モヤモヤ、充足(*)(2/2)




「あづい。」
最上級もつけ忘れて濁点が着くだけの猛暑日の部屋で、なんだってクーラーが作動しないのだろう。朝を迎えたときにはこんな地獄が待ち受けていた。押しても叩いても反応しないリモコンを睨んで、ベッドに突っ伏した発の背中が上下に動く。
「サウナじゃねぇか…」
「…サイアクの蒸し風呂さぁー…」
左下のフローリングにも似たような形の背中があった。いつもリモコンの決定権を握る手が、無意味に床を引っ掻く。その指に発の喉が上下したのはまだ内緒。発の姿は天化から見えない場所にある。
「あぢぃ」
「あっちぃ…」
天化の背中。暑いを何度も繰り返しながらつむじの渦巻きをただ見ていた。左巻きなのか。汗で張り付くうなじの後れ毛。得たばかりの新しい収穫は他に生かせそうな気配もないのに、渦巻きをただ見ている。カチカチカチ、時計の針が12を指した真昼の部屋。裸の胸が上下に艶めく無言が訪れた。

シャツは二人共着ていない。なにせ暑くて堪らない中でクーラーの引退だ。服の出番がある訳ない。ジーンズ一本の天化の腰に汗が光って肌が濡れる。黒いボクサーパンツの発の目は、水滴の一粒を追い続けていた。
からから張り付く喉の奥はすっかり元通りで快適なのに。ぎゅっと締まるのは胸も同じで、その切なさと幼い怒りの矛先は無自覚だろう腰の主に向けられる。暑さにバタバタ数回動いた脚はまるで違うことを彷彿とさせて、もう一度喉が上下してから、発の胸が仰向いた。
「暑いならシャワー浴びてこいよ」
顎で指した。どの意味で言ったのかは発自身でも図りかねる。ワンテンポ遅れて頷いた左巻きは、洗濯物乾いてたっけと呟きながらバスルームに消えた。
息が出来ない。
「っとにわかってねぇな!」
ようやく体調を取り戻したのが発は9日前、天化が8日前の換算だとしたら、その先調度7日触れていない。8月に攻め入る暑さの最高潮。月変わりで休みに入って部活にも出ていない。溜まるフラストレーションの矛先は二人共暑さに押し付けているから、未だ答えは見つからない。
好きなのに。
床の上の肌をどう思うかなんてわかっちゃないんだろう。発の腕が枕を抱いた。
「……天化」
いつまでも片道分の恋と執着の重さと熱さ。いくら片道じゃないと言われても、現に向いている方向はてんでバラバラ。違うにも程があるだろちくしょうめ…本当にもどかしいのは、触れられない事実より不本意に傷付ける幼い恋の裏返しだ。圧し殺しても変えられないのは悲しいかな身体の仕組み。ため息ひとつ。バスルームのドアの閉まる音に耳をそば立てて、発の右手がボックスティッシュを率いれた。気付かれないうちに処理して寝よう、眠るしかないそれしかない。左手で触れた待ちわびた刺激に目を細めて、
「…ごめん」
震わせた肩で小さく呟いた。



叩きつける水のシャワーは、左巻きをまっすぐ伸ばす。この暑さで泡をまとう気はしないから、ひたすら冷たさを楽しんで、ついでに喉まで潤した。
「……」
シャワー浴びてくれば、の本心がわからない。探しても探してもわからない。キスはした。発の顔がしたそうな顔だったから。少し力なく睨んだら案の定重なって、湿った息を分けあった。てっきり流されると踏んだそれ以上は、ベッドが本来の役目しか果たさない事実で浮き彫りになる。力を抜く準備をした膝の裏は不恰好にそのままで、飲み込んだ唾液。言えっこない。身体の奥に足りないなんて。
「王サマ」
呟いたのは無意識か、シャワーの音は大きいらしい。
冷たくて堪らないのに暑くて堪らない。左右に首を振る自分が許せないのは、負けず嫌いの特性だった。
「…王サマ」
あのとき、意地と恥ずかしさを手離せば後悔なんてしなかったのだろうか。熱を帯びる自分が自分で許せない、どうしようもない、わからない。叩きつける冷たいシャワーをあの軽口が追ってこないだろうか。依然暑い外気に硬いシャワー。無茶苦茶過ぎて身体が感覚を手放したらしい。無意識に瞑った目でそっと思い起こした顔は、唇が触れる直前の顔。湯気がたつ筈ないバスルームで導かれるまま控えめに舐めた上唇に、ざわついて止まらない自分が自分で許せない。湯気より熱い息が漏れるだなんて。
「……っは」
脚の間が脈打って思わず力なくタイルの壁を叩いていた。ああ、防音防カビなんだっけ。…家じゃ天祥に邪魔されるから。言い訳を引き連れて、右手の指が下降した。だってほとんど裸で床に寝たんだ。わかりやすいあの軽口の調子のりなら、すぐにでも跳びかかってくるだろうと踏んだから。しかし誤った目測で、こうしてシャワーの水に打たれること数分。

