赤い顔で小走りに立ち去る悪友の横顔。後ろ頭。その髪を撫でたらどんなに心地良いだろう。口付けたらどんな顔をするだろう。どんな息を漏らすのだろう。
抱いた女の数知れず、抱いた男はまだいない。
思い返せばその前者の行為すら久しくしていない。おまけにこの軍を率いてから、考える煩悩すら減った。
否、増えたのは天化を想う思いだけ。その感情の渦に巻かれれば、女なんて快楽なんて、煩悩なんて消えて往け!
吹き抜ける風が、酷く熱い。
いつまで待たせんだー!
落ち着かない脚を揺すりながら寝台に寝転がる。頭の上で組んだ両腕で、この手で天化を抱き締めたら、一体どんな心地がするだろう。他になにが要るだろう?否、要らない。
「……発ちゃん?」
小さな声に唾を飲むのは何度目か。
「おう、入れよ」
少しずつ近付く砂の音、風の音、躊躇う足音。月明かりの影絵が自分に被さる頃には、加速する躯。
「天化!」
思わず立ち上がって抱き締めた躯は、そのまま寝台に倒れこむ。
「…天っ」
口付ける暇もなく、
「……発ちゃん」
気付けば自分に覆い被さる影に圧倒される。
「ちょ、ちょ待て!天化」
「嫌さ!」
鋭い口調。あの目が、焦がれた目が上から自分を見下ろしている。その状況が未だ飲み込めず――それでもいいかと思ってしまう辺り、自分の脳はこの男に溶かされてしまったのだろうか。
「…おい、ちょ、天化!俺掘られる気はねぇって…」
「いーかげん黙るさ!」
また降りかかる鋭い声。両の肩を押す手の力に敵わないことは、散々守られた自分が一番知っている訳で、
「……ああもう!好きにしろ…ッ!」
プライドは捨てた。抵抗する力もない。
――好きにしろ。俺を抱くのは後にも先にもお前一人だ。
両肩が寝台に埋もれた頃、愛しい天化の口角が持ち上がる。
「やーっと寝た、発ちゃん」
…なんですと?
誇らしげにニカニカ笑う小憎たらしい悪友の口角。
「ばかかーーー!んっとにお前はぁー!」
叫んで力一杯押し返す腕に、
「なっ、うっさいさ!早く寝るさ王サマ」
ひたすら押し返す力。
「"王サマ"言うなっつってんだろー!」
「だーらうっさいさ!みんな疲れて眠ってるって!!」
「ちっくしょ…!」
押し返す。押し返す。絶対に押し返して押し倒す!
愛しくて馬鹿らしいこの男は、どうやらその点の知識や感情は持ち合わせていないらしい。薄々感付いてはいたものの、まさかここまでとは思いもよらず。
しかも自分への好意ははっきり感じたし信じてもいた。それを認められない方がよっぽど辛い。心が折れるとはよく言ったもんだ。
「…んの脳筋天化がっ…!」
最早組み手のように押し返す馬鹿な腕。欲望よりもなによりも、組み敷かれて尚手を出せない程、惚れ抜いてしまっている自分に腹が立つ。どうしてこんなに幼いのだろう。自分も、天化も。
「早く寝ないと躯に触るっていつもいってるさ!」
放たれた言葉。
「からだ」?「さわる」?
……触りてぇのはこっちだバカ!
心の中で毒づいて、やめた。
全面降伏、白旗成り。
目の端に覗く艶かしい肌の色。その隣の包帯とさらし。染みた鮮血が見えたから。
「…うぉっ!」
急に抜けた力に勢い付いて倒れ込む躯。
「発ちゃん?」
「あー…ちくしょー…」
馬鹿で頑固で負けず嫌いで、健康的なのにどこか扇情的で、いつも隣にいる悪友の躯。護衛の躯。
並んでいたいなら傷付ける訳にいかない。そう告げてやるだけの余裕は何処にも残っていないけれど。
「発ちゃん?」
同じ言葉を繰り返す唇が、愛おしくて仕方ない。愛おしくて一発殴ってやりたい程に。仕方がなくて彷徨う両腕が、その背を抱き締めた。
「…どーしたんさ…」
少しまろやかに問う声に、
「どーもしねぇよ…」
愛しい吐息に乗せて応える。
「……寂しい、さ?なんか怖いんかい?」
何度か繰り返す瞬きに、焦点がぼやけて正体を見失う。
自分の髪を梳いているのが天化の指だと、自分の額と合わさっているのが天化のそれだと、気付いた頃にはどうしようもなく――心地良い。
「発ちゃん、安心するさ。俺っち守るから」
だから安心して眠んな。
少し垂れた丸い目を優しく細めたその護衛。ついに歌い出してしまった子守唄。嗚呼どうしてどうして、彼はこんなにも真っ直ぐなのか。
もういっそ笑い転げたくなる腹――天化が色気なく乗っかった腹ごと、柔らかく抱き締めて目を閉じた。
願わくは、その傷も癒えるように。願わくは、いつかこの男と並べるように。願わくは――
「……寝た?」
小さく問う声に、狸寝入りの吐息で応える。これ以上の芝居と我慢は流石に出来る自信はない。太公望といた時間が長いのだろうか。こんな狡い手を覚えるような自分ではなかったと、懐かしむは過去であり、太公望と出逢わなければ、この男とも出逢わなかったと、不思議な心地に抱かれたまま。
「……発ちゃーん?…寝たさ?」
遠慮がちな声。狸寝入りの鼻先を軽くつままれた。降りそそぐは天化の吐息。
「……なんだ、つまんねぇ…」
ぽつりと零して、唇の横、顎の先。小さく小さく口付けて、軽い躯が飛び降りて消えた。
――ばっ、ば、…ばかやろォォォ!
心の中の咆哮は届くことなく、渦巻くはしてやったりの感情と欲情と、悔しさと。
朝歌より先に、明日は天化を沈めてやろう。
そう誓った月の夜が明ける頃、自分の腹に風穴が開くとは露知らず。
その少し後、彼の魂魄が朝歌から飛び立つとも露知らず。
今は只、愛しさだけを抱き締めた。
end.
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お馬鹿で切ないのが発天かなーと思ったりします。
2010/11/15
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