子供ふたり(1/2)




再びのスコールは、送り届けてくれた楊ゼンの車のエンジン音と共に過ぎ去った。歩けると繰り返すわりにおぼつかない両足を隣の肩が支える夕凪。
「だから聞いたろ、寝不足なだけだっつの」
辿り着いた二人暮しのシーツの海に倒れこんだ高い背が口を尖らせた。
「もう大丈夫だって」
「大丈夫じゃねぇさ」
「寝れば治るのー」
「寝て治んないから言ってるさ!」
畳み掛けて追い越した口に、少しの沈黙。また近付いた雨雲は微かな風で隣町に進路を変えた。
「あんだけ寝てまだ目ぇ回ってるんじゃ」
「だーから!だいじょうぶだっつの!」
「人に心配かけといてんな簡単に言っ…」
「あ、心配したんだ?」
「……当たり前っしょ、なんだと思ってるんさ」
「コイビト?」
ベッド脇の左に寝返りながら波打つシーツに包まって、数時間ぶりに八重歯が覗く蒸し暑い部屋。
「カレシ?」
ゆでだこになったのは、相変わらず身を翻した言われた低い背の方だ。
「晩ご飯なんにするさ?なに食べたい?」
「……なぁ、あのよ」
「ん?」
「…いや、…んーじゃ、プリン。」
「うん」
「……焼きプリンで」
「了解さ」
買ってくる、とコインパースとくしゃくしゃの千円札をポケットに突っ込んだ背が言った。徐々に遠くなる足音に、ちゃんと寝とくさ!一言だけ釘を刺して玄関の戸が開く音に閉まる音。もう何も聞こえないその海の中で、
「……天化ー」
返事がある訳がない。――なにかあったんだろうか。天井にぶつかる発の目。おかしい、絶対的に。少なくとも発の知る人物は夕飯をプリンで済ます人物ではない。小さくて大きな違和感を咳払いと一緒に飲み込んだ。見事に欠けた記憶の数分はどうやら楊ゼンの腕で過ごしたと聞いていた。だからだろうか。妬いてくれた?いや違う。少し前の記憶の目が近くにいる気配がしてた。昨日の今日で?倒れたから?
「あ゙ーかっこわる…」
疑問は疑問なまま、確信に近付く前に眠気の波が押し寄せる。小さくひとつ咳をして、膝を抱える少し高い背。落っこちた暗い広い夢の海で、遠のいた背に手を伸ばしながら。

「ちっ」
昨日の今日で。
「っくしょー!」
苛立った足がスーパーの棚を突っ切った。昨日の今日、じゃない。今朝だ。
「だんだん誰かに似てきちまったさ」
微かに緩んだ口元に、嫌な気持ちが膨らんだ。
……なんでだめなんさ。
言葉を飲み込んだら余計増したイライラに、買い物カゴで無造作に転がるプリンが7つのラッキーセブン。
「……王サマの好きなもんっつーと」
捻った首と視線の先に映った例の激辛をひとつカートに加えれば、
「…はっちゃん」
二人のメールが繋がる数字。語呂合わせのclush on 8。緩む口元に加速する恥ずかしさは、幸せなんだろうか。違う――そんな訳がない。
浮かび上がる白い部屋にジャスミンの香り、外に巻いた猫っ毛。
自分の料理も洗濯も、あんなに好きだなんて思ってしまった腰の鈍痛も、怒りたくなって泣きたくなって叫びたくなる。
「ちくしょう…わっかんねぇさ!!」
あんなに温かいんだなんて思ってしまった昨日の今日。校内カウンセラーの声を信じるのなら、昨日は料理をしていないから問題なのはそれ以前の筈だった。
"食べたいもの"
ちゃんときいたのに。笑った後も喧嘩の後もみんな必ず笑顔で言ってくれていたから、残さず平らげてくれるから、疑わなかったのに。無理してるだなんて。帰路につく足が苛立って空を蹴る。見付けた夜の公園を突っ切って戻って、
「っっあ゛ーーー!!」
駆け上がった滑り台の上で叫んだ。
「どうすりゃーいいのさ!」
叫んで滑って、探ったポケットに煙草はないから。
「くっそー…」
すっかり忘れていた自分のイチゴオレ。自転車止めを飛び越えて、唇に触れて走ればエコバッグの中のプリンがカタカタ、ゼリーがコトコト、ポテチがガサガサ。大好物の詰まった袋が、カラフルな打楽器の様に家に帰る苛立ちの背を押した――。

