目が痛めば鼻が痛む。腹の鈍痛を抱えては胸が千切れる星の夜。
「元気ないね、にいさま」
「んー…そうさ?」
膝に甘える髪を撫でながら、今更過ぎた矛盾を想った。この娘が姉であると素直な末弟が知るよしもない。父であるその男の下へは帰らない――跳ねっ返りの最後の意地だ。越えるまでは、答えを見付けるまでは帰らない娘。遠い昔に決めたこと。
「ねぇねぇっ!おいしいもの食べようよー」
「そんじゃ親父に作って貰うか、杏仁豆腐」
「うんっ!!」
幼い脚を跳ねさせながら満面の笑みが開花した。そんな場所で自分も育てば良かったのだろうかと、棘をいくつか飲み込みながら砂に踏み込む左脚は、今日もまだ泥のように重かった。

護衛を降りた次男の噂は、瞬く間に乾いたこの地に根を張った。極力波風を立てずにと話をつけたばかりの決まり事に、一番の不安要素がやはり適応しないのだ。
振り返る外套に寄せる眉。

だいじょうぶ?

遠目でパクパク動く口には取り合わない。天化が制裁を降すまでもなく、隣の楊ゼンが背を押して天幕に押し込めたから。もう目を合わせることもないのだろうと、痛む胸に蓋をして。これでは降りた意味がない、そう咎めたらしい声もした。

「だってよ!あんまりじゃねぇか!!」
「貴方が揺らいだらそれこそなにも意味がない。それとも全ての兵を見舞う気ですか!」
「一回二回でガタガタ言うなっつってんだ!アイツはっ、お」
「邑に一度も二度もありません!」
「ぐ」
俺の護衛。言葉に詰まるのは大抵その安易な付け焼き刃の白い背であり、
「それでも他に言い方考えたっていいだろーがよ。あ゙ぁ?」
もう一度食らい付くのもその付け焼き刃。
「……だから貴方はなにも知らないと言ってるんです」
「なんだよそれ?」
噛み合わないのも承知の上で拮抗する瞬きに、風の匂いが解らないのも当然だった。竦められる肩と苛立ちの外套の噂が噂を呼び込んで、
「……小兄よぉ、俺様が聞いた話じゃ惚れた女がいるんじゃねぇかって」
「年中いるじゃん」
木材と水瓶を抱えた黒い羽根がバンダナの隣で首を捻る。 足元の河原の小石が飛んだ。
「それにしたって最近ヘンじゃねぇか?」
「あの人は元からヘンさ」
「なんだとコラ!!」
「ああほら、水溢れてるさ水」
傾いてもなお灼熱の日が照り付ける夏の砂の上は、飲む気がなくとも水が貴重だ。一口喉を潤すだけで訓練中の歩兵の足音も瞬く間に鋭さを取り戻す。
「……なぁコウモリよ!」
耳を澄ませた河の音に水鳥の尾。小石の飛ぶ水面が、熱い身体を呼んでいた。
「あん?」
「先帰って天祥見ててやってくんねぇか?俺っち傷洗ってから行くさ」
くわえ煙草の灰が膝頭を焼いた。

いくらなんでもあんな言い方――夕日が地平に滲む頃、既に三度の月を迎えて未だ平行を保つ二人。
たかだか護衛一人の安否を何時まで憂うのか。問われてみればその通り、それを棄てるには、
「……あいつだって」
あの少年は明らかに幼い。その点を忘れ去れる程に賢くなれない点は王も同じだ。
「クソ!」
投げ付けたターバンが砂の粒を追いやった。あの夜の背中越しに、か細く抑えた涙の気配が未だありありとそこにある。寝たふりを決め込んだのはそれがたった二度目だった。哀れむでもからかうでもなく、意地らしい程頑ななその声と震える肩がそうさせた夜。
「あいつだって人間なんだ!」
今やそうとは分類はされないだろうバンダナの下の目が、驚く程無邪気に笑う瞬間を知っている。信じがたい程幼く疑う程冷めた大人で、息を忘れる程に力強く真っ直ぐに。――漸く思い描いた残像は、手を伸ばした砂嵐に阻まれた。









[TOP 地図 連載 短編 off 日記 ]
- 発 天 途 上 郷 -



「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -