い込まれ、砕けた翡翠は天化の髪を撫でる発の指先に弾かれて寝台の下、土に還る。

泣かないと、誓った決別のあの日が。

「がまん、すんな」

胸に還る。

「よくがんばったな」

それは君主のではない。天化の目には姿を捉える余裕もない。ただ違う、この人は、
「なぁ、俺は仙道のこととか全然わかんねぇしさ、驚きゃしたけどよ、……なんか、修行の一貫とかなんだろ?話さなくてもいいし。」
あの優柔を抱えて受け入れる、あの、気楽で孤独な青年なのだろうと。胸中で頷くが、頷けていたかどうかは天化にすらわからなかった。月は徐々に帰路へ着くだろうか、星の夜半。胸に額を預けたまま、
「ヤローは触りたくもねぇのにさぁ、お前のことは、どっちだっていいなんて思っちまってんだぜ?ほんっと、気付いたら頭の中お前ばっかで……」
涙と共に耳に走る得たいの知れない気圧の正体は?初めて涙を知る矛盾の少年にはそれがわからない。ただただ目を腫らし声を上げ、腕はたった一人にすがりながら想いの丈が止まらなかった。発はまだ、回した腕で背を撫でる。
「お前いないと調子出ねぇし、眠れねぇし、話つまらねぇし、……まだまだ聞いてみたいこととか山程あんだ。そーゆのって、好きって気持ちでいいんじゃねぇか」
気付いたばっかなんだけど、と、付け足す唇が所在無さげに反らされて、頷いたかどうだろう。しがみついた天化の胸に、恐らくあの靄も棘も乱す乱気流のような刃もないだろう。ただただ、
「王サマ……」
真っ赤な目で。弧を描く発の瞳も微笑んで、くしゃりと天化の髪を撫でる指が、粉骨の痛みを堪えて震えていた。
「……すき…に、なってもいいんか……」
「いいんじゃねぇ?万歳だろ。だってよ、」

"俺も惚れちまったんだから"

その言葉に、天化の嗚咽は発の胸を叩く。幼く乱暴に、あたたかいあの日のような子守唄を、互いに分けるように、わがままに──慣れない嗚咽に詰まった鼻と口を伝う涎を、発の親指が拭っていた。
「これ以上は、もーキツいぞ……っちょ、膝、当たってんの、膝動かすな、ヤバい」
「……へ?」
「いや、見なくていいから頼む……」
呟く青年の悲しい性には気付けるほどに大人になれない。矛盾と意地と、性と理性と、持ち寄る互いの肌に心。不格好に晒し出した寝台の上で、
「お、サマ…」
触れ合うだけの、初めての口付けが生きていた。甘い香りが互いの皮膚の厚さを知っていること。
「天化が、……好きだ。」
消え入りそうな君主の声も、泣きつかれた耳を癒す。
「今日はちゅうだけ、な?」


この日、真っ直ぐすぎた跳ねっ返りは、まるで蝶のように。
あの日を片手に、今を片手に、強さと弱さの真ん中に、自分の誕生を知った。誘う真紅の手を取って、安らかに眠りの世界で心音の意味を知る。

「護衛はこのまま降りろ、軍師命令のなんかじゃ意味がねぇ。」

意味を知る。

「隣にいろ。それでずっとずっと、叱って護ってくんねぇか?」

意味を知る。

「お前が還る場所、俺が、ぜってぇ一生かかっても創るからさ…!離さねぇから、絶やさねぇから、……天化」

武王の初めての命は、震え混じりの暁の寝台の中で、一人の少女へと言い渡された。今、純然たる夢の途中で。

2012/02/20









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