出迎えた冷気に身震いの怒りが半分。
「王サマ!」
「ちゃんと寝てるだろー!」
「また冷房入れたっしょ!?」
鳥肌が半分。引っ張り上げた毛布をはね除けたのは発。
「ああっ…にすんだよ!!」
枕元のリモコンはさっさと奪ったのが天化。抗議の暇なく問答無用でかき消されたクーラーの起動音に、開け放たれた真夏の窓辺でカーテンが揺れていた。
「無理無理暑いーとけるー」
「今日保健室で言われたばっかさ、冷房かけすぎたら良くないって」
「かけ"すぎたら"だろ」
ベッドでふて腐れる口が尖るから。
「王サマはそーゆーの甘えすぎ」
「だから俺には無理なんだっつの!!」
無理。
「わかったさ」
――無理。
あっさり明け渡したリモコンに、尖らせた口より見開いた目が近い。ベッドの上の発の目が訝しげに覗く冷気に満ちた部屋の真ん中。……無理なんだろうか。
「天化?」
見られない。
程度問題だよ、なんて言われて出てきた保健室だって、程度ってなんなんだ。裸足の足が向かうキッチンは冷たい埃の匂いがした。
「てんかー?」
聞こえる声にいつものうるさいまでの覇気がない。それが無理?真夏の風に天化の思考が潰されてゆく。ため息を奪うシンクの水まで生ぬるい。
「なぁ天化ー、プリンはー?」
「今行くさバカ」
「バカってなんだよバカって」
「待ても出来ねぇんかい」
「出来ねぇ」
少し頬を膨らせたいつもの調子に、安心の気配を背中で感じた。赤いトレイに仲良く並んだプリンとゼリー。似合わない可愛い柄のスプーンだって、短い二人の歴史なんだ――。
天化の思考を遮るのも苛立たせるのも、連れ出すのも戻すのも、
「あーん!な、天化ちゃんあーんしてあーん」
「勝手に言ってるさ」
この声なんだから仕方ない。
「あーん」
「あ゙ーっ!!」
トレイより真っ赤に染まって山盛りのプリンで塞き止めた軽口。
「………っ」
「……自分で言っといて照れんの止めてくんねーかい」
「いや…だって」
「っ…ほらもう一回!開けるさ口!」
「ばっ…突っ込むな!」
随分粗野な看病に、必要以上に戻った血色。真っ赤な顔を見合わせて、いつの間にか笑みが溢れた。転がった空のプリンが合わせて3。明日はなにを食べようか。その笑顔が少しだけ力ないのが、少しだけ寂しいけど。
「……れ、…またきた」
「眠い?」
「んー、いや、起き…」
「寝とくさ、ほら」
「……ごめん」
「王サマが悪いことなんてひとつもないさ」
少しして上下を始めた胸に、蹴り落としていた毛布をかけてみた。
汗に張り付く前髪に、寝ているのに微かに動く右の瞼。
「……王サマ?」
うなされている?
「大丈夫さ、俺っちが守っから。安心して寝てな」
瞼の動きは止まらない。だけど口の一文字がほどけて、表情豊かなうるさい口角が上がったから。
「おやすみ、王サマ」
弟たちよりずっとずっと子供な胸の隣に潜り込む夏の夜、灼熱地獄。まだ眠るには早い午後8時に、天化の瞼が降りてきた。上と下を行ったり来たり、隣の胸と一緒に。――寝不足はどっちもどっち、似たような分量だ。当たり前。二人ですることしかしていない。天化の瞼が上下する。
「…っ王サマ!?」
唐突に引っ張られたタンクトップと下着に目が開いた。
「っとにあーたいい加減にっ……」
振り返ったイタズラ顔の上下の瞼はくっついたまま、引くのは最近少し豆が出来てきたらしい夢の中の両手だった。
「……大丈夫さ、ちゃんといるから」
少しだけ甘やかそう。
「どこにも行かねぇさ」
撫でた頭は夏の子供の、大好きな悪友――訂正。恋人の匂いがした。

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