はなむけ




秋風の吹き込む朝焼けの空。街も人も夢の中。

シャッターを持ち上げる鍛え上げた右腕と、現れた花々に向ける大輪の笑顔。
無邪気で無垢で、何処か儚げで。逆光に照らされて、弾む息が白く立ち昇る。

「今日もみんな元気さー!」

満足気に頷いて、長い前髪をバンダナで覆った。
赤いレンガの商店街。その片隅で息づく花と花屋とその男。黄色のエプロンが誇らしげに胸を張る。

店の前に立てかけた小さな黒板と、その前にひざまづく男の身体。
可愛らしく彩るチョークと花の名前は、フレームを抑える左手で少し掠れて粉が舞う。
四隅のポイントのカーネーションを描いて消してを繰り返し、四回目になる頃に、三歩下がって満足気に微笑んだ。

何処からどう見ても似合わない身体が、大きく伸びて欠伸をひとつ、煙草を一服。
首を回してまた伸びをして、その力強い腕がバケツとジョウロを持ち出す頃には、夢から覚めた群集が駅に歩き出していた。

疲れた顔。焦る顔。
まだ目覚めたばかりの街で、行き交う人は誰も歩みを止めはしない。服の色も大差なく、ひたすら続く黒と灰色の行進。

「はい!はい、はい、すぐ伺いますんでー、宜しくお願いします。」

グレーの細身のスーツとエンジのネクタイ。流行りのスマートフォン片手にペコペコ頭を下げる彼も、また同じ。
「ふぁー、あ…あ゙!?」
欠伸が止まり、過ぎ去る脚が歩みを止めて、あがった声に反射的に振り向いた。
「あ…」
黄色のエプロン、水色のバケツとジョウロ、水圧に暴れるホース。広がり続ける水溜り。
「お前どーしてくれんだよコレ!」
スマートフォンと鞄を引っさげた男の片足が、黒く色を変えていた。
「今から大事な取引先行くのに!契約こーしん出来なかったらどーすんだ!」
少し猫背の大股で近付いてくるサラリーマン。歳はそんなに遠くない。黒い髪と大きな釣り目が飛び込んだ。
「悪かったさ、ごめん!」
「オメーぜんっぜん謝る気ないだろ!」
ペコリとひとつ頭を下げた黄色のエプロン。髪をかきながら怒鳴るスーツ。
その手がスマートフォンに触れる前に、無骨な手が握ったのは、予想もしないパステルカラーのサテンのリボン。

「……は?」
「…コレ。お詫びさ」

持ってったら、相手にも喜ばれると思うさ。
そう唇が動くまで、意味がわからなかった。

大きな手の中で、くるくる形を変える包装紙とリボンにセロファン、アルミに花々。
あまりの速さに思考が追いつかない。どうしてこの手でこれだけ小さいものを生み出せるのだろう。

慌ててポケットに突っ込んだスマートフォン。思わず両手で受け取ってしまったミニブーケ。

薄い蒼と紫のキキョウ、真紅の薔薇に純白の薔薇、カスミソウ。

「え、タダ?」
「お詫びに。」
「いや…花ってお前…」
「ごめんさ、悪かった」
「……んー、まぁ、水だしな!乾くしな!しょーがねぇ…」

他に続けられる言葉が見付からなかった。伏せた頭と鍛えた腕と、似合わない可愛いミニブーケ。

「…んじゃあな!」

身を翻した男の背中が、軽い調子で歩き出す。三歩目にはいっそ空まで飛びそうだ。この朝の商店街でスキップなんて、もう何年も見たことがない。

「……やっぱ花見たらみんな笑顔んなるさー!」

能天気なガッツポーズの黄色いエプロンが、腕をまくってカウンターに消える。射し込む陽射しはご機嫌で、咥え煙草に鼻歌ひとつ。

今日も平和な小さな花屋。
芽生えるのは勘違いと恋のつぼみだったとかなんとか、その続きはまたいずれ。
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