思い起こせばもう3週間は触れてない。自分では。後ろについた前提の言葉に思わず丸く開いた目。一体どれだけ触れ合っていたんだろう?不健全?不健康?考えたら悔しさに泣きたくなった。
息を殺して小さく頭を振りながら、右手が性急に上下して、
「……王サマ」
止まる。

どう思っていたんだっけ。
天化の記憶はまだ古くない。
もともと色恋も性も同級生より興味がなくて、それでもいつか両親みたいな仲睦まじいメオトになると未来を疑いもせず。子供を授かる辺りまで妄想の手順もすっ飛ばした少年だ。こんなに欲して触れたことなんて数少ない。足りなくて、恥ずかしくて欲しくて堪らなくて。心臓は破裂しそうに苦しくて、電話の声を思い出していた。起きているのか寝ているのかもわからないしりとりの夢の狭間で、心地よさに包まれた唇は確かに好きと言ったんだ。あの人もそうだった筈なのに、あのときも、今も。
──浮かんだのは、ベッドで丸まる少し高い背。
身体から離した右手がシャワーコックをきつく捻った。


発の長く細い息はうっとり部屋に木霊して、左手は髪をかきあげる。刺激を続ける右手の指は、いつの間にか都合よく鼻の一文字の傷に置き換わった。おずおず迷って、だんだん面白そうに触れるあのアイツの顔、ああその顔すげぇ好き…おう、上手くなったじゃん天化。妄想は妄想を呼ぶ。妄想は快感を呼ぶ。
「っ、……はぁ」
もう限界。天化の中で──脳裏に浮かぶ残像に畳み掛けて、ボックスティッシュを掴んだ瞬間だ。
──え?え!?
訳がわからないままボックスティッシュは対角線の床に放った。けたたましい轟音で予想より遥かに早く空いたバスルームの扉の音に、直進する足音。
「……っそだろ」
嘘だろ!
気配に背中を向けてバレない内に被った毛布。直前で塞き止められた快感が何より苦しくて堪らない。バレるな、バレませんように、

