大地に注ぐ茜の色を、その意識の遠くに置いた。膝をかかえる少年は一人、矛盾を抱いて息をひとつ。川岸を走る水鳥に、川辺のクチナシ、白い小鳥。右を上げる唇の端には咥え煙草で瞬きをひとつ、またひとつ。両に広げた白い羽と煙の筋は、雲に紛れて立ち消えた。
「……王サマ」
呟く声の、矛盾は遠い昔に承知していた。棄てると豪語する程の意味を理解し得なかったのは、幼さ故か彼女故か。今の今でも無縁だと打ち振る首の下で微かに色付く想いがあるという、その名にはまだ出会っていない。
何時も傍にいた外套が、右目の雫に滲み出る。
「……ちくしょう…!」
漏れる語彙は、確かに重ねた少年のそれだ。幼い日の乳母の耳に入れば何時までだってあてこすりを貰うに違いないそれを、しかし誰よりも受け入れていたのは、あの傍らの外套であると。ともすればその本人よりずっと近くに。知覚する頃には左の頬に水を感じた。肘を覆う茜色が侵食されては茶に変わる。
溢れたらどうしようか。
それまでにやめようか。
泣き濡れることも知らぬ慕情を飼い殺すのも。飼い慣らすなど到底出来ぬ。
手毬歌のような問答。食い縛った奥歯に弾いて上げた鼻の傷、
「天化!」
その対岸の茜に白が見えた。
「天化ー!」
次に見えた赤。てんか、てんか、繰り返す大きな口が、変わらず大きく手を振ること。息を切らせて跳ねること、
「天化ってば!」
「王サマ…」
少年の足元で跳ねた水に舞い散る羽毛に灰が散る。
「…っぅわ…!!」
「そっから動くな―――!!」
「――ッ…!」
一瞬であった。
恐らくひとであるその外套の主には。
「水鳥はさっさと巣に帰んな!」
蹴り上げた黒いブーツに舞い散る牙を向いたつがいの羽毛が、茜と鮮血を纏って川へ落ちる。二本の光の筋は空へ上った。
「…って、」
振り上げた黒い柄にかざして霞めた茜の光。獏邪の閃光はその目の如く燃えていた。
「てんっ…」
「ほら大丈夫さ、しっかしりな王サマ」
飛び越えた至近距離の鮮やかな景色に声が出ないのは、彼が人であるから。
「ああ…あ、ありがと」
差し出すか否か迷って煙草を拾った返り血の手は、石を拾って川へ投げる。
「昼から気になって見てた。それほどでかい仙気じゃねぇし、危害加えるつもりもないんじゃないかって踏んでたけど。直接王サマ狙いってのは」

ちょっと卑怯さ。

言いかけて歪んだ視界に褪せる空。左の腿から酷く霞んだ音がする。
「オイッ!」
天変地異かとすら思う揺らぎをせき止めたのは、ほら、
「大丈夫なのかよ!?おい!」
躊躇いなく血染めの手とバンダナを引き寄せたその白と赤の真っ直ぐな目だ。
「本当は治ってねぇんじゃねーの!?」
不覚にも支えられた腰には触れたくない。込み上げる情が溢れかえって天化の背が大きく反った。
「……卑怯さ」
それだけだ。
飼い慣らせもしない飼い殺しにもできない、そんな思いが渦巻いて、瞼の動きを止めたのだ。止めようと、した筈だ。

「天化」
この声の前で溢れるしか術を知らない涙の粒が、不恰好に頬を染める。もう星が出るだろうか月の見える夜だろうか。
「…なんか…よく…俺は戦術とかわかんねぇけどよ!」
バンダナを抱いた大きな手は、きっと骨格だけ先だった父に似たのだろう。指の長さは圧倒的な男の手。三度撫でられたのはなにかの合図なのだろう。
「…っ…ッ」
声にならぬ咆哮と涙の粒が血を染めた。時は誰の味方か、茜は地平へ還る頃。河原の隅に伸びる影は、誰が見ようと一人分の換算だった。風を含んだ外套の中に、泣きじゃくる少年がひとり、
「ずっと見ててくれたんだろ?さっきのも」
本当にみていたのは、その外套。ずっと。ずっと。

この腕の中で消えた脚の痛みを、なんと形容すればいいだろう。とうに落ちた吸殻は今頃小石の隙間を縫って川まで流れるのだろうか。

天化、天化、天化。
泣きじゃくる背を抱える腕が徐々に戸惑いをなくすうち、外套は大きくたなびいた。見下ろす大きな男の影に埋もれて見上げる泣き濡れた少年の顔が、
「……天化?お前……――おん」
「へへ、借り作っちまったさ!」
外套を突き飛ばして走り去るこんな星の野営地。
「まっ…待てよ!天化!」
走って追いつけないことなどは互いに承知の速度と進路。
「天化…」

確かに合わさった睫と睫の先は、彼女と涙を分け合った己の秘密。

2011/09/18









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