血潮






「ヘンなの!おかしいんだー!」
「よわむし!なきむし!」
「帰っちゃえ!」
「おれっちよわくねぇさ!」

嗚呼、あの日は石が飛んでいたっけ。どうして立ち上がれたのだろう、遠い日を思う。
「女がやっちゃいけないんだぞ!」
大好きな剣だった。父の青銅のそれには到底及ばない、木っ端を剣と信じていたから。囲まれて取り上げられた宝物を奪い帰すのも容易かった。
「おうち帰っちゃえ!泣くぞーコイツ!」
「なかねぇさ!」
「よわむし女!」
「武成王だってお前のこときらいなんだぜ」
「弱虫!泣き虫!」
「ヘンなヤツー」


嘘だ。違う、あのときは今じゃない。

「天化は見世物じゃない!馬鹿にするな!」

飛び出した兄の後姿に、

「男が泣くもんじゃねぇぞ」

困り果てた父の顔。――こんな自分も兄のことも、俺の誇りなのだと笑っていた。
ほらやっぱり、俺っちなんもまちがっちゃいないさ、俺っちは負けねぇ…負けらんねぇ…

「――くそっ!!!」
引き戻す声がした。
「もういいっ!!!俺はみんなを助けに行く!!!」
誰だろう。…やっぱり、底抜けに正直な人だった。内に秘めたものがこんなに熱いとはこうなるまでわからなかったけれど。
手が、動く。指の細胞がひとつ目覚めた。またひとつ、今度は脚の甲に感じる細胞の塊、流れる血潮。――そうだ、負けるわけに行かない。負けるわけがない。王サマがいるんだ。
張り裂ける音がした。
あの覆面の剣士に、その人が殴られた音。ちくしょう!

今度こそ、――

「生きているかい?」
聞き覚えのある柔らかい声がする。
「キミは一度仙人界に戻って体を癒さないといけない」
嫌ではない黒い影。そこにはたおやかな空色の髪が、真っ白な霊獣のような宝貝の毛と共に曇り空に揺れていた。

走り抜ける風が、生きた細胞を奪ってゆく。早く、早く戻らなければ――
無意識に引っ張られる懐かしい日の残像に、混濁する今。
不器用な人。
王になるにはきっと荷が重い。
いてやらなきゃ、護ってやんなきゃ、この人は――今度こそ。

「天化!!?」
「コーチ…」

倒れ込んだ岩場で傷を治してくれと搾り出したら、初めてだ。朗らかな師の困惑、否、恐怖を感じてすらいるその声も、制止する声も。
「負け…」
四肢を付いたその地の砂の味も。
「…ねぇっ!!!」

観念したのだろうか。伝わったのだろうか、認めてくれたのだろうか。短い髪の太い腕に抱き抱えられて、久しぶりにすら感じる懐かしい寝台に身体が埋まった。グローブを外して針と糸を持った指。
「ど…ええ!?天化くん!?」
もう十年近くにも前になるだろうか。
「どういうことだい!」
師になる前の道徳が、天化の部屋を破壊して歩み寄った夜の如く、駆け込んだ黒く細い髪が戸を吹っ飛ばしていた。
「へへっ…太乙さんがそんなに力あるなんて俺っち初めて知ったさ…」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!道徳もなんで…」
「説明する暇がないんだ!太乙麻酔は頼む!俺じゃ手に負えん!」
「違うよそんな意味じゃっ」
「俺っち行かなきゃならねぇんさ!!」
天化の声が、なびく黒髪を制した。見詰める道徳の目もきっと同じなのだろう。
「…本当に似た者同士だね、君たちは…」
今度こそ観念した声に、
「すまねぇさ…」
ようやく少しだけあどけない、瞼を閉じた。
「でも――麻酔は打てないよ、君の薬と相性が」
「それでいいさ」
「痛み止めは可能な限り使うけど…」
「それじゃ目がぼやけちまうさ!腕だって!」
「少しでも、寝ておいて。薬は私が練るから、道徳は縫合を…だめだ、代わって!雲中子は!?」
「それがさっき連絡したんだが…」
「ああっ、そうか雷震子が下山したばかりなのか…!」

きっとこの興奮状態じゃ麻酔は効かない。それ以上に効いているのは脳内伝達物質が大量放出されているからだ。
――注意を述べる言の葉を、理解したとは思えない。ただ縫合の痛みを感じないのは事実だ。

「もういい、縫合は私がするから!薬の配分(レシピ)も私が指示するから道徳はその通りに丹薬練って!」
「恩に着る太乙!」

これ以上頑張れないと身体が悲鳴を上げているときに、少しでも楽になるように、それを"感じなくする"物質なのだと声がした。だからくれぐれも無理はしないで。そう聞こえた。

なんだ、それアドレナリンってことさ?
んじゃぁなんも心配いらねぇさ、コーチとの修行で慣れてっから!

随分と端的な思考と言葉を返して、唇が酸素を求めて収縮しては止まっていた。腕に感じるきつい包帯、脚に感じる微かな針の感触。長い長いときを経て、久しぶりに幼いサラシが解放される。
これだけの負傷は、神経を残して縫合する方が難しいのだそうだ。結局また聞こえやしないのだろう。
「……っても…太乙さんなら出来るっしょ…」
「本当に君は…どうしてそんなに無理をしたがるかなぁ…」

ふと、黒髪の幼子が昇山した日を思い出す。懐かしいこんな陽気の空の下。

「そんな訳で男としてやっていきたいんだそうだっ」
全く他人事のようにかざされたグローブに、
「スポーツに男も女もないからなっ!」
「ならこの杏で根本的に男になってしまえばいいんじゃないかな?」
随分物騒な会話をしたものだ。
「…それで私にどうしろって?」
「フォローを頼むっ!」
「いやいやいや!!私は私で霊朱の研究も佳境なの!なんでそう面倒事を押し付けるかな!!」
全く以て他人事だ。
「だからーないものちょっと付け足すぐらい簡単だろう!」
「そりゃ私にはおちゃのこさいさ…ええ!?」
いや、実際に他人事だったのだ、
「俺っち、絶対強くなるかんね!」

そう言ってきかない少女の手を取ってしまうまでは――。

「頼むからもう無理はしないでよ」

現世に帰るこの声を、ちゃんと受け取ってくれるだろうか。

心拍を数える太乙の声に、案の定少女は言葉尻で頷いた。
だって。負けられねぇから。王サマを護るのは俺っちの役目さ――
言葉になったのかどうかはわからない。今ある気持ちに後悔をさせないんだ。だって。自分はそう教わって、誰かに伝えたばかりだから。

――負けらんねぇ!

膨らむ怒気と仙気は、誰にも劣らぬ未熟な少年へと帰していた。









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