夢の途中
昇る煙を潜り抜け、息を潜めて膝を抱く。そうでもしなければ溢れ出すのだ。朝焼けより早く、全ての矛盾にカタをつけるのだ。
「ちくしょうッ……」
高台の岩に腰かける無粋な少女は、住む場所を変える。父の元には帰らない。"兄"を探す末弟の声にも、何処までを把握しているのか押し黙るひとつ下の弟の物憂う目にも、応える気にはなれないらしい。締め直したバンダナに、在りし日の兄の言葉が甦る。
「あいつら、こんどやったら僕を呼んでよ」
もやもや立ち込める薄い霧の向こうには、何時だって彼のターバンが往き来する──なら、兄ならばそれを討つのだろうか。"王に泣かされた"と。引きずり出された先刻の続きの涙。自嘲と紫煙が唇に消える。触れた胸も腕も、頼りない烙印を押し付けたそれが、堪らなく掻き乱す。
「……わかってるさ」
冷たいだろうと踏んだ胸の合わせ目に飾られた質素な玉は、確かな冷たさと、然る後のあたたかな鼓動に充ちていて、それが彼の体温なのだと、
「一番よえぇのは俺っちだってぐらい」
認知した瞬間に視界が滲む。乱される。まだ朝には早い、夜霧であれ、涙はならない。そんな筈がある訳もない。
「ちくしょう!!」
一番赦し難いことを、幼いあの日に知ったのだから。口を結んだ矛盾の指が、焦れる煙草を潰し燃やした。
どれだけそうしていたか、少女はもうわからない。
沸々と煮える胸に膝を抱いて、気付かないふりを決め込んだ左足に指令を出した。
「……動くさ」
あんなに重たい返り血の足首が軽くなったのは、
「動く……」
あの胸に、腕に、抱えられた瞬間だった。耳ごと音を遮るようなその心音に、微かな川の流れ。外套の羽ばたくような大きな音。忙しなく言葉を紡ぐあの人と違って、脈の間隔は静かに続いた。膝を抱えて切り立つ大地にうずくまる。たったそれだけの音の記憶に堪らなく安心して、
「王サマ……」
乱されて、
「……もう、わかんねぇさ王サマ……!」
張り詰めた心の膜が袋小路から出てこない。波状に広がるさざなみのような心音に、数日前の茜の空が重なる星空の下。
離れれば忘れるだろうと、思っていたのに。追いかけるよりも早く浮かび上がる肖像を振り切ることが出来ずにいる。痛みの止まらない胸の奥底が身体中に伝染したのだろうか、耐え切れない唇から漏れたのは、信じがたい疼きに感嘆の息だった。そして声を忘れたように振られる頭は左右に数度。此処には、あの外套も、代わりの白い上掛けも毛布も存在しない。もてあまして漏れ続ける腫れぼったい吐息の濁流に、幼い心はすっかり押し流されて今も渦の中。思わずつぐまれた次の言葉は、自身しか呼ぶことのない王の呼称。
不確かで、まるで不謹慎な。
「…………おうさま」
くるしい。
たった一人に身が焦げることを知った夜。喉の乾きに耐えきれず、きつく合わせた膝と腿を刷り寄せて、吐き気にも似た焦燥で自覚する。狂おしい衝動の渦を。
とんだ笑い者の慰み者だ。いっそあのまま、あの妖怪と共に灼熱の大地に溺れてしまえば良かったのに、違う、そんなことが本位ではない。――なら。なにが?
知ったばかりの情欲に、未熟な身体は切り付けられる。滲んだ涙と汗の粒にまで、その外套を求める程に。うねるように乱暴に吹き荒れた風を受けて、小石が革の爪先に蹴り飛ばされた。
「王サマ」
嫌だ、乱される。なら、なにが?なにが本位だ、未だ道を知らぬまま、少年の目は空を見る。
なにを、欲して歩いたのか。欲して生きたのか。
強さと安住、家族と平和、己の証明、誇りと理由、永遠と道、煙草と硝煙、己と、
「……違う」
今並べたその言葉はその問いは、果たして本位であったろうか?
「嘘はいけない」
思い出す師の言葉。そうだろう、たったひとつだ。あの外套が、それだけがいつもいつも、はためいては乱して苦しめる。
道を照らせないのなら、見えないまま進むしかない──吹き荒れる風と舞い散る星の光を受けた少女は、きつく握った拳で頬を諌めた。