幸せの代償(1/1)




くるりと回る紺のプリーツ。ゆらゆら揺れる蜃気楼。
「な?どうどう?」
「似合ってねぇさ」
「照れんなよ」
「誰がさ!」
灼熱地獄の道場で、微かな風に揺れるお揃いのそれは、
「すぐ逃げ出すのがオチさね」
「うるせぇっ!」
いつもと真逆のポジションで滴る汗に輝いていた。重たく固い新品の防具も一緒。

「それだけ元気があるなら天化くんも打ち込みだけでも混ざるかい?」
靡く長髪に押し黙った悔しさは、嫌味じゃないのは知っている。悪気もなければ、
「天化はゆっくりしてろってば」
その言葉の真意を知る筈もない、寧ろ命をかけてでも知られたくはない。
「王サマはのろのろし過ぎ」
紺の胴着に赤い胴。似合わない竹刀に"姫発"の刺繍。
「……王サ」
「お前一人の身体じゃないんだから」
「――っに言うさバカ!」
少しでも似合うと思った自分が一番馬鹿だ。へらへら笑う腰に蹴り入れた脚が着く前に、
「……っ…い!!」
反射的に半身を縮めてしまった。
「いった…」
痛い。痺れる所の話じゃない。諸悪の根源はこの痛みの所以だ。腰も脚も言えないような場所まですべて、目の前で口の端を上げる恋人の所有印付き。
結局出掛ける5分前まで性懲りもなくじゃれ合った、
――馬鹿さ俺っちも!!
恨みつらみは盛大な恥ずかしさを引き連れて腰の痛みにわだかまっていた。

ホイッスルの音一つで無風の道場を駆ける赤を目で追った。ここが道場でなければ景気よく口笛を鳴らす所だ。随分とわかりやすく周りから遅れた――にしては形良い高い背が、前に後に行ったり来たりすれ違い。
見取り稽古と相成った正座の脚が、痺れに縮み上がる頃。灼熱の道場に色が付く。

乾いた竹刀と竹刀を交わす音。清々しく響く固い防具と竹刀の音。張り裂ける音に張り詰める灼熱。
「……けっこう、形んなってるさ」
思わず漏れた声には自分でも気付かない程深い場所のそれだった。口笛が関心に変わる。駆け抜ける、に比べればよちよち歩きの初心者の裸足が、それでもしっかり道場の床を捉えて離さない。その視線の先には長髪の師範代。
「君はまだ送り足がずれるね」
「……あーい」
間延びはしながら、悪態は付かなくなったその紺と赤のコントラストが、渋々並ぶ部員の最後尾に戻って行った。少しふて腐れた顔はいつものそれだけど。

この気持ちはなんだろう。

見取り稽古の膝が揺れる。

腰が痛い、そりゃそうだ。封じ込めた羞恥と叫び出したい幸せとやらが、頭の中を占拠する。慌ててふるふる頭を振った。
今は稽古!稽古中!
走り回る熱暴走の煩悩の記憶。言い聞かせれば言い聞かせるだけ遠退く精神統一の世界の先で、パチン!軽く放たれた振り返り様のウインクに、垂れ目が無言の牽制を突き返す。もう三度続いたんだから、きっとこの後は無限のラリー。
んなことやる余裕あんなら前見るさ前!
口パクにもジェスチャーにもする前に、きっと目で通じたのだろうその人は、オーバーにガチャガチャ手を振ってまた列の後に戻る。
「よそ見してちゃ話にならないよ」
「いってぇえ!!楊ゼンてめっ…」
「僕が?」
「あー…」
背後からの軽い一本に、食らい付き方はやっぱり変わっていないけど。ぶーたれながら列の後。
延々続く打ち込み稽古に、そもそも耐えられるような忍耐力は皆無だったのに――。

天化のこめかみを、汗が伝う。焦る。
なんで追い付かれたんだろう。自分がすべて叩き込んだこと、すべてとは言わない迄も覚えているらしい足取りに振りかぶり。騒がしいだけだった口先が、発する気合いの鋭いこと。

自分が教えたのに。
自分が教えたから?

前後する列に前後する思考は、焦りと嫉妬に、小さな小さな優越感。きっとそんな名前の幼いプライド。
どうしたって圧倒的に強いのは天化だ。決まってる、これからだって大会で優勝だって拐ってやるんだ。当たり前。
なのに。

「……なんでさ」

悔しいんだ、きっと。照れと共に追い付く速さが。あのフラフラの王サマが、軽々飛び越える辺りが嫌なんだ。昨日はあんなに、今朝だって柄にもなく持て余す程全身で愛しいなんて思ってしまったのに。そもそもなにかおかしい気がする夏休みの初めの日。
流れる汗と思考が痒い。背中を掻きたい。正座が崩せない。膝が痛い、腰が痛い。正座は正座だ、崩せない。……そもそもまたあの痛みを受け入れるんだろうか。それはそれは痛い以上の恩恵は受けたけど。帰ったらまたすぐ今までのパターンなんだろうか。それが嫌?違う、嫌じゃない。そのパターン作ったのは実は自分。そんな幼い優越感に目の前が赤くて思考が痒い。

駆け抜ける力強い足音と、頭に浮かんだピントのボケた発の顔。
どうしようどうしよう、どうしよう。熱い、痛い、暑い、痒い、くすぐったい、焦る、好き、痛い、恥ずかしい、持て余す。王サマ。……王サマ。
――王サマ…?

既に見取り稽古から完全に切り離された天化の目が、一瞬の蜃気楼を捉えて立ち上がった。

「危ねえ!王サマ!!」

天化の叫びと床の悲鳴が昇ったのは同時だった。

「――…王サマ!!王サマ!!」
轟音の主は床に倒れたその人だ。ひとしきり派手な音を立てて鳴いた竹刀は、カラカラ渇いた音で転がって止まる。
「なんでっ…」
どうしようどうしようどうしよう。あのへらへら笑顔が真っ白だ。どうしようどうしようどうしよう!
「王サマ!」
叩けば叩き返す軽口が動かない、変なこと言って悪戯する手が動かない。どうしようどうしようどうしよう、意味がわからなかった。


「いけない!下がって!」
自分が守るしかないじゃないか。背負おうとした固い身体は固い防具に覆われて動きやしない。――王サマ…!
「僕が運ぶから君は…」
ずっと呼び掛けていたらしい楊ゼンの声が届いたのは、金タクの手が天化の背のたすきを掴んで優しく引き摺って行った頃だった。
「王サマ!!早く離っ…」
「天化も少し休んだ方がいいよ、顔色良くないじゃないか」
「んなこと言ってらんねぇさ!!王サマが」
困り顔なのか笑顔なのか。落ち着き払った金タクの目が弧を描く。
「大丈夫だいじょうぶ」
「大丈夫じゃないから言ってるんさ!」
「今日は普賢師匠がいらしてる日だから心配ないって」
「んな呑気なこと言ってらんねぇ!」
加勢した木タクも振り切って、ただ走った。

どうしてこんなときに独りの脚が縺れるんだろう。
どうしてあと1秒早く気付かなかったんだろう。
受け止めることが出来たのに。……違う、今日はきっと出来ない。幸せの代償だ。

ちくしょう!

天化のこめかみを冷たい汗が伝った。蒸し暑い今日は夕立だ――。



end.
2011/05/04

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