子供ふたり(2/2)




行かないで、おいていかないで。父上はどうしていっちゃうの?あんちゃんもいっちゃうの?どうして一緒にいけないの?
追い掛ける脚が熱帯の腕に掴まれる。振りほどけない。嫌なのに、がっこうってなんだよ、どこ?たのしいの?
「ああ、楽しいよ」
いっしょにいく!
「発が大きくなったらね」
やくそく!
「約束」
父上はかいしゃなの?いっしょいける?
「来てくれるか、発」
おう!やくそく!
「約束しよう」

うそだ。嘘ばっかり。追い付けないのに。置いていくのに。頑張ったって届かない場所に行く癖に。――出来もしねぇこと約束してんじゃねぇ―!!

「――……っ、か…!!」

酷く暑い朝だった。朝…あさ、あさ?飛び起きた真っ白な広いベッドが冷たかった。
「………天化?」
見渡す部屋が真っ白い。白で埋め尽くされた視界の隅で認識した――ああ、夢だったんだっけ、全部。冷たく凍えた発の小指がぴくりと跳ねた。
「ったくなにやってんだ、俺…追い付ける訳ねぇじゃん…」
まるで化け物だった。あの固い防具を着けて動いていただなんて。百歩譲って理解が出来る院生の楊ゼンは、背だって歳だって随分上だ。同い年のあの低い背が、あんな物を被って走り回っていたなんて、
「ばかやろう……」
土俵が違う。うな垂れた前髪を滴る汗の道。あの瞬間最後に感じた汗だった。結局どんなに頑張ったって、その結果がこれだったんだ。訪れるブラックアウトのあの感覚。
「かっこわりーの…最悪」
あの感覚。発の小指がぴくりと跳ねた。王サマ、王サマ、
「王サマ?」
「……呼ぶな」
「王サマ?」
「王様って呼ぶな!!」
「あ、…ごめん。すまねぇさ、発」
小指が跳ねた。天化の手の中で。――手の中で?

「――……っぅあ…ッ…!!」
「王サマ?」

今度こそ跳ねのけた毛布が、足の下で汗と共に丸まってなだれ落ちる音。

「具合どうさ?だいぶうなされてたけど」

今度こそ見下ろす丸い目に冷や汗、繋がれた指。もう陽は随分と高かった。

「あーもう寝たら全快!」
「だから身体は」
「天化の愛って効くんだなー」
「勝手に言ってるさ」
「照れんなってば」
あからさまに肩を上下に動かした背が軽やかに翻るベッドの上で、――嘘だ。
「ちょっとぐらい静かな方が良かったさ」
ひどーい!とでも言えたら良かったのだろうか。言いかけて飲み込んだ吐き気と寒気に、首まで引っ張り上げた毛布が痛い。
「……王サマ?」
「…んー、ゆっくりしようぜー。夏休みだぜ?」
「もう昼すぎさ」
「まぁ」
――かっこわるい。
曖昧な返事でもないよりはマシだ。伊達に嘘はついてない、自慢出来るものでなくても役にはたつんだと妙な利害関係を学び直した。すっかり上手なそれにまみれて、騙された背はキッチンに消える。寝返りと同時に反対側に転がした反動で、体中の血液と胃液が真っ逆さまに運ばれた。
「……さいあく…」
明らかに胃も口も寒気も史上最悪。かっこわるい。きつく閉じた目に突き刺さる陽の光に、ようやく誰かが開け放った射光カーテンの存在に気付く始末だ。これで毎日どうやって起きていたんだっけ。響く重力に、瞬く間に思考の端が潰れていった。近付く足音も頭の隅で潰されてゆく。
「王サマ?」
起きなくちゃ。
呼ばれた声に総動員する意識が潰される。
「やっぱ身体悪いんじゃ」
「っるくないっつの、眠いだけ」
背中に感じるその気配は、暑苦しくて離れて欲しくない。この妙な浮遊感と孤独と閉塞を足していくつかで割った方程式に答えが欲しい。どうしたらいいだろう?
「なぁ、……天化」
「……なんか食うさ?」
「っ…っと…」
全身から聴こえた拒否の声を、
「プリンまだ1個あるけど」
「天化作ってくんねぇの?」
作り笑いの唇でもみ消した。それだけで背中に感じる気配が、明らかに輝きを増したから。
「天化が作ってくんなきゃ食わないー、彼ごはん〜」
「なんさその言い方」
ひとしきり形式的に怒る声が明らかに鮮やかなんだ。
やっぱり。
昨日から煙草もなければ甘味もない、キスもお預けの唇が、声が、鼻歌混じりにキッチンに舞い戻る。あの寂しい目も口も、絶対的に料理絡みか剣道絡みで解決に向かうことはとっくに知っている。伊達に続けていない恋の欠片の続編たち。意気揚々と運んでこられた手料理が、
「……ナニコレ」
「薬膳粥さ」
見るだけで苦い緑の物体だとは流石に予想の度を越したけど。
「嘘だろ…」
「嘘じゃねぇさ」
緑にすら見える湯気と交わる無言の攻防。
「見てるだけで苦いんだけど」
「…ちょっとセロリ入れたから」
「…ちょっとか?」
徐々に反らす視線でもって近付く核心。
「お前これしっ」
「嫌ならいいさ食べなくて!!片付けるから!!」
怒り出す唇に確信した。ここ数日浴びる程食べた恋人の手料理、初めて出逢う失敗作だ。
「いいよ、食う食う」
「……」
食べないで通り過ぎるのはもったいなさすぎる。苦々しくて青臭い、
「食わなくていいさ」
「……ちょーまずい」
「あ゙ーもうだからいいさ食べなくて!」
思わず吐き気も吹き飛ぶ味がした。
「そういや俺天化のお初貰ってばっか」
「うるさいさ」
「カレシの特権だよなー」
スプーンに二口でリタイアした可愛いセロリの焦げた匂いが、また落ちた眠気の中でも換気扇に絡まっていた。


