甘み




「コーチのバカ王サマのバカッ!!」
嘘だ。嘘の訳がないのだ。目の前で起こる革命の前夜をこの目に止めず、どうして納得出来ようか。
20を過ぎた傷だらけの跳ねっ返りが、抱き締めた毛布を蹴り跳ばして殴り付けた。此処に登ってもう10にもなる所。
「なんで人に黙って決めてばっか!ちくしょー!」
踏みつける度に傷む四肢が、なにより如実に理由を語る。反芻する師父の言葉に悔しさの塊。
「っくしょー!」
"小兄"と"クソ師匠"を繰り返した黒い翼が、絶叫しながら落下する姿を見たのがつい数刻前。
脱走の片棒を担いでやくれまいかと期待を寄せたその翼も、未だ傷が傷むらしい。あのひとの周りって似た者同士ばっかりかい!言って笑ってみて腹立った。
落下を続けたその身体を、つい先日手足を亡くした赤い髪の少年が随分と乱雑に引き上げたらしいことも、巻き起こる轟音に知る。
「ありゃーまた手足取れるべ…」

……気が付けば、いつもひとりだ。寝返りを打つ寝台の上。
「……んのバカ!!」
ひとりぼっちじゃない時間は、誰かと一緒にいたからだ。
「バカ!」
なにがどうして馬鹿なのか。それすらわからない罵声の連呼にもいささか飽きた跳ねっ返りが、観念したのか毛布を抱く。体固め。蹴るのは止めだ、明らかに分が悪い。
「……また女、追っかけ回したりとか」
力がこもる。
「怖くなって逃げ出すとか!」
潰れた毛布。
「結局酒蔵で飲んだくれててなんも出来ねぇとか!」
力の限り憎き毛布を抱き締めた。ちぐはぐ。矛盾。
「…っにさ!みんなして勝手ばっか!」


今頃どうしているだろう。あの街の人は皆祭り騒ぎが大好きだ。歓迎されるのだろうか、
「王サマ」
は。
「……王サマ」
口にしかけた彼の本名は、呼ぶに忍びない。家臣が君主の名を呼ぶことは赦されない。それが掟。破ってまで呼ぶ程の、
「……っぅ、サマ」
名前ではないんだ。
白い毛布を掴む指が、あの外套の端を捕まえた。絵空の外套、意味はない、価値もない、わからない、
「っ、…ぁ」
声が、跳ねた。
「…なんさ…これ…」
苦しくて堪らない。腹が痛む?違う、胃でもない腸でもないわからない。
「……っ、…ぅ」
溢れそうになる瞳の奥の水分を必死で留めてすがる外套。痛む脚を絡めてきつく腰を摺り寄せたそれは、きっと既に毛布でなかったのだ。

「王サマっ…、ぁ…マ」

訳がわからない。
「…ゃ、…さ、ぁ…」
甘い痺れと疼きに抱えられたまま息を忘れる。――違う、息が天化を忘れ去る。置いていく。
「――……っ」
内臓から沸き上がるのか。せり上がる寒気に似た感覚が、熱い身体を追い詰めた。――嫌さ、違う、わかんねぇ…嘘…
「っかんねぇさ…バカっ」

今頃似合わない演説をしているのだろうか。逃げ出してやいないだろうか。もしかして師父の黄巾力士の上に自分の姿を探してはくれないだろうか。
「王サマっ…」
苦しい胸は、冷やかして撫でられたりするのだろうか。反り返る背を、軽口で叩いてくれるだろうか。張り詰める脚が思考を遮る。
誰もいないその場所で、声を刻んで身体が火照る。

一瞬の後悔が判断力を鈍らせる。
一瞬の判断ミスが命取り。

「あッ……は、――…!!」

それすら遮る描き起こした思考の地図が、一切を手離した。
きつくきつく目を閉じて、止まる息が、捩れた幼い腰つきで、跳ねた脚が。
「……ぁ」
いつの間に酸素を取り戻したのだろう。色付いた唇に、重なるそれを起相した。

逃げ足を掴めば振り返る、大輪の笑顔と翻る外套を従えて。

――王サマ…

訳もわからぬ目眩の中で、それだけは何より如実な真実として其処にある。

"嘘はいけない。"

邑なんて、見る気はなかった最初から。あの軽口に届くのなら。

無意識の奥底で恐々触れた唇は、無垢で幼く甘い目眩の味がした。
意味なんてわからないこと。いつもそうだ。自分にはわかりっこないことばかり。
抱き締めた外套の海に埋もれて一粒だけ溢した雫も、意味なんてわからないのに。

「王サマ」

呟いた記号は、甘い甘い味がした――。

2011/05/28









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