「王サマ…?」
背後で沈むスプリングに冷や汗。
「王サマ」
そんな色っぽい声で呼ぶなバカ!力一杯掴んだシーツに発の指の腹が鬱血した。
「……王サマっ…」

今度こそ意味がわからない。
乱暴にしたらダメ、傷付けたらダメ、触れてないのに毛布に発射したらダメ絶対。妄想にまで言い聞かせたらしい三ヶ条は、背中に触れた重みにかき消された。
「……てんか?」
確か、前も似たことがあったようななかったような。
「…っ明日、部活ないからさ」
どうやら反動でひっくり返って下敷きになる体勢を望んだらしいその顔が、真っ赤に染まってそっぽを向いた。
「あ、え?あ?」
「だから言っ…」
「ああ、あーと…触っていいっつう」
「……違うさ!」
負けず嫌いの口数は少なくて、力強く絡まったのはその裸の脚だった。発の腰に絡む脚。合点がいくよりなにより先に、とんでもない嬉しさ充足感と快感が五感を占めた。
「…ごめん、王サマ」
意地張って、悪く言って、気持ち考えてなくて、たぶん全部ひっくるめたごめんの文字。そんなことで落ち込みはしても嫌いになる確率なんてゼロなんだ、こうして双方向なんだったら。ちゅぱちゅぱ可愛い音の中夢中で重ねた唇が熱かった。ああ、望んでるんだ。二人でリンクした思考と身体のムズムズは、舌を絡めたら気持ちいい。そんなことなんだ。そんなことだけど。
「天化に誘われてばっかだな俺」
ニヤリ笑いに嫌なフリ。そんなことが一番必要。伏せた顔は捕まえられて両手の中に、頬に感じる出来立てホヤホヤの発の剣道豆に、天化の胸がきつく締まる。これのことだ、胸がキュンって。いつもより優しく絡まる小鳥のキスは少し焦れったかったけど。
「…すげぇ冷えてんじゃねぇかよ」
呟くように心配そうに、肩から腰まで穏やかに滑る手が、本当は限界だった。それ以上に触れたくて。
胸に荒くかかる息、熱く求める舌の先。
「…っサマ、髪…!っ」
「あ?…ああ」
鎖骨にかかるレイヤーの前髪に、左巻きが捩れた。
「おらっ!」
「くっ…んのバカ!!」
くすぐったい、イコール気持ちいい、イコール止めて、やっぱり止めないで。言えたら楽か、恥ずかしさに身が燃えてしまうのか、考えるには慣れてない。こと天化は。しばらくじたばた脚の無意味な抵抗を続けながら、
「…いいって?」
内腿に感じた発の指に力が抜けた。漏れそうになる声を抑えて、不本意にも動きそうになる腰に互いに驚きながらキスをして。
「……っ、ん…ぁ」
天化の腕は発の首。
発の指は天化の胸と、
「すげ、ここ重くなってるぜー?てんか」
「う…っるさいさこの減らず口!」
「溜まってるよなそりゃ」
悪戯っ子が笑いながら思わず左足が跳ねるようなそんな場所。手のリズムに合わせて声を殺して、
「…っもういいさ!いいっか、ら、」
触れる指を突っぱねて、案の定不機嫌になる唇があって。
「……そこは、もういいさ…ッ」
言葉ひとつでどうしようもなく感じてしまうひとがいる。
「それはさ、あぁんもっと!我慢できないぃ〜んって」
言うもんなんだぜ?後半は睨みと殺した矯声に許されなかった。
すき、すき。
ゆっくり進む発の指に背を反らせながら、うわ言のように言いかけて堪える負けず嫌い。それでも確かに、あのしりとりの日の感覚に似ていると思う。
ぞくぞくする寒気と堪らなく安心する不思議な浮遊感、
「なぁ、お前このままイケんじゃねぇ?」
そうだ。興奮しながら発の声、そう。認めたくないくらい気持ちいいのが天化の本当。
「……ぅあっ…」
思わず閉じて合わせた左右の膝に発が目を丸くしたのが一瞬のこと。
「…っ天化…挿れるぜ!!」
「あ゛っ、ぅ!?」
疑問形じゃないその力強さに、天化の背が弓なりに弾かれた。
「お…っサマ…!!」
ああ、いよいよなんだ、いよいよなんだ?幼い期待で抱き寄せた。
「う、ぁバカ締めるなっつ…あっ…!!」
じょうきょう、が、飲み込めないのはよくあることだった筈だ。
「…っそだろ…っは、」
嘘だろ…絶望的な顔が一瞬天化の両目を見下ろして、すぐにきつく眉を寄せていたから。
「…王サマ」
「ぁ…は、…最悪…」
発の長い息は艶めいて、ゆっくり微かに揺らぐ腰。叩きつけたその熱さにつられて天化の目まで細くなる。

きもちいい、格好悪い、いやようだってもともと限界寸前だったんだぜ?たまっててすんどめで、今も頑張っててあれやべぇどうしよう生だ、うそ、嘘!?なぁオイこれ入口リタイアっておいマジかよ!?

