春の雨、春の朝。




物心付いた頃にゃあ女の柔らかさを知っていた。

そう言っちゃぁなにもかもダメな男に聴こえるけどよ、実際問題ダメなんだから仕方ねぇだろ。他に言い様はない。昼間の稽古を抜け出して街の雑踏を知ったのは十にもならない頃で、夜の街の不気味な静けさと賑わいを知ったのは十一だったか。酒を知ったのもその頃で、他人の掌を知ったのは覚えちゃねぇが、十二やそこらじゃねぇかな。

初めて女に抱かれたのは、親父が朝歌に赴いた夜。
ほんっと、我ながら酷いドラ息子だと思うよ。最低だろ?
目の前には極上のプリンちゃん、しかも俺によからぬ気を寄せてくれた姉ちゃんで、文字通り手取り足取り腰取りさ、教えてくれて奪ってくれた十四も目前の夜。
頭の中じゃ帰って来ないだろう親父の背中がちらついて、俺はガキみたいに泣いた。

"気持ちいいなら泣かないで強請れば良いのよ、可愛いわね発ちゃん"

なーんて、煙管片手に言われたっけ。どうやら喰いでがあった俺は気に入られ、当面の快感と安定と、見せかけの泣き場所と抱き枕を手にした訳だ。

安寧なんて物も、みんなが夢見る恋なんて物も、そこにゃなかったんだろうが。まぁ、馬鹿だしよ。だから俺はこんな場所に燻ってんだから仕方ねぇわ。自分の出来の悪さなんざとっくの昔に認めてる俺の、唯一の特技は順応性ってヤツなんだ。
その日からの毎日に、やっぱり安寧なんて物は微塵もありやしねぇけど。



旦が怒る金切り声が次第に遠くなったのは、俺を探して泣いてた雷震子が仙界とやらに旅立ってからだった。少なからずアイツには良いあんちゃんてモンでいたかった……なんて今更どうか知らねぇけどよ。思えば、旦のヤツには兄貴らしいことしてやれなかったっけな。
「いい加減になさい小兄様!」
そう咎める声が遂に止んで、夜の街から帰らない俺を叱る人間はいなくなる。

ただ肌を合わせるだけで良いんだ。そりゃぁ性欲の強さは自覚してっけど、毎晩毎晩手枷着けてふん縛ってなんざ出来ねぇわ。毎日毎日ナンパに成功する訳もなし、だからって連日踊りゃダルくなる。ダチと飲むのも気が引けちまえば、行くのは娼館しかねぇだろ。

柔らかい女体にうぶな天瓜粉の匂いを振りかけて、すべらかな肌を確かめて、その唇が俺の想いと重なることなんかねぇのは知ってる。それでも、そこしか抱えて持ってく場所がねぇんだからよ、仕方ねぇ。墓場みたいなモンなんだ、仕方ねぇよ。
仕方ねぇ、何度言ったか知らねぇ"仕方ねぇ"に溺れて窒息しかけた七年目。

暗い部屋で灯籠灯して、咎めもせずに俺を待ってた優男の兄ちゃんが、あのクソ出来の良い融通利かねぇバカヤローが、婚約した女を残して城から消えた。
やがて女は邑に帰る。

「発ちゃん、今なら泣いても良いのよ?」

あの人には告げ口しないであげるわ、発ちゃんには厳しいみたいだもの、伯邑孝様は──なーんて、泣き腫らした目でからから笑いながら。だからお軽く言ってやったわ、
「兄ちゃんと違って、おっぱいおっきい娘の前でしか泣かねぇわー!わーりぃな姉ちゃんよー」
って。

ほっとした顔で、控え目なバイバイ、が聞こえた。お世話になりました、邑に帰ります、元気でね、立派にね、──だってよ。


あーあ。
これで誰もいなくなった。


正真正銘、城の中にも街の角にも、飲み屋もディスコも娼館も、兄ちゃんと並んで耕した古い畑にも、雷震子とならんだ屋根の上にも、ちっちぇ旦けしかけて連れ出した木蓮が見える邑境の丘にも、俺を知ってるヤツはいない。
だってどうやって知るってんだよ?俺だって俺を知らねぇの。どうしたって掴まえらんねぇって。無理無理、無駄無駄、やるだけ損すんぜ。

誰も俺を知らなくて、俺も誰も知らなくて。
九死に一生を得た親父が真っ先に抱き締めた人間が俺だなんて、──信じたくなかったっつの。

どれだけの情けなさ引き摺り出して重ねても、腐りきった七年以上の罪が変わるわきゃねぇ。悔しさもなにもかもが煩わしくて切なくて絶えきれなくて。
春の雨の夜に城を出た。

