夢の途中
蹴り飛ばす小石と星の風に紛れて、天幕は放たれる。簡素な広い寝台に埋もれるようにして、目標のそれは四肢を投げていた。あの外套とターバンは寝台の下でとぐろを巻いて腐っている。それはずっと変わらないこと。
「久しぶりさ王サマ」
「……っ、おう、いや……そうでもねぇだろ?さっきは」
横たわる真紅が跳ね上がる様を、俯いた鼻の傷が斜に見ていた。風の音。一歩一歩踏まれる砂が微かに悲鳴を上げる月夜。天化の黒が言葉もなくその赤い身体に近付いた。咳払いに一歩、一歩。
「……あー、あのよ、さっきの」
「どーしたさ、ヘンな声出して?」
いや、いつもそだっけアンタ。続く声の色を読むには、発の心情が付いていかないのだろう。陽を受ける湖畔のような目が何度か瞬いて、黒いレザーから反らされる。その、様から、天化もついに確信を得る。明らかになった性の矛盾。何度も反れる視線が白い寝台に注がれて、
「いやぁ俺もさ、ちょうど話したいことあったしー、まぁほら座れば?」
読み取りやすいこの男が饒舌なのはうろたえている時こそだということ。
「ああ、さっき楊ゼンが出てっ……」
「知ってる」
それもとっくに。夜の闇に溶けるように、長髪の彼が去る刻を待ったのだから。この天幕へは戻らない日取りであること、此処へ就く一般の兵は武吉少年と明日到着する食料を前に、数刻だけ姿を消すことも。
「王サマ」
二人だけの夜風を遮る空間で、一片の花びらのように音もなく軽やかに、しかし重厚な、天化の影が枕を覆う。一瞬の隙に一体どれだけ近付くのだろう?発の目が瞬いて、
「さっきの借り、返しにきた。」
「いや、だからあれは、ンなこと関係なくてさ!それより、そのお前の傷……」
松明が弾ける頃に、双方が言葉を消滅させた。
衣擦れには程遠く、色香のない簡素な音。
「好きに抱いていいさ、王サマ」
しんと冷たい風が成りを潜め、月明かりを背に、足元の無機質な黒い音。黒いレザーで砂が形を変えていた。
「ばっ……――」
溢れんばかりの鮮やかな肌と煤に汚れた洗いざらしのサラシの色が、発の眼前に満ち満ちる。飲み込む言葉に口の端を上げたその唇が、
「その代わり、さっき見た俺っち姿は今後誰にも言わねぇって約束。守れるさ?」
「ば、ばかやろ!なに考えてんっ……んなコト言ってんじゃねぇって!!」
「それがわりに合わねぇってんなら、」
ぱさり、ぱさり。解かれるサラシに今度こそ衣擦れの色香が立ち込めて、
「……毎晩、あーたの慰めてやっても良いさ。どう?」
少年の胸の胎動は、娼婦のそれへと色を変える。
「だから王サマ、これで、――俺っちのは最後さ」
終わりにしよう。
苦しむ慕情は。
強くある為に。
震える腕が絶句する青年黒い髪を抱き寄せた。むせ返るような雄と雌の二体の鼓動の早さ、匂い立つ肌の、少女の汗の、粒のひとつひとつが、丸い形で地上を目指して落下する。
「ふっ、…ば、服!おい天化!」
振り解こうと押し返す発の腕を許さない力の差は、とっくに双方が知っている。一層力の増す天化の腕の中で、小さな悲鳴が上がり続けた。
「服!ばか……んなこと……出来るワケねぇだろ!」
「大声出すんじゃねぇ!抱けって、だっ」
「バカ!どっちが…おま、良いから服!服――」
思考の追随は互いに許されぬまま、駆け足の言葉も鼓動も早鐘のように二人を打った。
「……うサマ!!」
「……だーぁあッ……――!!」
反転しながら縺れる寝台に真紅の身体を貼り付ける腕。開放された幼い胸が、小さな傷を引き連れて、丸い双丘の影が天幕に躍る。天化の右手が鑽心釘を操るように空を切る頃には、松明の灯が落ちた。
空を切りあう互いの手。頑なに天化の唇を赦さないその指に、頬に、
「……天化……」
丸い、水の玉。月夜を背に幾筋もが流れては落ち、落ちては流れる。はらはらと舞うには幼過ぎる、ぽろぽろ零れるよりも神聖に、しかし乱暴に、鼻の傷を伝いながら、水の群れが真紅に落ちる。恐らくもう少女の目は何も捉えることはない。諦めたように背を叩く男の手に、矛盾の胸が跳ね上がった。
「うわぁっ胸やらけぇ…っじゃ、なくて!!天化、……わーったからちょっと、落ち着けって……な」
「いっ──嫌さ!!なんで、なんで抱けねぇって」
「違うっつの!頼むから服を……もう見、目ぇ限界…!」
「見れないってのか、女なら誰だって抱く癖に!切羽詰まってる癖にっ…」
「ちがっ、だ、あ゙あ゙ーもううっバカヤロ!!」
拒絶に空を掻いた男の指が、汗ばむ丸い少女の肌に吸い付いては止まらない。
「溜まってるくせにモテねぇのに娼館なんか行っ……んんっ……」
「クソ!!」
揉み合う最中、反射の謝罪と共に引き返したかけた指先を、
「……、ぁっ」
幸か不幸か零れ落ちた吐息が繋いでしまった。