自問自答とそれでも勝てない快感の波に、発の肩が震えていた。口に出さなくても十分伝わるのは、百面相か二人の以心伝心か、ちょっとの下心か男心か。
「王サマって」
その泣きそうな顔が可愛くておかしくて、
「……馬鹿にしてんだろ」
思わず撫でた髪。
「してないさ。……そんなよかったんかって思っただけ」
不服そうなその人は、恥ずかしげに目を伏せた。形勢逆転、無性にかわいいなんて思ってしまったその髪は、汗でいつもより熱かった。
「……え!?へ…うあ゛…ぁ、お…!!」
「悪かったな復活も早くてよ」
「…っ、ぁ…」
形勢、逆転。声のないまま揺すられる腰が熱くて熱くて捩れそうだった。溶けそうだった。そうとしかもう記憶出来ないらしい天化の口は、恥ずかしさにただ一文字。ふっ、ふっ、っふ、リズミカルなスタッカートにせり出さした胸に名前と一緒に口付けられたらどうしたらいい?ことごとく少ない天化のマニュアル、しかも予想外の同性同士。
「…っぐ、ぁ、っ…」
「なぁ…だから声出せって!」
「ちっがうさ、なん、」
「ああもー強情!」
そう言いながら、苦しそうにちょっと大人の顔の汗が滴る発の顔。……ああ、道場で見る顔に似てるさ。声に出さずに呟いたら、胸のモヤモヤが増した。
「王、サマッ」
「…っん?」
腰骨を捕まえた発の指の根っこに出来た剣道豆の固い感触がひとつ。もやもやと、充足。
「…王サマ、っその、顔」
「あ?っはぁ…なに…?」
「…ッ…ん、他にしたら許さねぇかんねっ…!」
もやもやと、充足の中で。目を見開く発がいて、その目が泣きそうに歪んでいて、
「それってさ、ヤキモチっつーコト?」
深く深く抱き締めながら耳元の囁きが待っていたから、真っ赤な顔の左脚で頑張ってるらしい尻に踵落としで苦笑が舞って、
「っ…ぐ、…っぁ、っ…ん」
胸と胸を合わせて揺れたら消えたモヤモヤに、髪を撫でる発の指が、少し強く天化の地肌に爪を立てた。ああ、気持ちいいんだ二人とも。そう思ったらこの数日の課題のヤマが見えた。それでいいだろうか、この夏休みの収穫は。

胸にわだかまるこれはなんだろう?
苦しくてあたたかくて、少しだけ乱暴な、胸の上下とモヤモヤの中。

そうなんだ、やっぱり好きで好きらしい。大嫌いなくらいに邪険にしながら、
「んっ…」
「天化ッ…なか、中でイケそうか?」
髪を引っ張ってキスをして、
「くぁ……っ、は、つ」
頷くなんて可愛い動作はしたくない。負けず嫌いの恋煩い。小突きあってキスをして、
「天化…!」
普段のちゃらけがちょっと必死に名前を呼ぶ瞬間があるのなら、
「は…つ」
それを超えなきゃ許せない。一度だけ甘く鋭く名前を呼んで強張って、抱き締め合った塊が10秒20秒30秒。オモチャのように揺れていた。

沈み込んだベッドの真ん中。知らず知らずうっとり脚を投げ出して、覗き見た発の腹筋は1週間前より鋭く割れていた。筋トレもちゃんとサボってなかったさ…へぇぇ。そうしたのがそう変えたのが、自分なんだろうか。ちょっとした確信としてやったりの独占欲、
「…天化、よかった?どうよ俺のテク、っつか俺ら相性いいよな!?」
喜び勇んで告げる口のスピードの前で、すっかり瞼が落ちてきた。おねむの時間、だって、
「………おうさま…」
だって、わからないくらいとろとろになったんだ。仕方ない。伸ばした片手で髪を撫でたら少し驚いた発がいて、それが妙に面白かった。くっついて眠る頃にはマンション全館クーラー復活の兆し、鼓動を聞いて目を閉じた。夢の中か今なのか、
「天化、愛してる」
結構重要な筈の単語を聞いた気がした。
ずっと夏休みが終わらなければいいのにさ。すきなんだ。今はそれだけがいい。

end.

すれ違い愛。
もうしばらく夏休み編です。
2011/09/20

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