誰でも良い。誰でも良いから、乳臭いぬくもりと快楽の渦に埋もれたかったんだ。そうじゃなきゃ壊れそうだった。俺が俺でいられない。いや、今までだって俺が俺でいたことなんざ一度もねぇだろ──自問自答が堂々巡り始めた頃に、凛とした、霧を払うような明朗な声が俺の腕を掴んでいた。


「やっと掴まえたさ、あんた」


度々見かけるようになった新顔と俺が、春雨に打たれて二人。顔は見えねぇ。見なかったから。
掴まれた腕は人より早く力強い脈を伝えて、なんとなくコイツが剣士様だったっけなって、頭掠めたりして。

「泣いてんのかい?」

……そんな風に言うな。

どんぐりみたいな丸いガキの目ぇしてる癖に。空気なんざ読まねぇ癖に。女の柔らかさも知らねぇ童貞の癖に。俺のなにも知らねぇお空の上の道士様の癖に。

「仕方ないさ、あんた寂しがりだかんな」

そう言って右手で煙草を揉み消したソイツの手が俺の頬を何度も掠めて、春雨に押し流された土砂崩れの涙を拭う。──ばかやろう、ばかやろう、ばかやろう──俺はそれしか口に出せない。だって仕方ねぇだろ、馬鹿なんだ、俺は。それに弱ぇんだ、俺は。こうして誰かと向き合うことに、極端に。

ジリ、と一歩地面を擦るゴム底のブーツが背伸びして、気付いたときにゃぁヤニ臭ぇ硬い両腕の中に頭があって。耳のすぐ横に唇が、吐息が、バンダナが、濡れたまま言った。

「泣いていいさ」

だなんて、睦言めいた呪文みてぇなそれを。
濡れ髪が梳かれて地肌を撫でられて、掻き抱いた互いの背に爪を立てたら濡れた服が邪魔しやがる。いつしか滴る雫は春雨なんかじゃなくなって、涙が溢れて壊れちまった俺の目は、見ることを放棄した。
暗がりにゆらゆら朧気に浮かぶアイツの輪郭が、幾重にもぼやけて灯籠に乱反射して、その瞳からも銀色のなにかがぽろぽろ落ちたんだ。後から後から止まらねぇ。
「姫発さんを守るのは、俺っちの役目さ……っ」
だなんて、弱々しくも凛としたガキの声で。

どうやって辿り着いたかかんざ覚えちゃいねぇ城の自室の寝台で、アイツが尻込みしやがんの。あーたの寝台が濡れちまうって。構うもんか、一時だって離れたくねぇんだ。そう思わせちまったお前が悪い。
互いの服を肩から落としても、アイツは平然と俺の頬を撫でに来やがる。寂しがりっしょ、だから一瞬だって一人に出来ねぇさ、なんて。わかった口聴きやがる。
寝台に縺れてもなにも言わずに笑ってら。俺っち寝るときゃ服着ねぇからありがてぇさ、だってよ──笑っちまうぜ全く。
おっかしいの!
笑って笑って腹抱えて笑って、頭抱えて涙が止まらなくなるまで、ただただ体温を分けあった。いつもの淫蕩なんざありゃしねぇ。

横たわる俺らがあったけぇ。今はただそれだけだ。

吸い付く肌の暖かさ。

泣き言を急かすでもなく、唇の動きを黙視するアイツ。髪を梳き合って泣き合って、脚を絡めりゃまた泣いて、

"苦しいなら強がらないで泣けば良いのさ、よく頑張ったな、王サマ、姫発さん"

なーんて、煙草片手に言われたっけ。どうやら心音が穏やからしい俺は気に入られ、一晩中ただ抱き合って顔を埋めて頬を撫でて涙を舐めて、ふたりぼっちで眠りこけた。

快楽なんて物も、みんなが夢見る恋なんて物も、そこにゃなかったんだろうが。まぁ、俺と天化だしよ。


限りなく情に近い愛と、安寧は。生意気な剣士の両腕に有り余るほど溢れてやがんの。

愛しくて切なくて、恋しくて堪らなくて、顔を上げようと外套の金具を殊更きつく締めた春の朝。

まぁ、ガキの内からコキ使った分。ゆっくり休めや──泣き虫で寂しがりな遊び人さんよ。

残されたバンダナ片手に、今日はなんて言ってアイツに締め直してやろうか。そう考えたら、ほのかに赤く染まった耳が限りなく優しく、愛しく見えた。
そんな春の朝だった。


end.



発は純粋に女の子を好いている以外の理由がありそうだな、と思っていたこと。
念願叶って日の目を見ました。
2013/04/22
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