じぶんだけ(1/2)




「どうしてさ?」

そんな低い声がしたんだ。自分の中から。
引きずらなきゃ動かない筈のおちゃらけ遊び人が、いつの間にかまっすぐ部活に向かうようになったこと。それが少しだけ誇らしい。それで少しだけ寂しくて、少しだけムカついて、追い抜かれるのは嫌だった。
負けず嫌いの特性か、隣のソイツに苛々が募る。

大丈夫なんかい?、なんて聞いたら、おどけた声はそう言った。

「あぁ?サボりのナニがぁ?」

ニッカリ笑う八重歯が二本。眉を寄せたら背を叩かれた。
「え?信じたワケ!?腹イタを?つーかもしかして心配してくれてんのかぁ、天化ちゃんやっさしー!」
朝の楊ゼンの言葉を借りるとすれば、"そんな馬鹿な"。
心配なんてする訳ないっしょ。優しい訳ないっしょ。
嘘つきな王サマなんか。

言いたい言葉は飲み込んだ。だって、言ってしまったら発は背筋を伸ばして笑うだろう。──今日の猫背は、いつもと違う。きっと本当にお腹を庇ってる──そんな背中が、韋護と一緒に赤く染まり出した並木道に吸い込まれて消えた。

嘘ばっか。王サマの強がり。ばか。

喉を引っ掻くため息を剣先に込めて、天化の右足が床を鳴らした。

そのときだ。低い打ち込みの音が爆発したかのような道場の中に、ぴんと張り詰めた異質の音。耳慣れない音に、誰もが天化を振り向いた。

「いっ、た……!」
「天化くん!!」
「天化!それ……!」

粉々に砕けたものを知る。つばだ。それから竹刀をしならせる弦。そして気付く。

「竹刀が」

折れた。

「大丈夫かい!?怪我は!」
「楊ゼンの一太刀重いからなぁー」
「指切ってないか?」
「大丈夫大丈夫!普賢ししょーが消毒して……」

駆け寄る面々に、事態を飲み込めないのはむしろ天化その本人だ。ぱっくり割れた竹の中からにびいろの重りが見え隠れ。飴色のつばは木っ端微塵に床に散乱──踏まないように、と甘く厳しい声がした。箒を片手に金タク、それだけ練習した証だと木タク、女子部員が遠巻きに、さすが天化!なんて言っていたっけ。

ただ一人、
「手入れを怠ったからだよ。言っただろう、君の剣は落ち着きがないって。どうしたら弱った弦の方で打ち込もうと思うんだい?」
「楊ゼンさ」
恐ろしく低い、その声がした。
「何度も言ったよ、"つばぜり合い"は逃げの一手で何も生まないと」
「……んで、なんでんなこと楊ゼンさんに!!」
「君が、その程度の興味しか抱いていないからでしょ、剣道に」
「──ざけんな!……っ、いくら楊ゼンさんでもっ……ぜってぇ許さねぇさ!!」

冷戦は遂に開戦の時を迎えたようだ。粉々の竹刀の残骸を一個残らず拾い上げて、袴が一人駆け出した。

「チクショウ!!ちくしょう!」
足が縺れる思い出の欠片。
「ちくしょう!どうしてさ!!どーして……っ」

手入れを怠ったのは本当だ。油塗りなんて休みの間してやれなかったから。ささくれの体を削ってなんてやらなかったから。やすりなんてかけてやってない。だけどそれでも、
「なんで……っ」
頭が粉々だったんだ。もう生き返らないだろう竹の破片に、右の人差し指の先が切れる。滲んだ血を口に含んで、丸い頭が下を向く。

こんなとき、どうしようもなく欲しくなるのがあの笑顔なんだと今知った。
そのへろへろの主が、並木道の向こう。チューリップハットに打ち込みを。
響く声がいつの間にか大きくなって、覇気に一枚いちょうが散った。

「……王サマ」

だめだ、と、足が号令をかける。大人にならなきゃ、甘えちゃだめだ。形になり出した発の剣道を、今甘えて引き戻したら、……後悔するのは誰だろうと。まだワインのパンツがちらついて離れない。

大人になってく隣の誰か。子供のままの自分が誰か。

ぐるぐるぐるぐる考えて、粉々になった竹刀をそっと抱いてみるいちょう並木。

──卒業。しなくちゃ。
天化の胸が早鐘のように走り出す。試合前の鼓動より強く、締め付けるみたいにして。
昔は天禄兄貴の物だった。欲しくて欲しくて跳び跳ねて、追い付いた身長にようやくくれたこの竹刀。もっと昔は、あの親父の物だった。

考えて、抱き寄せて、ささくれを頬に感じる秋の空の下。

「……ありがとな、……また、頑張るかんな」

まるで唇がささくれた誰かを抱き締めているみたいな気持ちは、少し居心地が悪くて恥ずかしくて、
「絶対さ」
寂しくてわくわくする。

おさがりからの。親父からの卒業。

早く大人にならなくちゃ──天化がゆっくり目を閉じた。頑張っているらしい気合いの声を背中に聴きながら、秋の風を吸い込んで、"やっぱり楊ゼンは自分にだけ厳しい気がする。"──そう一言呟いて。

[ 1/2 ]



屋上目次 TOP
INDEX


[TOP 地図 連載 短編 off 日記 ]
- 発 天 途 上 郷 -



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -