月夜の契り 





「王サマ、……ごめん」
顔に走る一文字の傷、伏せた美しい瞳。
「王様って呼ぶな」
涙を流せたならなにか変わるのだろうか。抱き締めた腕の中、天化の冷たい腕が背中に回る。
「…なんとか言えよ!」
発の言葉は鋭く尖る。
続く沈黙を、破ったのは天化の吐息。
「あの娘、…めとったさ?」
「違う!」
切ない疑問符に畳み掛ける感嘆符。背中に回った手が力なくずり落ちて、胸に預けられるは、愛しくて憎たらしい、あの黒髪。
「……いや、違わねぇ…」
「そっか。」
そっけない声は、誰よりも寂しがりなアイツの声。
「天化に嘘はつけねぇよ」
「どうしてさ?」
そんな愚問。
「俺っち死んじまった。それからずっと見てっけど、あの娘と王サマけっこーお似合いさ!」
「天化」
「王サマはあの娘と仲間と、歳取ってく。どうなったって俺っちは重なんない。そんなの仙界入りしたときから決まってるかんね」
「天化」
「…親父と聞太師見てっと…王サマとあの娘見てっとわかんなくなるさ…」
「天化、」
「封神された俺っちと、結婚した王サマ。…これって引き分けさ?」
「ふざけんのもいい加減にしろ!」

ケラケラ転がる笑い声が静寂に消える。響く鈍い破裂音に、吹き飛んだ躯。嘘だ嘘だ嘘だ、この躯が空っぽなんて。
殴った頬も驚いた顔も、自嘲的に笑った唇も咥え煙草も。

「天化!」
「なんさ」
「てめぇだけ悲しいとでも思ったか?ああ!?」
いとも簡単に飛ばされて月に照らされる躯は、ウツワだからか、否か。

こんなのコイツらしくない。黙って殴られるヤツがあるか。そんなヤツじゃないだろう!

「親父のときもそうだった…!勝手にいなくなりやがって…悲しむ時間もくれやしねぇッ!」
「……王サマが死んじゃったら、みんな悲しむっしょ」
「ドイツもコイツも勝手なんだよ!」
引っ付かんだ黒い襟元は、憎たらしいアイツのお気に入りの一張羅。何度も何度も触れようとして迷った、神話のアイツの、負けず嫌いな風来坊の、あの襟元だ。
見上げたその目は、かつての武成王によく似て――違う。

黄天化。――そのひとだ。

「封神だ?仙人だ?知ったこっちゃねぇ!…俺ぁ生きてるコトを楽しむね!」
「はは、王サマらしいさ」
「うっせぇ奴だけどよ、まぁその…邑姜…アイツもまぁまぁなプリンちゃんまで育ってきたし?もーすぐ生まれる世継ぎだぜ?信じられっかよ、この俺が親父だって」
「それが、王サマが生きてるってことさ…」
「そーいや最近博打も打ってねぇし久しく酒も飲んでねぇ!あー、遊び行きてぇなー豊邑どうなったかなー」
「…王サマはそんなことしちゃダメさ、」
「天化!」

何度も罵った悪友の意地悪な罵声は、いつしか希望へと導を変え、色を変え。

「だーから!待ってろ神界で。」

大嫌いな遊び人の、瞳。
いつの間にか随分高く天化の背を追い越した、そう、彼はひと成り。生の証成り。

「思いっきり楽しんだら、……おめーの隣行くからよ、天化。」

嗚呼、どうして。どうして、このひとは真っ直ぐなのか。少し痩せた頬が高く笑う。

「そしたら俺も王様じゃねぇ。ん、なんか文句あるかよ?」
「…っとに、発ちゃんはずるするトコばっか頭いいさー誰に似たんだか」
「天化の脳筋も変わんねぇだろが、誰に似たんだか」
「ははっ、これじゃホントどーしようもないさ」

そんな俺とお前だから、きっと惹かれ合った。
魂の呼応?
知らぬ、知らぬ。
そんな難しくて都合の良い神話など。

「ってことで、死ぬときゃなるべく楽〜に苦しまないように頼んだぜ」

翻した背中に、聞き慣れた焦がれた声がおどけて告げた。
ひらり、ひらり。
背中越しに舞う天化の右手。

「オッケ!邪魔したさ。」

ひらり。ひらり。

開け放った扉の先、廊下に消える背中越し。音を立てて追い掛けた二本の足が捕えた、ようやく捕えた風のような君は、

「……大の大人が…なに甘えてんさ…」

黄飛虎に似た、瞳。顔の中央に走る一文字の傷。
愛しく憎い、黄天化。

ぽろり、頬を伝う涙の影。抱き締めた背中。
離さない。絶対に。

「…お前にしか、甘えらんねぇって…知ってんだろ」

ぽろり、ぽろり。
はらはらと。

天化の肩に染みる涙は、憎たらしいアイツの裏返し。


神話の時代を終わらせたひと、周の武王・姫発よ。
神話の渦中に神となったひと、崑崙の道士・黄天化よ。
繋ぐは一本の剣。
愛しい愛しい、一本気な君。

願わくは、君の隣へ。

「…こら、なにしてるさ!」
一張羅から覗く首筋に埋めた達者な唇。鮮やかに咲くは、君の生の証成り。吸い上げた肌は熱かった。忘れる筈がない。
「まじないだよ。消える前にまた来れるんだろうな!」
「多分。善処してみるさー」
「たぶんじゃねーっつの」

黄金の光となって消え逝く躯を引き寄せた。
嗚呼、空っぽの筈がない。
間違える筈がない、負けず嫌いで生意気で、誰より憎たらしい、純情な君の躯。

「…ちょ、タンマ!くすぐったいさ!」
「んっとに色気ねーな…」

光の渦に消える君は、確かに笑っていた。温かな光を抱き締めて、
「うっしゃ!橋の建設費も片付けちまうかー!」
咆哮と共に振り上げた拳の先、星空が笑う。

――見てろよ、天化。

月が只、見ている。
温かな温かな、幼い契り。


なぁ発ちゃん。
俺っち、生きる意味なんてとっくに見失ってたさ。
親父も超えらんねぇ、人間界も仙人界も変えらんねぇ。
みーんな先に逝っちまったさ。

でも、俺っち。
あーたと一緒にやってみたいんさ。
親父と聞太師みたいに、一緒に生きた証、残してみたいって思ったさ。
初めてさ。
こんな穏やかな闘志。

あーた、らしくないって笑うかい?
死んでから気ぃつくなんて、遅いかい?


バッカ野郎!
あーだこーだ理屈捏ねてばっかじゃ、太公望んなっちまうぜ?
てめぇはギラギラ前向いてやがれよ。
じゃなきゃ俺がバカになっちまうだろーが!

はは、それは元からさ!

ってかさ、初めて妖怪仙人がドンパチやったときだ。
おめーは俺連れて逃げて、闘って、挙げ句両腕も両足ももげかかって。
「大丈夫さ王サマ」なんつって笑ってて。
あーあ、そんときもう始まってるって…なーんで気付かねぇかなーぁ…

…続きは、あっちで聞くさ。

照れてんじゃねぇよ!

ばっ…違うさ!あーたが仕事サボってばっか

はいはい、……待ってろ。天化。

…おう、発ちゃん。


幼い幼い温かな契りは、
月明かりの下、
愛と云う名の決意に代えて。

end.
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2010/11/15

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