どれぐらい、寝ていたんだろう。並んで二つ開いた目が、隣にもう一組。今更ながら一枚の毛布の下で何事もなく眠ったのはまだ二度目。それって逆にどうなんだ。電気に慣れない瞬きがパチパチ、二人分。
「どうさ、調子」
とっくにとっぷり暗い空。暑い部屋、換気扇。繋ぐ指までふやけそうな夜だった。
「……なんか、へん」
「へっ…」
「ぐらぐらする」
発が絞り出した苦い味。回り続ける天井が天化にも見えるのだろうか――。
「病院行かなきゃまずいべ!」
「いいっ…行かない」
「王サマ!」
聞いてない。こんなに悪化するものだなんて。飛び起きて覗き込んだ唇の色につられて血の気が引いた。
「王サマ…救急車…」
言いかけた天化の思考が潰されてゆく。まただ。道場で感じたあの目眩。また目の前で色がないその人を見た。指が冷たくて、熱くて、
「……俺、なんかヤバい?軽くヤバい?」
「軽くねぇ!」
へらへら力なく笑う声が決定打。

死ぬのかなぁ、死なねぇよなーたぶん、……なんてあっさり言うんだろう。走った。青ざめた高い背を背中に乗せて。
頑なに拒否する救急車の理由は身をもって知っている。今はどっちも家出の身。発の長財布をひっくり返しても保険証は出なかった。つまりはそう言うこと。

「なぁやっぱ俺やばげ」
「ヤバくないさ!今診て」
「この辺病院ねぇよ」
「昨日看板見えたさ!公園の向こう!」

よろよろ走る夏の夜のアスファルトに、スニーカーの焼ける音。
「なんか…あー…目見えねぇ」
「王サマ!?」
「…ねみ」
走れば走る程背中の上の力が抜ける。動かない。
どうしようどうしようどうしよう、どうしようもない。そうだ、どうしようもないんだ。
――こんなときになって思い知る。
ひとりじゃなにもできないこと。ふたりでいるのに。
どうしようどうしようどうしよう。
街灯に群がる虫の羽根の音が、回転して耳に張り付いて消えやしない。迷いながら駆けるアスファルトに、ゴムの焼ける雨の匂いがした。

「よく噛んで食べてよく水を飲んで」
足に入らない水色と桃色のスリッパを蹴飛ばした。咲き誇るチューリップの診察券に、象とキリンの身長計。
「ヤブさ」
「ヤブだ」
当然発の身長は範囲外だ。
「人叩き起こしてどんな言い種だい君たちは」
こんな終結も予想外だ。駆け込んだ街の小児科医院で差し出されたスポーツドリンクは、溶けきった頭が追い付く暇を与えてくれやしなかった。
「昨日脱水気味だと言われたんだよね?もうおととい?」
イエス。
「その後自宅でなにか飲んだ?」
そう言われればノー。
「放っておいたら危なかったのは本当だけど、涼しくして水分を取れば大丈夫だよ」
「嘘くせぇ」
「嘘さ」
「今は目眩は?」
「止まっ…あれ?あ?」
言われてみれば今更なイエス。
「プリン3個じゃ水分もないし胃もたれの一つ二つ当たり前」
「……」
「お粥の水分じゃね、食べないよりずっといいけど」
「……」
沈黙が胃に凍みる夏の小児科で、隣と目を合わせる勇気がある筈もない。どっちも。使用済み紙ヒコーキ、夏休み便りの米粒の文字にそんなことがあったっけ。一晩寝るだけで失われる水分の話と、それに伴うカロリー消費云々の諸注意。
「ウチにかかる子にもよくいるよ、発熱時にプリンとジュースばかりで気持ち悪くなっちゃう子」
追い討ちをかける子供の連打に、二人の首が下を向いた。
「心配して甘やかして普段より甘いもの食べさせちゃうお母さんも多いから」
安心を追い越して迫りくる羞恥が拭えないまま、時間外診療は幕を閉じる。

「……死なないってよ俺」
「……王サマあーた」
「だってあれマジですげー回ってたんだ」
「いっぺんぶっ叩いていいかい?」
「お前だってお茶も水も出してくれねぇじゃんよ」
「ぶっ叩」
「ごめん」
コインパースと十円玉。長財布と千円札。スポーツドリンクとイチゴオレ。電気が消えた住宅街の星の下で、自販機はいつでも子供の味方だ。
「もうあんまり心配かけないで欲しいさ」
「……うんー…」
半身を預けて歩く足は、まだ随分力ないけど。
かっこわるい。
どっちも。
「もうちょい甘えてくんないと俺っちいる意味ねぇし」
「もうちょいもなにも」
「だからこれからの話」
「え?いいの?」
ようやくぶつかった視線にゆでダコになったのは、やっぱり低い背が先だった。

end.

2011/06/27

[ 2/2 ]



屋上目次 TOP
INDEX


[TOP 地図 連載 短編 off 日記 ]
- 発 天 途 上 郷 -



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -