キスの場所で22のお題 14、手の甲




とある戦闘の終わりであった。戦闘と呼ぶには小規模なそれは、王室の天井から降り注ぐどす黒い紅の雨。真っ暗な闇に橙の灯籠が仄かに灯る朔の夜だ、妖怪は好むと周知の事実。危ない!──そう声を発するよりも早く、寝台の隅で片膝を抱えていた少年が羽の布団を蹴りあげる。瞬間にひっ、と裏返る声を飲み込んで、姫発は枕を抱き寄せた。

ぽたぽたと不気味に室内を濡らす妖怪の雨の中、宝剣の光が四方を眩(まばゆ)く照らし、少年の丸い頭とバンダナが舞った。
暗闇で発が見たものは、小さくも逞しい背中に、両手の武具。一瞬にして降り止んだ血の雨に濡れて、
「天化……」
呼ばれた少年が振り返る。満面の笑みで。
「…てっ…天化…?…おわっ」
「──ああ、終わったさ。安心しな、王サマよ」

紡ぎきることが出来ないほどの恐怖を、姫発の目元は告げていた。妖怪の血の雨に刺され、打たれ、涙は頬を伝い落ちる。かっこわる……辛うじて紡ぐ虚勢の肩を優しく叩き、抱き寄せて、天化の垂れた目は柔らかな弧を描いて微笑んでいた。その背後を飛び立つのは一筋の魂魄。一体全体何時の拍子に切りつけたやら、その速さは天化が一流であることを、なによりも物語っていた。

「もう大丈夫さ、王サマ」

常よりずっと、丸みを帯びた柔らかな声。それを以て足は近付き、間合いを詰める。
一歩。それは安堵を。
二歩。それはおやすみを告げに。

震えはもうない。幾度となく護衛に窮地を救われて、その度に繰り返す儀式のような、曖昧で心地好い距離だった。

王の震えを引き受ける。
それは護衛の人知れず決めたこと。
彼の恐怖をなぎ倒し、摘み取り、代わりに与うは安息成り。

ただ一人、純粋で大切なひとつの命を全て預かることは、少年の身に重くのし掛かっては闇夜を急かす。

しかしそれでも──。

「──……ありがとな、天化……」

近付いた血濡れの手を躊躇うことなく包む発の長い指は、もう震えることもなく。触れた指先で愛おしむように慈しむように、謝辞が降り注いだ。

「おっ、王サマ!?いいさ、離すさっ…!」
「いいや、離さねぇよ……」

畳んだ真新しい外套を引き寄せて血濡れの手を拭い、表れた新しい汚れなきその皮膚に唇を落とし、優しき君主は微笑んだ。
突然の慣れぬ所業に戸惑い、すっかり顔を上気させ狼狽しきった少年を前に、──何度も何度も。その体温と存在を確かめようと、唇が指をなぞり、甲に落ちる。

数多の民を平和へ導き、数多の命を背負う若き君主は、ただ一人、純粋で無茶な大切なひとつの命に労いを。存在意義を。優しさを。灯して、落として、刻み込み包み込む。

全てを預けて忠誠の誓いを。
王が遣えるただ一人、愛し抜く少年へ。
願わくは自らのそのぬくもりで、変わらぬ愛で包めるようにと、節くれ立つ剣士の手に、願いと敬慕は込められた。

「ありがとな、護衛さんよ」

ただ一人、純粋で大切なひとつの命を全て預かることは、護衛の身に重くのし掛かっては闇夜を急かす。

しかしそれでも剣を奮い続けることが出来る訳は、忠誠を刻まれた誇りの右手だけが知っている。

敬愛の口付けを君に


2012/10/06
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